12月の旅の話の途中ですが、先にこの話にします。
記事に書いた通り、2020年の4月に、夫のために同じマンションの中にある2階の部屋を買い、5月から別居生活が始まりました。
夫は、その前の2019年の暮れから腹膜透析を始めていて、毎日自分でキチンと時間通りに透析をして、毎食後にキチンと薬を飲む生活をしています。
1ヶ月に1回は腎臓内科の先生に診てもらい、2ヶ月に1回は循環器内科の先生に心臓を診てもらい、2019年に大腸癌の切除手術をしたので、その後の検査も年1回してもらい、大動脈の太さについても年1回CT検査をしてもらい、栄養相談もあり、毎月血液検査をしているので、まぁ安定はしているのです。
しかし、12月21日の通院の時に腎臓内科の先生から1ヶ月前より体重が3キロ増えているのが問題だという指摘があり、透析液をもっと強力の物に変えましょうと言われて12月28日の配達の時から、新しい透析液に変わりました。
この日は、暮れの最終日の配達で、運んで来た配達の人も、30個くらいの段ボールを2階まで運んでいたので、かなりヘロヘロになっていました。
私も玄関から部屋まで運ぶので、なかなか重労働ですよ。
1箱8キロくらいありますからね。
夫のために3階の自宅から2階の部屋にしたのも、そのことが大きかったのです。
そして、腎臓内科の先生が言っていたことが、1月になって現実になりました。
体重が増えるというのは、別に太った訳ではなく、除水(じょすい)が出来ていないので、足にどんどん水が貯まってしまってどんどん足が丸太のように浮腫(むく)んで、体が思うように動かなくなっているのですね。
年が明けて1月3日の夜8時頃に、ガタンという音がして、後ろを振り向くと夫が床に転んでいました。
夏にも、一度転んだことがあり、その時にも起き上がれなくなって大変だったことがあったのですが、その時は昼間だったので、ケアマネージャーさんに電話をすると、いつも使っている介護タクシーの方にお願いしてくれて、なんとか事なきを得たのですが、お正月の夜だし、どうにも出来ないだろうと思いながらも、ケアマネージャーさんに電話しました。
ケアマネジャーさんは、とにかく床に蒲団を敷いて寝るしかないけど、24時間助けてくれる会社を探してみましょうと言ってくれて、やっぱり頼りになる方だと思いました。
思えば、部屋を移った時にも、介護用のベッドもすぐに手配してくれて、助かりました。
やっぱり今回介護用のベッドでよかったと思ったのは、電動で一番下までベッドを下げて、なんとか夫を乗せることが出来たからですね。
実は、転んだ時に夫は右腕と左足を負傷していました。
その時はあまり気が付かなかったのですが、次の日の朝に見ると、右腕の傷でパジャマが血だらけになっていました。
血が固まらない薬を飲んでいるので、止血が難しいのですね。
私は、傷よりもそこからバイ菌が入ってしまうことが怖くて、かかりつけの大学病院に電話をしましたが、お正月明けでなかなか掛からなかったし、それよりも介護タクシーがなかなか見つからなかったりで、またケアマネージャーさんにお世話になりました。
まずは、腎臓内科のその日にいらした先生に診て貰いましたが、傷については形成外科に行って診てもらうことになり、形成外科に行くと若い女性の先生が、ピンセットで丁寧に傷口を塞いでくれて、また7日に来てくださいと言われました。
実は、介護タクシーは7日の方が全然取れなくて、やっと別の会社を探してくれたのですが、朝の7時しか取れないとのことでした。
そんな時に、6日は関東全体の雪だったのですね。
7日は雪は止んでいましたが、道は凍っていて、転んでしまう人続出の日でした。
ケアマネージャーさんは、言っていた通り24時間助けてくれる会社の方を4日の夕方に連れて来てくれて、訪問看護師の方を7日に連れて来てくれました。
訪問看護師さんの見立てでは、足の甲の部分が炎症している感じなので、やっぱりもう一度診てもらった方がいいとのことを言われて、ケアマネージャーさんと一緒に夫を説得してくれました。
ということで、人の言うことは聞かない夫ですが、11日にまた病院に行くことになり、たまたま4日に診てくれた同じ先生だったので、1週間経っても変わっていないのは、入院するしかないでしょうとなり、夕方にPCR検査をして、12日から入院しています。
今はこのご時世で面会も相変わらず出来ないので、先生にお任せするしかないのですが、私としては夫が家にいるよりは全然安心です。
入院期間は、10日から2週間と言われています。
1月3日から、1週間くらいの話ですが、何度も病院に行き、何時間も待ち、かなり疲れました。
夫は車椅子なので、もっと疲れたと思います。
病院に行くと、当たり前ですが病人は沢山いるのだなと思います。
病院の車椅子も30台くらいあるのに、11日に行った時は10時くらいで最後の1台でした。
以上が私の超現実の話です。
画像は、夫が入院した朝の太陽。