「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

大阪24区を歩く~7つの渡しが結ぶリトル沖縄「大正区」

2013-09-20 21:30:09 | 日記
訪問日:平成26年7月26日(土)
出 発:地下鉄「大正駅」
到 着:JR「大正駅」

 淀川の中洲に発達した大阪に大正4年、巨大な橋が架かる。後に大阪市電も走る全長80mのその橋は、日本一のアーチ橋として、架けられた年代から「大正橋」と命名された。そして昭和7年「港区」から分区して誕生したその区は、その橋名から「大正区」と名付けられた。
 大阪港と「木津川」「尻無川」そして運河に囲まれ、4つの島(埋立地)に分けられた「大正区」は完全な「諸島」である。戦後、多くの橋が架けられたが、今でも7つの渡し船が区民の足として運行されている。また、大阪湾に沿った町は、阪神工業地帯の中核として発展、職を求めて多くの人が集まった。中でも沖縄から多くの人々が移住し、人口約6万9千人のうち4分の1は、沖縄にルーツを有する人々だ。区内には、沖縄料理、食材を扱う店も多く並ぶ。南国情緒もトロピカルな雰囲気もないが「リトル沖縄」として発展した街を歩く。ただし、大阪市の今日の最高予測気温は「37度」。沖縄より暑いぞ!


 地下鉄長堀鶴見緑地線「大正駅」。これまで何回か利用した線である。すぐ上にはJR大阪環状線「大正駅」がある。どちらの駅をスタート地点にしても良かったのだが、発着点を違う駅にするため、この駅を午前10時20分、スタートする。
 

 ここは、大正区の最北端に位置する。そして4つに分かれた「大正諸島」の本島にあたる部分。駅から北に進み「大正橋交差点」を右に曲がれば、区名の由来となる「大正橋」が架かる。
 

 現在の橋は、昭和49年に架けられた2代目だが、初代大正橋は、当時、日本最長のアーチ橋であり、橋のたもとには記念碑が建てられている。
 

 大正橋から南へ。JR「大正駅」北側の「大正駅前商店街」をブラブラ。ここは、区一番の繁華街だ。
 

 場所柄、沖縄に関する店が多い(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「コラム『大阪の中のオキナワ』」参照)。
 

 

 

 大正駅東側のガードをくぐり駅南側へ。ここにも沖縄料理屋さん。
 

こんなお風呂屋さんが残っているんだな。
 

 「大浪通」を越えて少し進むと「八坂神社」。
 

 正保4(1646)年、京都祇園社を分霊し「素戔嗚尊」「天之穂日命」「応神天皇」を祀る。今日一日の安全を祈願する。
 

 参拝を終え「市立三軒家東小学校」の横を通って、神社南にある「三軒家公園」へ。
 

 公園の一角に「近代紡績工業発祥の地」碑。明治16年7月、「大阪紡績会社」が操業を開始。夜間、電灯に照らされた工場は「東洋のマンチェスター」と呼ばれたという。昭和20年3月、空襲により焼失。
 

 公園内にある「大正警察署三軒家東警ら連絡所」向かいの道を南に進む。
 

 

 ここにも「八阪神社」。先ほど訪れた「八坂神社」が「上之宮」であるのに対して「下之宮」である同社は「阪」と書く。
 

 寛永2(1625)年、「素戔嗚尊」を勧請し創建された。
 
 
 国道43号線を越えると「千島」の町。町工場が並ぶ。
 

 ゴルフセンターの西側を抜けていく。
 

 ゴルフ練習場南の小さな公園に「栗本鐵工所発祥の地」碑。明治42年、栗本勇之助翁により創業され、平成14年、閉鎖されたのに伴い建立された。
 

 しばらく歩くと「落合上渡船場」。
  

 船着場の北側には巨大な「木津川水門」。そして左の「三軒家水門」から600mほどの「三軒家川」と呼ばれる運河が引き込まれる。水運華やかなころ、多くの船が出入りし、貨物を運んだのだろう。
 

 大正区は、大正橋が架けられた後、昭和12年、約500m下流に「大浪橋」が架けられるまで橋はなく「陸の孤島」であった。そのため「渡し船」が運行され、今も7つの「渡し」が残る(野里町歩紀~摂河泉をゆく~「市民の足『川底トンネル』と『八つの渡し』」参照)。大正区の東を流れる「木津川」。対岸は「西成区」だ。
 

 「渡し」には乗らず、西へ進む。前には、こんもりとした「山」が現れる。
 

 地下鉄工事の残土などで造られた人工の山「昭和山」を中心に広がる「千島公園」。
 

 結構、緑豊かな公園だ。
 

 標高33m。大阪にいくつかある「低山」のひとつである。
 

 結構、眺めは良く、この後、渡る「千歳橋」方面を望む。
 

 ちょうど区の中心に位置することから周辺には区役所や保健センター、コミュニティーセンター、警察署などの公共施設が集まる。
 

 公園の西側には「大正通」。区内を南北に貫く大動脈だ。大阪では、南北に走る道を「筋」というのだが、市中心部を外れると道は放射線状に走るので原則通りにはいかない。
 

 「区役所前」の信号で「大正通」を渡り南へ進むと「大阪沖縄会館」。
 

 頭に「大阪」と付くことから、ここは大阪府内に居住する沖縄出身者の親睦団体なのだろうか。というのは、区内には別に「大正沖縄会館」という施設があるのだ。
 

 少し南に下り「大正警察署前」の信号で再度「大正通」を渡り、「千島公園」を左に見ながら東へ進む。
 

 途中、右折し「小林公園」を横切る。
 

 公園を抜けて東に進めば「落合下渡船場」。
 

 同じく「木津川」を渡り「西成区」と結ぶ。
 

 船着場を後に西へ戻る。この辺りは「平尾」の町。町の中心にある「平尾公園」の横を抜ける。「平尾」は、隣接する「南恩加島」とともに沖縄出身の人々が多く住む。
 

 「萬歳湯」。これもレトロな銭湯だ。
 

 すぐに「サンクス平尾」というアーケード街が現れる。
 

 この商店街には、沖縄料理の食材などを扱う店がたくさんあり、テレビにもよく登場している。
 

 

 「大正愛らんど」やっぱり「島」なんだな。
 

 アーケードを抜け右へ。通りに出れば右に「大正沖縄会館」。入口には「シーサー」が並ぶ。
 

 会館の向かいには「沖縄そばピコ」。時間は、午後12時15分。
 

 せっかく大正区に来たのだから「ソーキそば(700円)」を注文。
 

 付近には「沖縄料理店」も多い。
 

 食事を終え南へ。「南恩加島」の町に入る。「大正通」を挟んで1丁目から7丁目まである大きな町だ。ここにも沖縄出身の人たちが多く住む。「恩加島」と書いて「おかじま」と読む。
 

 「大阪製鐵」という大きな工場を過ぎると公園の奥に「南恩加島天満宮」。
 

 菅原道真をお祀りし御神牛像もある。鳥居がひさしを突き抜けている。
 

 公園北側の工場と工場の間を抜けていく。
 
 
 信号を右に曲がれば「千本松大橋」という大きな橋が架かる。両端がループ状になった広島県の音戸大橋のような橋だ。その形から「めがね橋」とも呼ばれる。
 

 その下に「千本松渡船場」。
 

 昭和48年10月、「千本松大橋」が完成した後も「渡し」は健在だ。「木津川」を渡り「西成区」と結ぶ。
 

 「千本松大橋」から西へ。「大正通」が西へ直角に曲がる「大運橋交差点」で左折、南下する。
 

 「大船橋」という橋で「木津川運河」を渡る。
 

 ここは、「木津川」と「木津川運河」に囲まれた「離島」で、「中山製鋼所」と「日立造船」及び関連企業で占められる工場地帯である。
 

「工場萌え」にはたまらない風景だろう。
 

 巨大なプラント群。
 

 途中、左に「新木津川大橋」。全長2.4kmの大きな橋である。大正区側はループ状になっている。
 

 ここには、かつて「木津川飛行場」という民間飛行場があり、東京や福岡との間に定期便があったようだが、今は橋のフェンス横に案内板と碑が残るだけだ。
 

 かなり大きな橋だが「歩道」がある。
 

 ここから南に下がれば「新木津川大橋」のたもとに「木津川渡船場」。
 

 「木津川」河口で対岸は「住之江区」。住之江区側は、真っ直ぐに伸びている。
 

 今日は「猛暑日」。トータルで4リットルの水分を補給した。市内は、いたるところに自販機があるので助かる。
 

元の道に戻り左折。「中山製鋼所第4工場」に沿って西へ進み、「日立造船」に突き当たりれば右折。
 

 突き当たりが「船町渡船場」。ここで10分ほど「船待ち」をする。
 

 天井には涼しげな風鈴の音。
 

 熱中症予防のためだろう「うちわ」が置かれていた。
 

 対岸から「八坂丸」がやってくる。
 

 今日、初めて「渡し」に乗り、折り返し「木津川運河」を渡る。「渡し」のうち最も短い距離(約60m)だ。
 

 対岸は「鶴町」。ここも区最西端に浮かぶ「離島」である。「大正通」を渡る。
 

 「鶴町」の特徴は、大きな市営住宅があり、結構、人口が多いということだ。この小さな「島」に小学校が2つある。
 

 北に進み「南福橋」という小さな橋を渡る。実は、鶴町は1丁目から5丁目まであるのだが5丁目のみがさらに「福町入堀」という運河で隔たれ「小島」になっているのだ。
 

 「島内」には、工場や倉庫が並ぶ。
 

 「西福橋」で「福町入堀」を渡り、鶴町の「島」に戻る。
 

 橋を渡り「市立福町小学校」を過ぎれば、公園の片隅に「神明神社」。
 

 「神明」の名の通り、天照大神をお祀りする。
 

 そのまま真っ直ぐ抜けると埋立地に至る。前方には、平成7年2月に完成した「なみはや大橋」がそびえる。全長約1.7kmの有料橋である。有料だが「人道橋」も併設され「港区」と結ぶ。その奥は、阪神高速が走る「港大橋」。
 

 市営住宅の間を抜け東に進む。
 

 岸壁には「千歳渡船場」。大阪港のうち大正「諸島」に囲まれた「内海」部分は「大正内港」と呼ばれ、内航路や艀(はしけ)の拠点となっている。この「渡し」は、唯一、川(運河)ではなく港の中を運行する。距離は340mで「渡し」中、最長だ。
 

 ここも頭上に、平成15年3月、「千歳橋」という大きな橋が架けられた。
 

 「渡し」の上を走る「千本松大橋」「新木津川橋」「千歳橋」とも人道橋であり、すべて歩道と階段、自転車用のスロープが設けられている。しかし、いずれも大型船が航行するため橋桁を高くせざるを得ず、かなりの高さになるため、人々は橋を渡らない。そのため「渡し」が健在するのだ。しかし、今回は、あえて「渡し」には乗らず、この階段を上って橋を歩く。
 

 「橋上」を歩く。
 

 振り返ると、先ほど歩いた「鶴町5丁目」が「大正内港」に浮かぶ「島」であることがわかるだろう。
 

 「大正内港」と呼ばれる埠頭。奥に見える小山は、午前中に登った「昭和山」である。
 

 そして西には、さらに「咲洲」という人工島が続き、多くの橋が架かる。
 

 歩行者・自転車用のスロープを下る。この間、誰ともすれ違わなかった。そりゃそうだろう。そんな「変人」は「歩紀人」くらいだ。
 

 10分ほどで「大正本島」に戻ってきた。ここは「北恩加島」。先ほど訪ねた「南恩加島」とは「大正内港」を隔てて随分離れているのに同じ行政区名を使用している。これは、かつて新田開発した「岡島」という人の姓を地名としているかららしい。
 

 「大正内港」の岸壁沿いは「マリンテニスパーク北村」というテニスコートになっている。向こうには、さっき歩いてきた「千歳橋」が見える。
 

 「北恩加島」2丁目から1丁目に入ると西側を流れる「尻無川」の堤防に「甚兵衛渡船場」。今日、最後の「渡し」だ。あと1つ「天保山渡し」があるが、大正区を発着地としない(「港区」編参照)。
 

 大阪市内の渡し船は、「木津川渡し」が「港湾局」で他は「建設局」の管轄となる。いづれも「交通局」ではない。つまり「渡し」は交通機関ではなく、すべて道路の延長とみなされ、人と自転車は乗客ではなく、歩行者として「無料」で乗船できるのだ。
 

 「泉尾」の町へ入り、府立大正高校前を抜ける。
 

 「大浪通」を越え、「泉尾公園」を横切る。
 

 頭上を阪神高速が走る国道43号線を渡れば「泉尾商店街」。
 

 店舗のクーラーと相まってアーケードに入ると涼しい。
 

 途中、左(西)へ曲がる。小さなアイスモナカ屋さんがあった。「冷やし飴」。懐かしいなぁ。
 

 その奥には「泉尾神社」。
 

 「大国主大神」「住吉大神」「八幡大神」をお祀りする。
 

 アーケードに戻りさらに北へ。やっぱり大阪の商店街には「たこ焼き屋」が欠かせまへんな。
 

 アーケードが途切れるが、一旦、右に折れ左折する。大阪は、在日が多いので「生野区」や「東成区」でなくとも、基本的に「焼肉屋」や「キムチ屋」は多い。
 

 キムチ屋さんの奥にさらにアーケードが現れる。
 

 ここは、結構、古い店舗が多い。
 

 クルクル回る「ハエ除け」。懐かしいな。
 

 「シャッター街化」しているが、古い店が続く。
 

 

 

 「大浪通」を渡ると「三泉北商店街」と名を変える。
 

 ここもレトロな店が並ぶ。
 

 

 

 途中、右に「三軒家中央商店街」が続く。
 

 立派な「うだつ」のある旧家。写真ではよくわからないが、正面には「大阪ドーム」がそびえる。
 

 真っ直ぐ進めば「尻無川」の堤防に突き当たる。上ってみよう。
 

 川沿いにはカフェなどが並び、夕暮れ時には、運河越しに夕陽を眺めながら、ゆっくりとしたひとときが過ごせる。
 

 お洒落な町と下町が混在したような一角を抜ける。
 

 JR大阪環状線の鉄橋越しに「大阪ドーム」。
 

 環状線のガードに出る。ここにもいろんな店が並ぶ。
 

 以前、大正駅前に飲みに来たことがあるが、結構、良い感じの店が多かった。
 

 ガードに沿って進む。
 

 午後4時、朝、出発した大正区の最北端に着。出発地点の地下鉄「大正駅」の上にはJR大阪環状線「大正駅」。本日の歩紀「28593歩」(24.58km)。「ミナミ」からも近く「シマンチュー(島人)」体験ができる沖縄料理店も多いので、大阪観光に来られた折りは、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
 
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