
一言では 寂聴さんへのお別れは表せない でも一言お礼を書かねば
瀬戸内晴美さん時代の いわゆる大衆小説
私 若かりし頃 読むエネルギーも旺盛で 作品を片っ端から読破
寂聴さんとして剃髪が51歳 天台宗の尼僧になった瀬戸内さんは
やはり作家の今東光僧侶貫主から「寂聴(じゃくちょう)」の法名を受けられる

その後の精力的な仏門活動 仏門に入られても寂聴さんは
華がありましたね むしろいろんな活動が華を添えたのでしょうか
話題がありました マスコミもよく取り上げて報道でした
寂聴さん俳句集 「ひとり」の句に
* 子を捨てしわれに母の日喪のごとく
* 仮の世の修羅書きすすむ霜夜かな
亡くなられ しみじみと寂聴さんの句が沁みます
いまはとんと ワタクシ読書が目に苦痛になりました
今だったら穏やかな日々 新聞 庶民の広場欄を楽しんで読む嗜好
寂聴さん さようなら ありがとうございました
それだけ文学性に富み話題性に富み影響力をお持ちの方でした。
99歳 ... わが母の二週間後のお生まれです。
較ぶべきもないのに つい!わが母と較べてしまいます(笑)
市井に埋もれ生きてきた母と較べ
寂聴さんの 経歴・業績・エピソードに... 改めて奔放な生涯と存在感を思います。
原発反対でも積極的に発言された由。
しかし佐高信さんにかかると ボロクソ!です。
寂聴さんは 原発反対の人と話すと反対運動に同調し、
原発推進派の有名人と対談すると「原発も進めなくては」と仰る えぇ加減な人!と。
まぁ様々な意味で「懐の広い」方でいらっしゃったと思います。
唯一!生きた日数で寂聴さんを上まわったわが母、
寂聴さんより更に長く 寂聴さんの分も生きてほしいと願っています。
デ某さんのお母様も寂聴さんとお年は同じ
99歳と単に言いますがお母様にも守るべき修羅場いくつかはあられたでしょう
「それでええ それでええがな」のお優しきお父様の連れ合いですもの
99歳まで生きるって一筋縄ではいかないと感服致します
説法をする僧は 結構その場の雰囲気でもの言いますよね
案外といい加減な説法です(笑い)
死にたいと言うひとには 死んだらいけません生きるのですと
哀しみの人には思いっきり泣きなさい その後にはしっかり生きるのですと
説法の定義はないのかも
その定義の無さは 優しさの滲みかも 答えかも
僧侶とはそんなものではないかしら (怒られるかな)
今回のブログは寂聴さんに有難う お疲れ様でしたを言いたかったのですよ
コメントの寂しい 徒然ブログ
デ某さんコメント有難うございました