「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

大滝神社

2024-09-14 07:30:00 | 日記
大滝神社の水源の上の方に登って行くと、古い祠と大きな石の上に「蠶影大神」と書かれた石がありました。





難しい字ですが、私はずいぶん前に筑波の「蠶影(蚕影)神社」に行ったことがあるので、わかりました。

「蠶」は「蚕(かいこ)」のことで「こかげ」と読みます。

記事を検索すると、2016年のことでした。


✩筑波山の話 その5



私は、最近テレビを観ていて、ちょっとビックリしたことがありました。

フジテレビ「さんまの東大方程式」にレギュラーのように出ている大津高志さんが、蚕の研究をしていて、筑波の「蚕影神社」の掛け軸を買ったと言っていたからです。

彼は、東大の大学院生でずっと蚕を研究しているのですが、最近蚕のアレルギーが出てしまったようですよ。


私達は、ここで挨拶をして、降りて行きました。 



水がキレイなので、汲みに来ている人達も沢山いて、ワサビ田もありました。


帰り道のトンネルです。


トンネルを抜けると、南アルプスの山並みがキレイでした。



Iさんが、途中で買ってきたチーズケーキとキレイな水を汲んでコーヒーを入れてくれました。



ここで、山並みを見ながらしばらくまったりして、東京に帰りました。

途中の空の様子は、天使の梯子も見られて良かったです。




次の日に話してきたのは、武田信玄でした。


武田信玄だ。
昨日は来てくれてありがとう。
不動明王のところにいたよ。
墓の表にあるからな。

やっぱり、そうでしたか。

Iが真言を言ってくれたな。

はい。そうでしたね。

利他の心でいてくれて、ありがとう。
(柳沢)吉保も喜んでいたよ。
明日から富士に行ってくるよ。
爆発しないようにしたいからな。
「甲斐の国」は、守らないといけないからな。
済んだことだが、織田信長と徳川家康は、終生のライバルだったな。
三河と尾張にいたことが大きかったと思うよ。
近いと鼻につくからな。
豊臣秀吉は、才覚があったが変わってしまったな。
老いは誰にもくるが、富を持つと誰も信用出来なくなってしまうからな。
私は「甲斐の国」の人達が幸せになって欲しいということだけだった。
(私が死んで)500年も経ってしまったのだな。
躑躅ヶ崎(つつじがさき)の城にも行っていたな。
大滝神社の神が話したいと言っているよ。


そして、蚕影(こかげ)の神が話してきました。


蚕影の神だ。
大滝神社に来てくれてありがとう。
コンコン湧いている水が大事なのだよ。
「甲斐の国」は、水害も多かったが、命の水があるからいいのだよ。

蚕(かいこ)の神ですか?

蚕の神でもあるのだよ。


武田信玄のところにやっと行けて、良かったみたいですね。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武田神社と大滝神社

2024-09-10 07:30:00 | 日記
私達3人は、恵林寺の後は武田神社に行きました。




武田神社は、武田信玄を祭っていますが、元々は武田氏のお城だったのですね。


🌟武田神社が所在する甲府市古府中町は甲府盆地北縁に所在する。
戦国時代の永正16年(1519年)に甲斐守護・武田信虎により居館(躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)、武田氏館)が築かれ、家臣団が集住して武田城下町が形成された。
以来信虎・晴信(信玄)・勝頼三代にわたって武田領国の中心地として機能し天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後もしばらくは政治的中心地であった。
豊臣大名時代には南方の甲府市丸の内に新たに甲府城が築城され、江戸時代にかけても甲斐統治の政治的中心地となったため、武田氏館は破却された。


とのことで、武田信玄は悪者にされたりしていたのですが、やっぱり見直され、武田神社となったようです。

いつの時代も、見え方で全然違うのだと思いますね。

前回の柳沢吉保の主君だった、徳川綱吉も、最近見直されているらしいですよ。






お城の名残りは、石垣で残っている感じだし、武田神社から真っ直ぐな道は、中心地だった場所と思いました。
 






この後、Iさんが連れて行ってくれたのは、大滝神社でした。



神社の鳥居をつくぐり、キレイな水の流れを見ながら進んでいくと、トンネルがありました。





ジブリの世界だねーと言いながら、トンネルを抜けると神社がありました。





神社のすぐ横の樋口から、水が流れていました。





大滝湧水という、水源ですね。
調べると、歴史も古いこともわかりました。


🌟大滝湧水は、1日に約2万2000トンを湧出する豊かな水源で、年間を通じて約12℃の水温が保たれています。
水田の灌漑やニジマスの養殖にも利用され、古くから地域の人々の生活を支えてきました。
神社の起源は3世紀後半の古墳時代にまで遡り、崇神天皇が巡視の折に湧水を称え、自ら壇を設けて祭祀を行ったといわれています。
1985(昭和60)年には、三分一湧水、女取(めとり)湧水とともに「八ヶ岳南麓高原湧水群」として環境省の「日本の名水百選」に選定されました。


とのことです。

私達は、水源の上の方に登って行きました。


続きます。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵林寺 その3

2024-09-07 07:30:00 | 日記
宝物殿の2階の資料の中に、柳沢吉保公のことがあり、なぜ武田信玄公の墓所の近くに柳沢吉保公の墓所もあるのかと思っていたので、改めて調べてみました。


柳沢吉保は、武田家の家臣を先祖を持つ人で、武田信玄を子供の時から、崇拝していたようです。

柳沢吉保が仕えていたのは、5代将軍徳川綱吉でした。

その頃、柳沢吉保が甲斐15万石の領主となりました。

甲斐の国は江戸の西を守る重要な場所だったため、徳川家以外の者が城主となることは本来許されませんでした。
しかし、綱吉の特別なはからいによって、武田家の家臣を先祖にもつ吉保が甲府城主となりました。

その時の喜びを吉保は、
「めぐみある 君につかえし 甲斐ありて 雪のふる道 今ぞ踏みみん」
とよんだそうです。

1709年(宝永6年)には、吉保の子・吉里(よしさと)が跡をつぎ、2代で20年間領主をつとめました。

甲府のまちの発展のようすは、
「棟に棟、門に門を並べ、作り並べし有様は、是ぞ甲府の花盛り」
と表現されました。

柳沢氏が領主を務めた20年間で甲府は大きく発展し、領民たちの生活は豊かになりました。

恵林寺には武田信玄公の墓があり、そのやや後方に柳沢夫妻の墓があります。
吉保は信玄の133回忌、吉里は150回忌の法要を執り行っていますが、このことからも柳沢氏の武田信玄への崇敬の念を知ることができます。


とのことで、柳沢家が甲府の町を発展させたようで、それも武田信玄公に対する思いだったようです。

私は、何となく柳沢吉保が、悪く描かれていると感じたので、その辺りも調べてみると、いわゆる「赤穂事件」の時の黒幕となっている感じになっていたり、「水戸黄門」のテレビドラマでも、悪役な感じで出ていたりで、刷り込まれた悪役のイメージだったのですね。

2014/4/2に書いた吉良上野介(きらこうずけのすけ)の記事にあったように、「忠臣蔵」の物語は、回りの人達を悪役にしていったのかもしれません。


☆吉良上野介(きらこうずけのすけ)の話



私は、宝物殿を出た後に、気になる雲を撮っていました。


記事を作るのに、ミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、

武田信玄が見に来ていたようだな。

と、言っていました。

Iさんは、武田信玄公のお墓も見たかったようですが、月命日の12日にしか開放はされていなかったので、近くに行くことにしました。

武田信玄を写した武田不動の明王殿を見てから、墓所の方に行きました。





近くにお酒を供えました。


前回に記事にしたあかりこさんは、郵送で武田不動の絵を私に送ってくださっていました。


熱海のお店に飾るように言われたので、飾りました。


私達は、墓所に行った後に丁度お昼だったので、Iさんが調べてくれた近くのほうとう屋さん「はやし」さんに行きました。





量が多いと思いましたが、美味しくいただきました。

食事後は、武田信玄ゆかりの武田神社に向いました。


続きます。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵林寺 その2

2024-09-04 07:30:00 | 日記
私達は、恵林寺の庫裏からの見学をしました。

始めの間から見えたのは、美しいお庭でした。
5月の新緑は、生命力に満ちていますね。





廊下の右側が本堂になっていて、左側は、方丈庭園です。




庭の背の高い松の上に庭師さんがいらしてお手入れをしていました。


私が寝込む前に、取り寄せていた「風林火山」のお酒と、Iさんが直前に買っていた信玄餅を置いて、お参りしました。


方丈の裏手の渡り廊下の奥に「うぐいす廊下」がありこの先は撮影禁止となっていました。

「うぐいす廊下」は、本当に沢山のキュッキュッと鳴る音がしていて、忍者さんも歩けないだろうと思います。

廊下の先に不動明王が祀られている「明王殿」があり、私達三人は座り、Iさんが不動明王の御真言を唱えてくれました。

丁度、誰も来ないタイミングで良かったですね。

その後は、「柳沢吉保(やなぎさわよしやす)」公と妻の墓所を見学して、庭園をしばらく見ていました。





始めの間から見えていた庭園ですね。
池には鯉が泳ぎ、菖蒲が咲いていました。
最後に大広間を通り、入口に戻ってきました。


外から庫裏を振り返りました。



私達は、その後宝物殿に向かい、見学しました。

撮影は禁止ですが、撮影出来たのは、入口の狼煙(のろし)と軍配のレプリカでした。





実は、4月にたまにブログに出てくるあかりこさんが、恵林寺に行っていて、📩と写真を送ってくれていました。


昨日は、ちょうど恵林寺に着いたときにM子さんから着信があったので、あまりのタイミングに鳥肌が立ちました(笑)
しかも、たまたま別用で山梨へ来れたのが、ご命日4/12「信玄公祭」の直後というタイミング(しかもコロナ中断で今回が久しぶりのお祭り再開だそう)で、なんとも有り難かったです。

武田信玄公の墓所「明王殿」には、生前のお姿を対面で写したとされる信玄公等身大の「武田不動尊像」が祀られていました。
その明王殿の前で、甲斐の国のお酒(その名もお館様!)を供えてお参りさせていただきました。
たとえ微力でも、気持ちが大事と思いまして。
明王殿の武田不動尊像が向いている方向に私も立ってみると、なんと地図でまっすぐ富士山と向かい合うことがわかって感動しました。
信玄公に富士山をお守りいただけますよう、私も心からお祈りしております。





これは、私も驚きました。
真っ直ぐ富士山を見ている位置ですね。


続きます。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恵林寺

2024-09-01 07:30:00 | 日記
私達(Iさん、Jさん、私)は、念願の甲州市にある恵林寺にやっと行くことが出来ました。

とても天気の良い日で、甲府盆地の回りを雲が囲んでいるけれど、真ん中がスポットのように開いている空模様でした。





まずは入口にある総門(黒門)をくぐりました。
私達は右側にあった松の木の美しさに驚きました。
能楽堂の絵で見るような松の木ですね。

IさんとJさんは、なんだか京都を感じると言っていましたが、中に進むとそれは余計強くなる感じでした。
 


この松の木も美しいですね。
木漏れ日の中を四脚門(赤門)に向かって歩いて行きました。







四脚門の近くにあった信玄餅屋さんで、Iさんは小さい信玄餅を買っていました。
四脚門を通ると、美しい庭園が続いていて、そこにある看板を読んで、IさんとJさんは、なぜ京都を感じたかわかったようです。



私は、改めて調べてみました。


🌟恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院。山号は乾徳山(けんとくさん)。臨済宗妙心寺派に属する寺院である。
甲斐武田氏の菩提寺として知られる。

鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂貞藤(道蘊)が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、五山派の「夢窓疎石」を招き開山。
二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる。

恵林寺は甲斐における臨済宗の中心となり、古先印元、青山慈永、龍湫周沢や絶海中津らが勅命を奉じて輪番住持となる。
後には足利義満により鎌倉禅林十刹に準ずる寺格を与えられた。
応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興し、京都から高僧が招かれる。


開山した「夢窓疎石(むそうそせき)」は、庭園の設計で有名だったそうで、下記の
庭園を設計したそうです。

*西芳寺庭園 - 京都市西京区。
世界遺産、国の特別名勝
*天龍寺庭園 - 京都市右京区。
世界遺産、国の特別名勝

永保寺庭園 - 岐阜県多治見市。
国の名勝
瑞泉寺庭園 - 神奈川県鎌倉市。
国の名勝
竹林寺庭園 - 高知県高知市。
国の名勝
恵林寺庭園 - 山梨県甲州市。
国の名勝
覚林房庭園 - 山梨県身延町。
町指定文化財ほか


だから、よく仕事で行っている二人が京都を強く感じたのですね。

私達は、次の門である三門をくぐりました。


左手には三重塔、正面には開山堂がありますが、どこを見ても美しいところでした。





右手奥にある庫裏(くり)から中を見学出来るようになっていました。







私達は、順路に沿って見学しました。


続きます。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする