5月5日の夜に、ららゆさみさんから📩が入りました。
こんばんは!ご無沙汰しています。お元気ですか?神様パワーで元気の事と思います
いつも、神様の御使いご苦労様です。
突然の事ですが、ひろみさんがこの連休に奈良から、蒲郡、砥鹿(とが)神社とこの辺りに旅行で来ていて不意の誘いもあって明日Oさんと一緒に(Oさんは蒲郡からご一緒の様です)砥鹿神社から奥宮を一緒に周る事になりました。
それで砥鹿神社の奥宮である本宮山の国見岩(くにみいわ)か国見岩の祠に何か持って行った方が良い気がするのですが神様は何かリクエストがあるでしょうか?
聞く事が出来たらで結構ですので良かったら聞いてみて下さい。
いつも唐突にお伺いして申し訳ないです。
Oさんは、前回にも出てきていましたが、平将門が前世だと言われて「平将門の首塚」に一緒に行きました。
ひろみさんは、昨年みんなで、荒熊神社に行った時に、清水宮司さんにも気に入られて、Oさんとも仲良くなっています。
ららゆさみさんとは、やはり荒熊神社でお会いしていたようで、この機会に一緒に巡ることになったですね。
私は、早く聞かないと間に合わないと思い、誰が話してくるのかな?と振り子を持ってみました。
砥鹿神社にいるのは、タマヨリヒメだよ。
オオナムチはいないよ。
どなたですか?
スクナヒコだ。
忘れているかもしれないが、オオナムチとは、親友だからな。
国見岩にいるのは、トガの神だよ。
罪穢れを祓ってくれるのなら、夏ミカンがいいよ。
タマヨリヒメ
タマヨリヒメです。
夏ミカンがいいです。
トガの神は、酸っぱい物が好きなのです。
トガの神
トガの神だ。
夏ミカンが好きだよ。
私は、ららゆさみさんに
夏ミカンがいいと言っています。トガの神がいるそうです。
と、伝えました。
今回、下書きをするので、砥鹿神社を調べてみました。
荒熊神社の清水宮司さんは、行者修行でいろいろな山に行っているのですが、砥鹿神社の奥宮の国見岩の場所もその一つだったそうです。
🌟砥鹿神社(とがじんじゃ)は、愛知県豊川市にある神社。式内小社、三河国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座する。
現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられている。
🌟祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
私は、スクナヒコが言っていた「オオナムチはいないよ」については、あまり回りに言えない話だと思いました。
「大国主」は役職名という話もあったので、トガの神が大国主だったのかもしれませんね。
オオナムチとスクナヒコは、親友というのは、なんとなくわかるので、一応そのままを記事にしています。
ららゆさみさん、ひろみさん、ひろみさんのお友達、Oさんは、国見岩まで夏ミカンを持って行っていたようです。

ひろみさんの📩
M子さん~🎵
奈良~蒲郡の旅から無事に帰ってまいりました。
走行距離1,250キロ!!
(山道はお友達が運転してくれました)
大神神社、長谷寺も素晴らしかったですが、Oさん、ららさんのサポートがまた素晴らしかったです✨✨✨
M子さん、
あらためて素敵な繋がりをありがとうございました✨✨✨
さて、5月6日の朝に話してきたのは、Oさんの前世だと何度も言われた、平将門でした。
私が前日に大手町の首塚に行ったので、話してくれたようです。
忘れないで来てくれてありがとう。
どなたですか?
平将門だ。
都会では自殺する若者が増えているーーと、歌ったのは誰だ?
井上陽水ですよ。
そうか。わかってくれてありがとう。
都会は、住みにくくなっているな。
土がないからだと思うよ。
わからないと思うが、忘れてしまったと思うが、魂はもがいているのだよ。
轍(わだち)が出来ないといけないからな。
実の轍(さねのわだち)だよ。
真実の轍が出来ないのは、土が無くなったからだな。
去り行く人達は、新たな道を探さないといけないので、私のところに捨てに来るのだよ。
団塊の世代は、ずっと競争の中にいたからな。
我が国は、いつの間にかスミで塗られたことを気付かないでいるが、仇討ちのようなことは、ずっとあったのだ。
生きるためには、消さないといけなかったからだな。
宝だよ。M子は。
スミで消されたことに、「実の轍」はあるからな。
平将門は、わかったようなわからないような話をしていました。
団塊の世代は、終戦から5年くらいの間に生まれた人達ですね。
もう、第二次世界大戦から70年を越えてしまったので、団塊の世代の人達も70才近くになっています。
人数が沢山いたので、日本の高度成長にはずっと競争してがんばっていた人達でもありますね。
「さねの轍」という言葉は以前も出てきましたが、またきっと出てくる言葉だと思います。
🐶首塚に行く準備 その2
続きます。
こんばんは!ご無沙汰しています。お元気ですか?神様パワーで元気の事と思います
いつも、神様の御使いご苦労様です。
突然の事ですが、ひろみさんがこの連休に奈良から、蒲郡、砥鹿(とが)神社とこの辺りに旅行で来ていて不意の誘いもあって明日Oさんと一緒に(Oさんは蒲郡からご一緒の様です)砥鹿神社から奥宮を一緒に周る事になりました。
それで砥鹿神社の奥宮である本宮山の国見岩(くにみいわ)か国見岩の祠に何か持って行った方が良い気がするのですが神様は何かリクエストがあるでしょうか?
聞く事が出来たらで結構ですので良かったら聞いてみて下さい。
いつも唐突にお伺いして申し訳ないです。
Oさんは、前回にも出てきていましたが、平将門が前世だと言われて「平将門の首塚」に一緒に行きました。
ひろみさんは、昨年みんなで、荒熊神社に行った時に、清水宮司さんにも気に入られて、Oさんとも仲良くなっています。
ららゆさみさんとは、やはり荒熊神社でお会いしていたようで、この機会に一緒に巡ることになったですね。
私は、早く聞かないと間に合わないと思い、誰が話してくるのかな?と振り子を持ってみました。
砥鹿神社にいるのは、タマヨリヒメだよ。
オオナムチはいないよ。
どなたですか?
スクナヒコだ。
忘れているかもしれないが、オオナムチとは、親友だからな。
国見岩にいるのは、トガの神だよ。
罪穢れを祓ってくれるのなら、夏ミカンがいいよ。
タマヨリヒメ
タマヨリヒメです。
夏ミカンがいいです。
トガの神は、酸っぱい物が好きなのです。
トガの神
トガの神だ。
夏ミカンが好きだよ。
私は、ららゆさみさんに
夏ミカンがいいと言っています。トガの神がいるそうです。
と、伝えました。
今回、下書きをするので、砥鹿神社を調べてみました。
荒熊神社の清水宮司さんは、行者修行でいろいろな山に行っているのですが、砥鹿神社の奥宮の国見岩の場所もその一つだったそうです。
🌟砥鹿神社(とがじんじゃ)は、愛知県豊川市にある神社。式内小社、三河国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
本宮山(豊川市・岡崎市・新城市の境、海抜789メートル)の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座する。
現在も砥鹿神社奥宮が鎮座する本宮山は東三河地方では中心的な孤峰であり、山中には磐座、山麓には古墳群の分布が知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられている。
🌟祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)
私は、スクナヒコが言っていた「オオナムチはいないよ」については、あまり回りに言えない話だと思いました。
「大国主」は役職名という話もあったので、トガの神が大国主だったのかもしれませんね。
オオナムチとスクナヒコは、親友というのは、なんとなくわかるので、一応そのままを記事にしています。
ららゆさみさん、ひろみさん、ひろみさんのお友達、Oさんは、国見岩まで夏ミカンを持って行っていたようです。

ひろみさんの📩
M子さん~🎵
奈良~蒲郡の旅から無事に帰ってまいりました。
走行距離1,250キロ!!
(山道はお友達が運転してくれました)
大神神社、長谷寺も素晴らしかったですが、Oさん、ららさんのサポートがまた素晴らしかったです✨✨✨
M子さん、
あらためて素敵な繋がりをありがとうございました✨✨✨
さて、5月6日の朝に話してきたのは、Oさんの前世だと何度も言われた、平将門でした。
私が前日に大手町の首塚に行ったので、話してくれたようです。
忘れないで来てくれてありがとう。
どなたですか?
平将門だ。
都会では自殺する若者が増えているーーと、歌ったのは誰だ?
井上陽水ですよ。
そうか。わかってくれてありがとう。
都会は、住みにくくなっているな。
土がないからだと思うよ。
わからないと思うが、忘れてしまったと思うが、魂はもがいているのだよ。
轍(わだち)が出来ないといけないからな。
実の轍(さねのわだち)だよ。
真実の轍が出来ないのは、土が無くなったからだな。
去り行く人達は、新たな道を探さないといけないので、私のところに捨てに来るのだよ。
団塊の世代は、ずっと競争の中にいたからな。
我が国は、いつの間にかスミで塗られたことを気付かないでいるが、仇討ちのようなことは、ずっとあったのだ。
生きるためには、消さないといけなかったからだな。
宝だよ。M子は。
スミで消されたことに、「実の轍」はあるからな。
平将門は、わかったようなわからないような話をしていました。
団塊の世代は、終戦から5年くらいの間に生まれた人達ですね。
もう、第二次世界大戦から70年を越えてしまったので、団塊の世代の人達も70才近くになっています。
人数が沢山いたので、日本の高度成長にはずっと競争してがんばっていた人達でもありますね。
「さねの轍」という言葉は以前も出てきましたが、またきっと出てくる言葉だと思います。
🐶首塚に行く準備 その2
続きます。