釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

せんじ 千住

2013年02月06日 16時02分20秒 | 言葉・語彙
二日続けて足立区ネタです。

先日、新宿歴史歴史博物館へ写真展を見に行った時に、ロビーで淀橋浄水場廃止から新宿副都心建設のフィルムを上映していたのですが、その中で気になることがありました。

そのフィルムのナレーションは、NHKのアナウンサーであった宮田輝さんがなさっておられるのですが、「新宿は、品川、板橋、千住と並ぶ宿場街で・・・・・」というような部分があたのです。

そこではっきりと千住を「せんじ」といっておられるのです。

このフィルムはたぶん昭和三十年代後半から40年代初頭のものだと思われます。

NHKのアナウンサーも地名はその通りの発音をしていたんだと感心したました。

ではいつごろ「せんじ」から「せんじゅ」になったのでしょう。

北千住といえば、子供の頃、母の実家に行くのに常磐線を利用していました。
でも、その頃常磐線の各駅停車(長距離)は北千住に停止していませんでした。
だから、駅員がなんといっていたかはわからないのですが、その頃開通した地下鉄日比谷線では間違いなく「きたせんじゅ」っていってたと思います。

ところが、ネットで調べていると今でも「千住っ子」というとき、発音は「せんじっこ」というというのがある方のブログに書いてあったのです。

今でも使われているじゃないですか。

ここで二点の発見がありました。
一つは、北千住の住民は、「北千住」といわないで「千住」という。
そして、「江戸っ子」ではなくて「千住っ子」を使うという点です。

「北千住」は駅名であの近辺には「北千住」っていう住所はないんですね。
住所は「千住」か「千住○町」・・・・住民にはあくまでも「千住」なんです。

私たち外来者は「北千住」だと思っているんですが、在住者には「千住」なんですね。
たぶん、「せんじ」っていってる人がまだまだいるんだろうな。

多分、北千住が広く一般に知られるようになる頃に、「せんじ」は「きたせんじゅ」になっていったんではないでしょうか?
1962年東武伊勢崎線日比谷線に乗り入れ、1971年常磐緩行線の千代田線に乗り入れ、1985年常磐線中距離列車の北千住停車、この二十数年の間に変化していったのではないでしょうか。
一日の乗降客が一日60万人以上ある大きな駅ですから「きたせんじゅ」の浸透はいかばかりか。

そういえば、東京方言では、「じゅ」が「じ」、「しゅ」が「し」になるということを聞いたことがあります。
私たちは無意識に「しんじく」「はらじく」といっていることが多くあります。
私たちといいましたが、今は東京出身じゃない方もたくさん東京に住んでいるので、ちゃんと「しんじゅく」「はらじゅく」といっているかもしれませんね。
でも東京人は「しんじく」「はらじく」なのです。(笑)

宮田輝さんのナレーションも「しんじく」といっていました。
私も「しんじく」っていってるから、違和感なく聞き逃すところでした。

美術→「びじつ」、手術→「しじつ」、趣向→「しこう」、十歳→「じっさい」、歌手→「かし」など、年配の人になればなるほど顕著です。


意外なところで、意外なことを発見したという話です。



コメント
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