私たちは、外側(偶像)から認めてもらったり
愛されることが必要だと、とても信じている。
その理由は
外側が自分を認めない可能性があるとか
外側が自分を愛さない可能性があるとか
ではなく
自分が自分を認めていなくて
自分が自分を愛していないから
拒絶しているから、
自分の中に巨大な罪悪を見て信じているからだった。
巨大な穴を、偶像で穴埋めする必要があると、とても信じている。
"罪悪"が存在可能だと相当信じているし
信じていることを自分自身に隠し続けてきた。
誰かに理解されたり、認められたり、愛されるように
何か努力することでは
"恐れ"は取り消されない。
巨大な穴は、外側にあるわけではなく内部にある。
だから
自分が自分を認めて、愛してあげることが
何よりも大切だ。ということ
言いかえれば
「自分を裁くのをやめる」という言葉になる。
そうしていればこそ
自分だけではなく
全体のために、いかようにでも遣われようと心底思えるのだろう。
そのためには
聖霊の目線を受け入れるしか方法がない。
それ以外に、いかなる手段もないだろう。
全ては自分の心の中にあるんですよね。
自我が最も嫌がる場所に 笑
ありがとうございます🙏
全ては自分の心の中にあるんですよね。
自我が最も嫌がる場所に 笑
ありがとうございます、