「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

金沢の旅 その4

2020-01-30 07:30:00 | 日記
金沢のホテルに行く前に、みんなで食事に行くことになりました。

お店の予約までの時間に余裕があったので、長町武家屋敷通りを歩いて行きました。

私は写真を撮っていなかったので、みこカメラマンの画像です。







何とも、風情がありますね。


香林坊から歩いてすぐ、繁華街の近くとは思えないほど静かな長町界隈。
加賀藩士・中級武士たちの屋敷跡が残り、黄土色の土塀、石畳の小路などが当時の面影をしのばせます。
今も市民生活が営まれ、周辺には九谷焼のお店や飲食店も並びます。
長町武家屋敷跡は、昔ながらの街並みの中に現代の生活が自然に溶け込み、独特の風情が漂う魅力的なエリアです。


という通りで、九谷焼のお店に入って、拝見させて頂きました。


九谷焼というと、きらびやかな印象ですが、やっぱり高価な品物もある中で、若い作家さんの作品もあり、お手頃の物も結構ありましたよ。

予約のお店は、M川さんの行きつけの「源左エ門」さんでした。





お料理は、やっぱり金沢ならではの物で、おでんも独特ですね。
加賀野菜という、独自の野菜を使ったお料理は、とても美味しかったです。

私達は、一泊の旅行だったのですが、M川さんご夫妻は、2日ともお付き合いいただき、車で走ってくださりすっかりお世話になりました。

2日目はどうするかを相談して、整体のY先生がよく行かれるという、倶利迦羅不動寺(くりからふどうじ)と、スサノオノミコトが言ってきた、東尋坊(とうじんぼう)に行くことになり、食後はホテルまで送っていただきました。

ホテルは飛行機とセットで、みこちゃんが取ってくれたのです。
英語で書いてあって、よくわからなかったのですが、トリプルの部屋ではなく、隣り合わせのダブルベッドの二部屋だというのが、フロントで判明しました。

ということで、私とみこちゃんが同じ部屋に泊まることになり、ダブルベッドで寝るのは、人生で初めてだなぁと笑っていました。

やっぱり、ご多分に漏れず、中国からの観光客が多かったと感じますが、このホテルには大浴場が温泉になっていたのが良かったです。


さて、次の日はあまり天気は良くありませんでした。
小雨が降っていて、とにかく寒かったのですね。

M川さんご夫妻が迎えに来て下さり、まずは倶利迦羅不動寺に向かいました。

山の上にある場所で、またその上に階段をずっと上がって行くところでした。



🌟倶利迦羅不動寺(くりからふどうじ)は、石川県河北郡津幡町倶利伽羅にある高野山真言宗の別格本山である。
本尊は倶利迦羅不動明王。

倶利迦羅とはサンスクリット語の「kulihah」に由来する。
「福徳円満の黒い龍」を意味し、剣に黒龍が巻き付いた本尊の名前から倶利迦羅山と呼ばれるようになった。

この倶利迦羅不動明王は、日本では唯一の仏さまであり、当山創建以来、千葉の成田不動尊(千葉県)相模の大山不動尊(神奈川県)と共に日本三不動のひとつとされ、縁日の28日には多数の参詣者が訪れ、北陸はもとより全国の不動尊霊場となっている。


というところでした。

高野山真言宗ということで、空海に何が欲しいか聞いてみると、「柿」と言っていて、M川さんの奥様が、柿を用意して下さって、助かりましたよ。

朝から空海と話しました。


空海だ。

柿を持って行きますよ。

柿をくれるのか。
ありがとう。
M川(夫妻)は、いい人だな。

はい。

ずっと仲良くしたらいいよ。
宣伝してくれる人が増えるといいよ。


と、言っていました。


続きます。
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金沢の旅 その3

2020-01-28 07:30:00 | 日記
M川さんのご主人が連れて行って下さったのは、金剱宮(きんけんぐう)でした。

🌟金剱宮(きんけんぐう)は、石川県白山市鶴来日詰町にある神社。
旧社格は県社。
金剱神社、金剱明神、剱明神とも。

鶴来(つるぎ)の町の中心部に鎮座する。
近世に「金劔宮」と呼ばれるようになるまでは「劔宮」・「劔神社」と呼ばれ、「鶴来」の地名もこれに由来するとされる。

白山七社のうちの一つで、そのうち白山本宮(白山比咩神社)・三宮・岩本とともに本宮四社の一つにあたる。

【主祭神】
瓊々杵尊(ににぎのみこと)

【配神】
大國主神
大山咋命
日本武命
事代主神
猿田彦神


金剱宮は、M川さんが「金運」の神社とおっしゃっていたので、調べてみると、船井総合研究所の船井さんが紹介したことで、ソフトバンクの孫正義さんも、お参りしているようですね。

以前に、富士山の近くの新屋山神社(あらややまじんじゃ)に行った時も、船井さんの紹介でお参りする人が増えたとK会長が言っていたのを、思い出しました。

船井さんは、やっぱり影響力が高いのですね。
実は最近聞いた話ですが、船井さんの息子さんが、熱海の山の方にいて、講演会などをやっているそうですよ。
調べると「舩井幸雄記念館 桐の家」というところのようです。
熱海は、何か感じる場所なのかもしれませんね。

駐車場のところの紅葉がキレイでした。





丁度、突風が吹いて、あり得ないくらいの葉が、紙吹雪のようになっていて歓迎してくれたのかもしれません。

境内を歩いて行くと「バタバタ」と音がしていたので見てみると、男性の皆様が集まって、しめ縄を藁から作っているところでした。
音は縄になったところで、地面に打ち付けて締めているような感じでした。
時期的には、そういうタイミングだったのですね。



🌟影向石(ようごうせき)、神の依り代。
言い伝えでは金剱宮境内社頭のこの石は、古くよりこの石に神霊が降臨した影向石で、【天忍石】(あまのしのぶのいし)と呼ばれてきた(鶴来町誌 明治16年刊)。丒石(うし石、字は一に刃)という別名は形が小牛に似ているところからとも。

【義経由緒】文治2年(1186年)には、京都から奥州へ落ちる源義経主従が金剱宮に参拝し、夜通し神楽を奉納したと「義経記」に記されていて、義経奉納の太刀一口が有ったという口伝がある。
その折に境内のこの石に腰掛け、眼下に広がる平野や手取川を眺めたと伝えられる。


何となく、この石とその前にあった水場の【天の真名井】が大事なところかと思いました。

境内は沢山のお社があり、大きな神社でした。







やっぱり、時期的に紅葉の美しさに目を奪われますね。


さて、今回の旅の目的の一つに、金沢にいらっしゃる整体のY先生のところに行くということがありました。

私が、約5年前に会ったIさんが助けて貰ったと言っていたY先生は、みこちゃんの先輩ご夫妻のM川さんの美容室の近くで、よく診ていただいていたことを知った時は、やっぱり世間は狭いと思ったことでした。
なんと、座敷わらしのツカヘイを気視した方ですね。


🐷 大切なもの



Y先生は人気なので、なかなか予約が取れないと聞いていますが、M川さんのお陰様で、三人の予約を取っていただいていました。

1人30分3000円という、普通のマッサージの値段でした。
私が、初めに施術して頂きましたが、丁度この時は右腕が手を挙げると痛くて、それをすぐ治して頂いたのはありがたかったですよ。

右側の肋骨の辺りに固まりがあったようで、そこを揉みほぐすことが腕の繋がりだったみたいです。

次に、みこちゃんそしていくちゃんを施術していただいた後に、Y先生が小さなホワイトボードにそれぞれのことを書いて説明して下さいました。

私は、「水神、龍神、巫女」みこちゃんは「名主」いくちゃんは「川守り」と書かれて、先生には「阿武隈川」が浮かんでいたそうです。

阿武隈川の氾濫を防ぐためにみんなで相談しながら協力していたようですよ。

実際、前世のことは証明のしようもないのですが、一緒にいたからまたのご縁で会うようになるのかもしれませんね。

私は、初対面のY先生にやっぱり「巫女」だったと言われたりすると、このブログを始める前には思いもしなかったことでしたね。



金沢の夕方は、キレイな夕焼けでした。


続きます。
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金沢の旅 その2

2020-01-26 07:30:00 | 日記
皆様と一緒に白山比咩神社の拝殿でお参りをしました。



私はお守りが必要かを聞くと、やっぱり夫のためか、「病気平癒」のお守りをと言われました。
みこちゃんは、お札を代えるためだったし、いくちゃんには「縁結び」がいいと言われていくちゃんは喜んでいました。

「病気平癒」のお守りは昨年に行った椿大社と伊勢の内宮のがあるので、3つ揃ってパワーが増したようですよ。



その後は、Iさんが好きだと言っていた「禊場」に向かって行く前に、奥宮の遥拝所でお参りしました。







丁度、七五三のお祝いのお子さん達も沢山いましたね。

「禊場」は、人がほとんどいませんでした。
裏側の方なので、あまり知られていないようです。



私達は、M川さんが用意して下さった、いつも言われるお饅頭を供えてご挨拶していましたが、私はパワー当たりなのが、頭痛がしていました。



どうも、社の前にある白山の石のせいだったようです。



振り子で聞いてみると、プラス60になっていたからだと思います。





なんじゃもんじゃの木が、右側にありました。調べてみると、

明治時代、東京の青山練兵場(今の明治神宮外苑の道路沿いにこのなんじゃもんじゃの木があり、名前がわからなかったので「何の木じゃ?」とか呼ばれているうちにいつのまにか「なんじゃもんじゃ?」という変わった名前になってしまったそうです。

本当の名前は、一葉たご(ひとつばたご)というそうですよ。



帰りに寄った、神馬舎のお馬さんは、とても美しかったです。



🌟公式HPより

白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといわれる神馬の姿を、白山麓の大欅を素材に奉製。絢爛豪華な装飾が見事です。

もう、1時近くになっていたので、昼食は、参道の入口にある「おもてや」さんに。
大判焼きが人気で、待っている方が沢山いました。
調べると、まだ昨年からの営業のようでしたので、新しいカフェのようなお店でした。

私達は、美味しい定食を頂きました。



食後はM川さんのご主人が、次は近くの金運が上がるという、金劔宮(きんけんぐう)に行きましょうと、案内して下さいました。


続きます。

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金沢の旅

2020-01-25 07:30:00 | 日記
11月24日から25日に掛けては、ずっと以前から決まっていた、金沢に行っていました。

みこちゃんは、毎年白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)に行っていたのですが、私は行ったことがなかったので、いくちゃんも誘って三人で行くことにしていました。

丁度、夫が入院している時に行けて良かったです。

金沢には、M川さんとおっしゃるみこちゃんの美容師の先輩ご夫妻がいらっしゃって、2018年5月に十津川の玉置神社に一緒に行かせていただいたご縁で、昨年も奥様のご実家の秋田の旅を記事にさせて頂きました。

🐶 秋田の神様


この日も、小松空港まで迎えに来て下さるとのことで、本当にありがたいことでした。

みこちゃんが、飛行機往復とホテルのセットで予約してくれて、羽田空港から向かったのですが、満席で隣にいらしたご夫妻と少し話をすることが出来たのでわかったのですが、10月の台風の洪水で、北陸新幹線はかなりな打撃で、本数が減って予約が取れなかったそうです。
確かに、テレビに何度も新幹線が水に浸かった状態の映像が出ていましたね。

小松空港に着くと、日輪が、、、
私達三人は、わぁわぁ言って写真を撮っていると、職員の方が困ったような顔で、「閉めますので、すみませんが、、、」と言われてしまい、申し訳なかったでした。





そして、恐竜も出迎えてくれました。



M川さんご夫妻が迎えに来てくださり、まずはやっぱりの白山比咩神社に向かいました。







紅葉が本当に、美しい時期でしたね。







手水舎の上に、天皇陛下の歌がありました。

改めて、白山比咩神社を調べてみました。


🌟白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、石川県白山市三宮町にある神社。
式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、白山を神体山として祀る神社である。

主祭神は以下の3柱。

白山比咩大神 - 菊理媛神(くくりひめのかみ)と同一神とされる。
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)


広い平野から青く霞む山々の上に白く輝く白山(しらやま)は、古代から農作における水の恵みの神、神体山として遥拝され、沖の漁と航海には山だめの標であったと伝わる。

「白山(しらやま)さん」と大和言葉で親しまれ白山比咩大神様(しらやまひめのおおかみさま)を祀り白山本宮である加賀一ノ宮の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の創建は、社伝では神話の時代に近い崇神天皇7年(前91年) 舟岡山に「まつりのにわ」が祀られてからとされ、応神天皇28年(297年)に十八講河原に下り、洪水で度々流失した、と伝わる。
元正天皇の霊亀2年(716年)に勅命で他所より高い安久濤の森に遷り社殿造立があり、嘉祥元年(848年)45棟の社殿堂塔が整ったと伝わる。

平安時代、延喜年間の「延喜式神名帳には白山比咩(しらやまひめ)神社は加賀国 石川郡 10座中の筆頭に掲載される。


その後は衰退した時期もあったようですが、白山は富士山と同じように、遠くから見えたのでしょうし、やっぱり、神様は高いところにいると、昔の人々は知っていたのかもしれませんね。




続きます。
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アマテラス祝詞 2019

2020-01-23 07:30:00 | 日記
私とIさんとHさんとSさんは、熱海の私のマンションの部屋に集まり、不思議な話ばかりしていて、夜中にやっと温泉に入りに行きました。

男女で分かれて入っていたのですが、お風呂から出た後にSさんが湯当たりしたのか、かなり苦しんでいて、どうしたのかと心配していました。
しばらくして何とか部屋に戻ったのですが、やっぱりこれも浄化ということみたいでした。


私の部屋に泊まるのは、三人が限界だと思うのですが、昨年の「魂の会」の時はあくえり、ミワン、みこ、いくちゃんの五人いたなぁと思い返していました。
まぁ、その時期は暖かかったから大丈夫でしたけどね。

今回Iさんは、寝袋を用意して来てくれたので、四人で泊まることは出来ました。

そして、次の日の朝に、今度はIさんが苦しみ出しました。
両手の中指が痛いと言うのですね。
また、何かが入り込んだようです。

私が神様に聞いても、「ライオンの【す】が入った」とか言わず、Iさんもかなりの激痛にあまり聞いていないようでした。


ねーさん、痛いよー
今日は新しい祝詞を教えてもらいに来たんだよね。
それが大事だと思うんだ。


と、言われてそうだった!と思い、ナシタの神(天照大御神)に一言一言、濁点も含めて聞いていきましたが、
今までの祝詞の途中に合体した神様名の「レイ」と「サン」が入る箇所があったのですね。
そして他にも今までにはなかった短い言葉が入っていきました。


その後には、彼も少し落ち着いたので、いつもの「ジョナサン」に行って朝ごはんを食べて、またずっと四人で話していました。

当に、話は尽きないですね。

Hさんも、いろいろな場面で活躍している方ですが、最近今の時代には逆行するように、ノートに字を書くようにしている話をしていました。

私も、実際神様の話はノートにひらがなで書いてあるので、それをブログにすることで、記憶が繋がったりします。
書いてみることは大事なのかもしれないと思いました。

考えてみれば、子供の時、漢字も何度も書いて覚えましたよね。
今は、便利になり過ぎてネットですぐ調べられるので、しっかり頭に入っていかないのかもしれないです。

お昼頃まで、ずっと話してそれぞれ帰りましたが、Iさんの中指はどんどんひどい状態になっていたようです。

それでも、祝詞についてはいろいろ考えていました。

夕方のIさんの📩


新しい宇宙祝詞、
今、よく吟味しているんだけど、
よくわかってきた。

祝詞をもらいに熱海に行ったから、それを忘れていてはいけないね。
俺が整理して組み上げないといけないみたいだ。

しかも、、

すげー力だ。

宇宙祝詞だ。



2時頃に、指の写真を送ってくれましたが、やっぱり腫れているようですね。


ねーさん、
本当に洒落にならない。
左手動かなくなった。

右手も中指だけ腫れてる。

カナリまずい。


痛みは、ずっと続いて、収まるどころか、どんどんヒドクなっていったようです。
夜に送ってくれた写真を見ると、中指が膨れ上がっていますね。



夜のIさんの📩


足の時と同じように、激痛で寝込んでしまってる。

一時的なもので、
耐えれば治るのか、
何かしなければいけないことがあるのか?
教えてもらいたい。

祝詞が関係してるなら、
それも考えるし、
今新しい祝詞を唱えたけど。改善しない。

この状態ではなにもできないんだよ。

貰った祝詞の対価なのかなぁ、、

対価無きものはないと言う意味なのか、、


とにかく、相当な痛みと戦っているようでした。
私が、振り子を持つと話してきたのは、Iさんの大元の魂のライオンでした。


ライオンだ。
痛いのは、私の【す】が入ったからだ。
シンガポールで待っているよ。


やっぱり、同じ【す】が入ったと言ってました。
いつも、謎のことばかりです。

結局、あまりの痛さに日曜日に病院に行って、診察して貰ったそうですが、医師に痛風か感染症かと言われて血液検査などもしたそうですが、結局はわからないままだったようですよ。
とりあえず、3日くらいで治っていますが、いつも激痛と戦うIさんは本当に大変ですね。

私は手塚治虫さんのマンガで「どろろ」に出てくる百鬼丸のようだと思いました。
「どろろ」はほとんどの方は知らないと思いますが、、、


ライオンが言っていたシンガポールは、Iさんが仕事で暮れからカウントダウンのイベントのために行くことになっていたからでした。


しばらくして、続きます。

コメント (8)
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