日常で引き起こっている何か(知覚)によって
「私は、今、この感情を感じている」
と、自我は信じさせ
この世界の夢見に私たちを縛りたがっています。
でも、本当に
今目の前に現れている状況を「どう認識・知覚するか?」は
実は、それ以前にすでに感じている
「感情」によって後付けで決まっているようです。
そうでなければ、Etty Hillesumがアウシュビッツでガス室に送り込まれる車の中で
慈悲と愛を感じるはずがないですよね。彼女は知覚の世界が感情の原因ではないと実証する証人ですね。。
奇跡に難しさの序列の差はないとしても
アウシュビッツのそれとは比べものにもならないストーリーですが、、
大型車が家に突っ込んできても被害者にならない。感謝を感じる。
という知覚や感情が起きるはずもないわけで
やはり
①最初に「自分がどのような者でありたいか」という願望があり
②次に、それについてのガイド役(聖霊か自我)にガイドを求め、そこに信を与え
③その声の通りに思考し
④その思考の通りに感情を感じて
⑤その思考と感情の通りに知覚する。
というカラクリが、マジで起きているのだ、、
と教えてもらい学ぶことができるとしたら
これ以上にありがたく、嬉しいことは無いのではないか?
そう思うのです。
平安へのツール「心のレベル」5つのステップの解説【デイヴィッド・ホフマイスター】
https://levelsofmind.jp/instrument-for-peace/
心のレベル(階層)をさかのぼる ー 知覚から真の欲求へ ー デイヴィッド・ホフマイスター
「私は、今、この感情を感じている」
と、自我は信じさせ
この世界の夢見に私たちを縛りたがっています。
でも、本当に
今目の前に現れている状況を「どう認識・知覚するか?」は
実は、それ以前にすでに感じている
「感情」によって後付けで決まっているようです。
そうでなければ、Etty Hillesumがアウシュビッツでガス室に送り込まれる車の中で
慈悲と愛を感じるはずがないですよね。彼女は知覚の世界が感情の原因ではないと実証する証人ですね。。
奇跡に難しさの序列の差はないとしても
アウシュビッツのそれとは比べものにもならないストーリーですが、、
大型車が家に突っ込んできても被害者にならない。感謝を感じる。
という知覚や感情が起きるはずもないわけで
やはり
①最初に「自分がどのような者でありたいか」という願望があり
②次に、それについてのガイド役(聖霊か自我)にガイドを求め、そこに信を与え
③その声の通りに思考し
④その思考の通りに感情を感じて
⑤その思考と感情の通りに知覚する。
というカラクリが、マジで起きているのだ、、
と教えてもらい学ぶことができるとしたら
これ以上にありがたく、嬉しいことは無いのではないか?
そう思うのです。
平安へのツール「心のレベル」5つのステップの解説【デイヴィッド・ホフマイスター】
https://levelsofmind.jp/instrument-for-peace/
心のレベル(階層)をさかのぼる ー 知覚から真の欲求へ ー デイヴィッド・ホフマイスター