お食事の後に、荒熊神社の拝殿まで階段を昇って行きました。
みんなで並んで伊勢神宮の方向に、ご挨拶しました。
思えば、約5年前に荒熊神社の存在も知らずに「ふるべの鈴」を求めるように言われて、Iさんと私は初めて清水宮司さんとお会いしました。
K会長は、ここに来るのが初めてだったので、Iさんに言われるままに、鈴を頭上で鳴らしていました。
みんなで並んで伊勢神宮の方向に、ご挨拶しました。
思えば、約5年前に荒熊神社の存在も知らずに「ふるべの鈴」を求めるように言われて、Iさんと私は初めて清水宮司さんとお会いしました。
今回は、K会長のために「ふるべの鈴」を授けてくださるとのことで、私達みんなで宮司さんと禰宜さんの後ろに白い帷子(かたびら)を着せていただき座っていました。
ご祈祷が始まり宮司さんに降りる神様は、その時によって違うようですが、この時は奥津彦(おくつひこ)の神様が降りていらっしゃいました。
奥津彦の神は、竈(かまど)の神様でK会長は、板前さんなのでやっぱり合っている神様だったのだと、記事を作るのに調べて思いました。
禰宜さんに促されてK会長は、宮司さんの前に座り、鈴を授けてもらい、次に私が呼ばれました。
宮司さんは、布で出来た巻物のような物を持っていらして、私の手の上に置いて、奥津彦の神様から「これからも宮司を助けてやって欲しい」ということを言われ、私はお話しを聞いていて、涙が流れました。
次にIさんが呼ばれ、今度はその巻物で両方の肩の辺りを何度も叩いていて、前が終わり後ろもという感じでした。
次にみこちゃんも呼ばれて、Iさんほどではなく叩いていただいていて、やっぱり朝から憑いてきただろう何者かを祓ってくださったのだと思いました。
午前中、いらしていたご夫妻のご祈祷の時には、釣り師のOさんもいきなり神様に呼ばれ、やっぱり祓っていただいたようです。
宮司さんには特に話していなかったらしいですが、しばらく具合が悪かったそうですよ。
霊障は、病院に行っても、異状なしと言われるのがオチで、わかる人ではないと治せないことなので、憑かれやすい人は大変だと思いますね。
儀式が終わり、奥津彦の神様も帰って行かれて、宮司さんは元に戻りました。
神様を降ろしている間のことは、全然覚えていないそうです。
厳しい修行をして出来ることですね。
お食事の時に、宮司さんのお師匠様の話も出て、その方は座ったまま宙に浮いていたそうで、「それは修行しても私には出来なかったし、この目で見ているのでやっぱり凄かったですよ」とお話しされていました。
みこちゃんがお友達のお守りを頼もうと禰宜さんにお話しすると、お守りはその人の手のひらのサイズで作っているそうです。
本当にご丁寧なやり方なのだと思いました。
この日には家に帰らないといけないので、駐車場で、釣り師のOさんとK会長とお別れしました。
Iさんは、朝はやっと運転していましたが、帰りは問題なくなっていて、良かったのですが、名古屋に近づいた時に仕事の電話が入ったりしていて、邪魔になりそうだったので、私とみこちゃんは名古屋の駅前で車を降り、まだ電話中だったIさんに手を振って地下から駅に向かいました。
みこちゃんは、私の荷物を持ってくれたりして、年寄りを労って駅まで来ると、すぐに「のぞみ」が来て自由席に座った瞬間に、
あれっ?私リュック持ってないですね。
あ!本当だ。
降ります。
と言って、歩いて行きましたが、もう新幹線は走り出していて戻って来ました。
次は新横浜なので、Iさんに伝えるとまだ仕事があって、1時間半後になるとのことだったので、みこちゃんは新横浜の駅で待つことになりました。
荷物は、Iさんが持って来てくれて、なんとか助かりましたが、Iさんはまた足が痛み出していて、その後3日くらい痛みが続き寝込んでいて、やっぱりお城は彼にとっては、大変な場所なのだと思いました。
以前に、網走刑務所に行った時も、しばらく大変だったことも、思い出しました。
この時は、5日間でしたね。
🐷 痛み、地の塩
🐶 網走の話 その3