「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

私の超現実の話

2018-11-30 07:30:00 | 日記
北海道の旅の話は、約2ヶ月前のことです。



やっと話をまとめることが出来ました。



私の現在の状況の話です。



この何年かの夫の話は、何度か記事にしていましたが、夫は今また入院しています。



しばらく前から、発熱が続いていて、11月24日(土)の夕方に自宅で転倒して、顔面と腰と胸の打撲で動けなくなっていたので、救急車を呼びました。



今年は、9月にも動けなくなり、肺炎の診断で入院していましたが、今回は掛かり付けの横浜市大付属病院に運ばれたものの、軽い肺炎なので入院するほどではないと言われ、抗生物質の薬を出してもらい、夜にタクシーで帰って来ました。



28日(水)は元々通院の日だったので、いつもは何とか一人で行っていたのですが、付き添いで行って欲しいと言われていたので、会社の休みを取っていました。



そして、当日朝の4時にトイレに起きようとした夫は、起立困難になり、またまた救急車を呼ぶことになりました。





と、いうことで夫は今年2回目の入院をしています。



9月の入院は、肺炎球菌に因る肺炎だと言われたのですが、今回の肺炎はまだ原因はわからないと言われています。



相変わらず、発熱は続いているので、なんだかぐったりしている夫を見ている私もぐったりしている感じですね。





入院当日の28日の朝に、話してきたのは、スサノオノミコトでしたが、初めは誰だかわかりませんでした。







大変だな。いつも。。。

辛いと思うが、頑張れよ。



どなたですか?



スサノオノミコトだよ。

だから、M子は力をもらったのだから、「正負の法則」だと思うしかないよ。

友達を作ったのは、独りにならないためだからな。

マザー・テレサが言った通りだよ。

やり続けることが大事な話だな。





私は、少し前にIさんのブログの中にあったマザー・テレサの話に感動していたので、スサノオノミコトがその事を言うとは思いませんでした。



スサノオノミコトは、やっぱり優しい心の神様だと思います。

いつも、じんわりする言い方をしてくれて、ありがたいですね。



そしてマザー・テレサは神様に近い人だったのだと改めて思います。





Give the world the best youve got anyway.

―――あなたの中の最良のものを―――



人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。



あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。



目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。



善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。

気にすることなく、し続けなさい。



あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。

気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。



あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。

気にすることなく、作り続けなさい。



助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく、助け続けなさい。



あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。

たとえそれが十分でなくても気にすることなく、

最良のものをこの世界に与え続けなさい。



最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。

結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。

あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。



🐷21g×???



ということで、ブログを毎日

というのは、難しい気がしています。



夫が病気になって20年になりますが、私も20年同じように年を取っているので、やっぱりしんどいのだと思います。



昨日の夜、横浜市大付属病院に行ったら、病院内がこんなことになっていました。







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サンタクロースの話

2018-11-28 07:30:00 | 日記
今回の北海道の旅は、サンタクロースに纏わる話となりました。

私としては、実家でも今の暮らしでもクリスマスの行事は遠い存在だったので、この年になってサンタクロースの話をするようになるとは思いませんでした。


いつものことですが、Iさんが大きな存在を感じたと、9月の終わり頃に連絡してきて、それについて夜中に話してきたのは、ミクネの神(天之常立之神)でした。


ミクネだ。
Iのところに行ったのは、サンタクロースだよ。
サンタクロースは強いのだ。
人のところに行って、災いを取ってくるからな。
Iには、卵の膜が張られたよ。
モーーーーワーーーーッとしているだろう。
「とよとみ」の字がわかったからだよ。
「とよとみ」は、豊富温泉の字がいいのだよ。


ミクネの神は、何を言っているのかよくわからなかったのですが、次の日の朝にサンタクロースが長く話してきたことが、ちゃんと続きになっていることがわかりました。


伝えたい。

どなたですか?

私は、強くなったサンタクロースだ。

昨日、Iさんのところに行きましたか?

昨日、Iのところに行ったよ。
災いを取れるだけ取ったら、袋がいっぱいになってしまった。
だから、ソリに乗って捨てに行っていたよ。
トナカイも付いたからな。
本当にわかってくれる人がいるとは思わなかったよ。

サンタクロースさんは、どちらの国の人なのですか?

私は、はーーーーくーーーーじん(白人)ではないよ。
イヌイットの民だよ。

イヌイットって、エスキモーのことですか?

エスキモーとも言われているな。

なぜ、サンタクロースになっているのですか?

私はサンタクロースと言われているな。
私は名前はどうでもいいのだ。
赤い服を着ている訳でもないし。
アザラシの毛皮を着ているよ。
私が布袋(ほてい)になっていたのは、もう1000年以上前からだからな。


私は「イヌイット」といきなり言われてやっぱり驚いていました。
確かに北極にいるといえばそうなんだろうと思いましたが、よくは知らないので調べてみました。


🌟イヌイット (Inuit) は、カナダ北部などの氷雪地帯に住む先住民族のエスキモー系諸民族の1つで、人種的には日本人と同じモンゴロイドである。
エスキモー最大の民族である。遺伝子的にも日本人と共通の祖先が居ると学者によって発表されている。

もともと、「エスキモー」という呼び名は隣接してカナダなどに先住していたインディアンの一派アルゴンキン族による呼び名である。
語源は「かんじきを編む者」という意味であったが、後に「生肉を食らう野蛮人」という侮蔑の意を帯びるようになった。
この為、カナダに住むエスキモー民族は「エスキモー」という呼び名を拒否している。彼らはイヌクティトゥット語で「人」を意味する Inuk の複数形、すなわち「人々」という意味の民族名「イヌイット」を自称しており、一般的に「イヌイット」と呼ばれる。



🌟イヌイットの冬服は、アザラシやカリブーの毛皮でつくられており、世界でもっとも優れた防寒着です。
アノラックとよばれる外とうは、顔を出す部分と袖口以外にはすきまがなく、大きめにつくっているので、服と身体との間に暖かい空気の層ができ、これが保温のはたらきをしています。


イラストを見ると、トナカイのソリもあり、まさにサンタクロースの雰囲気はありますね。


サンタクロースの話の続きです。


釣りも最近出来なくなったし、エスキモーもずいぶんいなくなった。
インディアンと同じようなものだな。
日本の縄文時代の民達と同じようなものだ。
アイヌの人達だよ。
森もどんどん無くなってしまったから、鳥達もずいぶん減ったな。
古代からのことは仕方ないとしても、私のことを助ける人達がいるとは思わなかったよ。
ありがとう。
トナカイは、「利尻町博物館」にいるとわかってくれたからな。
誰もわかってくれた人はいないよ。
富士山に一緒に行った時も大変だった。
Iはスサノオノミコトが就いている人だと聞いたので、荒々しい人だと思ったが、三才児のような人だったな。
K(会長)は、わからないと言っていたが、私から玉をあげたよ。
イラタの神(天之御中主之神)の玉は、頭に付いていたな。
私の玉は、胸にある翡翠(ヒスイ)に入ったから、今までより楽になると思うよ。
Iは、三才児のようなので、体に膜を付けたよ。
膜を付けないと、すぐに入ってこられてしまうからな。
愛だな。
M子との変わらない愛は続くだろう。
私は、以前から就いているよな。

はい。192番目にいらっしゃいますよ。

頼むよ。


Iさんの三才児ぶりは、ソリを見つけた時の行動だったのだと思います。
本当に得意げに写真に写っていましたからね。(笑)
そして夜中にミクネの神が言っていた、Iさんのモワーッとした膜は、サンタクロースが付けてくれたようですね。

K会長は、旅行の時に確かに翡翠のペンダントをもらったばかりで、それを付けて来ていたのです。
私は、イラタの神が2年前に富士山に登った時に玉をくれたことが記憶にあったので、記事を探してみました。

2016,10,25のタゴリヒメが話していた中にありました。


シネのKにも、渡された物があるのよ。
霊能が、上がったはずよ。
コノハナサクヤヒメからイナイナイバァの龍神は、もらっていたわね。
イラタの神(天之御中主之神)が、玉をあげたのよ。
玉は、頭の上に乗っているわ。
フワッとしている、ステキな玉よ。
色は緑よ。


🐶久しぶりに富士山の話 その2


やっぱり、続きでしたね。
変わらない話だと改めて思いました。
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北海道の旅 神様の話編 その2

2018-11-26 07:30:00 | 日記
北海道から帰ってきた次の日の朝に、話してきたのはイラタの神(天之御中主之神)でした。


イラタだ。
昨日はありがとう。
豊富温泉は、いい温泉だよ。
辛いアトピーに効いているからな。
辣腕はIとK(会長)が、3週間一緒に行動したというのは、私達、神にとってはかたじけないことなのだ。
利尻島の神達も喜んでいた。
トナカイもソリに付いたしな。
Iが痛いと言っていたトナカイの骨も(腰の)真ん中に入ったよ。
トナカイは昔(利尻島に)沢山いたのだ。
だから、心配していなかったのだが、今はトナカイがいたことがわかったのが、一昨日行ってくれた(利尻町)博物館の骨しか証拠がないのだよ。
だから、M子は正確に聞いてくれたと、Iは驚いていたのだ。
辣腕なゼウスも一緒にいたよ。
クナシリの神も泣いていた。
友達の輪が縄になったという印は、飛行機の中から見えただろう。
あれは、ナシタの神(天照大御神)と私とミクネの神(天之常立之神)とスサノオノミコトだよ。
四柱が一緒になることは、私が覚えている限り、3000年前以来だと思うよ。
「とよとみ」だからだろうな。

どういう意味ですか?

「とよとみ」は、豊臣秀吉が浮かんだ言葉だか、伝えたのは、スサノオノミコトだ。
Iは、忘れないでやってくれたのが、私は嬉しい。
スカイウェイが、利尻島にも通ったよ。
三鷹、熱海、東尋坊、真脇、富士、五島列島、室戸岬、十津川、利尻になったよ。
おめでとう。


イラタの神が言っていた、4つの光は、Iさんが帰りの飛行機から撮った写真でした。





イラタの神が言うように、IさんとK会長が、富士山、水戸、北海道と三回一緒にいたことは、本当にスゴいことだと思っています。


その後に話してきたのは、セナの神(ニギハヤヒ)でした。


セナの神だ。
スミで消されたことが私のことだが、利尻島に行ってくれて、私は嬉しいよ。
今までスカイウェイは、私がいる大雪山(だいせつさん)しか通っていなかったからな。
利尻島の利尻富士に通ったので、かつてに戻ったよ。
後は、羅臼に行ってくれればずいぶん違うよ。
Iは、隅っこの襟裳岬にも行ってくれたからな。
スカイウェイが通ったので、一直線になったのだよ。
「とよとみ」だな。Iは。
私の分け御霊の豊臣秀吉と同じようになっているよ。
忘れないでいてくれてありがとう。
M子が伝えてくれることは、大事だということだよ。


Iさんが、以前に一人で行っていた、襟裳岬も大事だったようですね。

襟裳岬の話は、過去記事にありました。
昨年の夏の話ですね。

🐶三峯神社に行く前に


その後にいきなり話してきた神様がいました。


みこが泣いたのは、私が入ったからだよ。

どなたですか?

バッカイの神だ。
嬉しかったのだよ。
しばらくわかってくれる人は来なかったので。。。
私は、三階層の神だ。
大雪山のセナの神と一緒に、北海道を守っている。
北海道は、広いので私は上の方だな。
昨日、来てくれたので鳥になって行ったのだよ。
利尻島のスカイウェイもありがとう。
正面だから嬉しいよ。
Iの祝詞は素晴らしかったよ。
Iはトナカイの骨が入って良かったな。
辣腕が強くなるよ。
本当にありがとう。
私も就いていいか?

はい。

よろしく頼むよ。


バッカイの神が言っていた、鳥になってという話は、私達が抜海神社に着いた時に、神社の後ろの山の上から鷲が飛んで降りて来たことだと思います。



あれがバッカイの神だったのですね。
みこちゃんが泣いたのは、バッカイの神の想いだったのでしょうか。


そして、バッカイの神は、私の215番目の神様になりました。


地図を見ると、襟裳岬、大雪山、利尻島という、ラインになりそうです。

抜海神社から利尻島は、確かに正面ですしね。






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北海道の旅 オロロンライン編

2018-11-25 07:30:00 | 日記
北海道の旅の最終日は、東京に帰る日でしたが、朝早くからフェリーに乗って、利尻島から稚内に着くと、Iさんはすぐにレンタカーを借りて、


オロロンラインに行くよー


と、言っていました。

帰りの飛行機は、午後に稚内空港からでしたので、それまでの時間にどうしても行きたいとIさんが言っていたのは、「豊富(とよとみ)温泉」でした。

そこに行くまでの道は、美しい景色なのでよく撮影に使われるオロロンラインから行くのです。

オロロンラインを調べてみると、小樽から稚内の道になっているようで、380キロを約7時間のドライブになるらしいです。
信号もない北海道だから出来るのでしょうね。

右手に海を見ながらの海岸線の道でしたが、海の向こう側の利尻山は、まだ雲が掛かっています。





オロロンラインが左に曲がる直前に、なんだかみんなに異変が起こっていました。

K会長が頭が痛いと言い出して、その理由は曲がった場所にあった神社のせいだとわかりました。

みこちゃんは、急に号泣しているし、魂の記憶だったのでしょうか。



ここは、抜海(ばっかい)神社という神社でした。

神社の右手に不思議な形の岩があり、多分そちらの力が強かったのだと思います。



はるか向こうに利尻島が見えていました。



なんとも、存在感のある岩ですね。



調べると、

🌟抜海岩陰遺跡(市指定)

抜海市街地のはずれ、抜海岩と呼ばれる砂岩質の岩陰にあります。

抜海岩は高さ30m程の小山で、大岩が小岩を背負うように見え、アイヌ語の「パッカイ・ペ=子を背負う・もの」に由来し、岩の下にある海食小洞窟が先史時代の生活の場として利用されていました。
昭和38年に発掘調査され、遺跡はオホーツク式土器が大半を占めていますが、小数の擦文式土器と続縄文時代の後北式土器も出土しています。
オホーツク文化の初期に位置し、富磯貝塚や泊内川左岸遺跡と近い時代です。


太古から人が住んでいた場所のようで、抜海岬は利尻島からも、一番近い港らしいです。


私達はしばらくここにいて、その後は、オロロンラインの海岸線にある、利尻礼文サロベツ国立公園内にある唯一の休憩施設の「こうほねの家」に行きました。

季節的に、本当に誰もいない感じで、白い雲がキレイでした。





「こうほねの家」の中にあった四季の利尻富士の写真。
ビューポイントになっているそうです。



そして、豊富温泉に行きました。

Iさんが、お知り合いから聞いていて、機会があったら行こうと考えていた温泉です。

調べると、歴史的には新しいようですが、石油を掘っていて見つかったので、実際にお風呂場に入ってみると、いきなり石油の匂いがして、お湯にも油が浮いている感じで、苦手な人も多いかもしれませんね。
でも、アトピーに効くということで、実は人気の温泉で全国から湯治(とうじ)のために沢山いらっしゃるようですよ。

実際入ると、肌に膜が出来るような感じで、ずっと暖かかったです。



🌟大正 15年、石油の試掘の際に地下 800m から 900m の地点より、天然ガスと共に温泉が噴出したのがはじまりです。昭和 2年頃、草葺小屋を建てて地元の人達が温泉として利用するようになり、間もなく 8軒の旅館が開業して温泉街ができあがりました。

天然ガスは現在も、町営の日帰り入浴施設、ふれあいセンターのガス灯や温泉地区の暖房などに活用されています。


詳しくは、Iさんの記事で。

🐷豊富温泉

みんなで、湯上がりの牛乳を飲んで、稚内空港に向かいました。



そして、稚内空港からの飛行機の中での感動的な写真を、Iさんが写してくれました。

雲が無くなった利尻山。



四つの光が見えますね。





私達は、無事に東京に帰ることが出来ました。

旅の間中、本当に天気に恵まれてありがたいことですね。
いつもの旅は、ずっと運転しているIさんですが、今回はK会長が途中で替わってくれたので、だいぶ楽だったと思いますよ。

とはいえ、旅のプロデュースは、やっぱり完璧ですね。



そして、次の日に話してきたのは、イラタの神(天之御中主之神)でした。


続きます。
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北海道の旅 神様の話編

2018-11-23 07:30:00 | 日記
利尻島で泊まった夜中にツクヨムと話しましたが、次の日の朝に話してきたのは、ナシタの神(天照大御神)でした。


ナシタの神だ。
つーーーーいに、トナカイのソリが完成したな。
私も嬉しいよ。

はい、よかったです。

我が国に関係ないと思っていただろう。
サンタクロースの話だよ。

はい。

サンタクロースはいたのだ。
沢山の災いを集めていた。
集めて北極の氷に入れていた。
北極の氷が、温暖化とオゾン(層)の破壊で溶けてしまったので、災いも出てしまったな。
サンタクロースのソリが壊れて、トナカイもいなくなってしまった。
だから、ずっと七福神の布袋(ほてい)としていたのだ。
布袋は、だから「ぬのぶくろ」と書くのだよ。
今は、サンタクロースとして活動が出来るようになったので、布袋はいなくても大丈夫だよ。
布袋の代わりに吉祥天(きっしょうてん)が入ったからな。
女が二人の方がいいだろう。
昨日、忘れないで行ってくれた利尻山神社には、神が沢山集まったよ。
Iの祝詞をみんなで聞いていた。
私も行ったよ。
吉祥天も来てくれた。
だーーーーわしていた(待っていた)会津の魂も浄化された。
セナの神(ニギハヤヒ)が話したいと言っているよ。


私は、なぜナシタの神が会津の魂と言ったのかと思い、調べてみて、このことだったのかと思いウルッとしました。


🌟開港・通商を求めていたロシアは鎖国をつらぬく日本に対し、武力行使にでました。
文化3年(1806)ロシア海軍大尉フヴォストフの指揮する武装船が樺太のオフイトマリ、クシュンコタン(久春古丹)を襲撃。
翌文化4年(1807)4月北海道東海岸の択捉島を襲撃して4人を捕らえ、5月には樺太を襲い、6月には利尻島沖に停泊していた船を襲撃。上陸して運上屋、番屋などを焼き払います。 
江戸幕府は文化4年に津軽・南部・秋田・庄内藩に、翌文化5年(1808)津軽・南部・仙台・会津藩に出兵を命じました。
会津藩は1633名で樺太・宗谷・利尻・松前を警固しました。
利尻島には番頭梶原平馬景保を隊長とし252人(一説には320人余)が閏6月1日(新暦7月23日[土])に到着しました。 
利尻島には3ヶ所8基の墓が残されています。
利尻町は平成8年8月30日、会津藩士の墓を移設し「会津藩士顕彰碑」を建立しました。利尻を護ってくれた会津藩士の供養と歴史遺産を保存し、利尻島史を学んでいます。 
2008年は会津藩士蝦夷地警固200年の記念すべき年となります。

沓形字種富町にある会津藩士の墓の写真としてもっとも古いものが見つかりました。
墓のことは時雨音羽の『島物がたり』に「永く雑草の中にあって、その存在さえ忘られ勝ちであった」と書いています。
大正15年(1926)7月、墓のまわりの土手や道路が荒れていることから村の名誉にかけて墓を護っていこうと能越甚作沓形村長など15人が発起人となって改築寄付金が集められました。
改築工事したのは種屯内青年会です。
こうして完了した8月頃に墓の改築と藩士の慰霊祭が行われました。一枚一枚の写真が会津藩士の墓の歴史を物語っています。




そして、ナシタの神が言っていた、セナの神(ニギハヤヒ)が話してきました。


セナの神だ。
昨日はありがとう。
友達の輪の中心にある5人が来てくれたので、沢山神が集まっていたな。
Iはまた、トナカイの骨が腰に入ったよ。
トナカイの骨のことを伝えてくれてありがとう。
祝詞も素晴らしかったよ。
土地の浄化も出来たので、強くなったな。
私の分け御霊だから。。。
ラミル星のペガサスも変わらない愛の話に感動していたよ。


ニギハヤヒに、中心の5人と言われましたが、思い起こせば3年前の2月1日に江ノ島に集まった5人なのです。

私は、Iさんとは初対面だったのに、なぜか富士山の近くにいるK会長に来て欲しいと思って電話をしたのです。
K会長は、かなり無理をして来てくれたのですが、もう二度とみんなで集まることはないだろうと思っていたそうです。

それが、こんな繋がりになるのはやっぱり縁は不思議ですね。

私達が全員B型なのも笑えますよ。
B型は、群れるのが苦手ですからね。


さて、セナの神が言っていたペガサスも話してきました。


ペガサスだ。
昨日は楽しかったよ。

ペガサス様は、どこにいたのですか?

神居(カムイ)海岸にいたよ。
クナシリの神が泣いていたよ。
○(まる)がわかってくれる人が、いるとは思わなかったのだろう。
沢山の神達がいたので、私も驚いたよ。
利尻島は聖地だからな。


ペガサスが○と言ったのは、神居海岸の岩場の場所にあった丸い穴のことだと思いました。
富士山の頂上にある岩と同じで、振り子で聞きながら行った場所だったからですね。





上の写真は、後ろにいたみこちゃんが撮った物ですが、みこちゃんが言うには、勝手に連写になっていたそうで、後で見て驚いたということでした。



北海道の旅の最終日は、フェリーに乗って利尻島から稚内に行かないといけないので、早くから起きて支度をして、車を走らせて鴛泊(おしどまり)港まで行きました。

この日の利尻山も雲が掛かっていて、残念ながら頂上を見ることが出来ませんでした。






続きます。
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