釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

幡ヶ谷→中野坂上(その1・水道道路)

2006年02月08日 00時30分19秒 | お散歩日記/東京地名の話
今週(5日)のお散歩は渋谷区の京王線幡ヶ谷駅から出発。

幡ヶ谷駅は以前よく渋谷区のスポーツセンターのプールで泳いでいたから慣れ親しんだ駅です。
でもスポーツセンターは駅のある甲州街道からは南側。
今回は甲州街道の北側に進みます。

まず六号通り商店街。
なぜ六号通りというか不明ですが、甲州街道からあまり広くない道が北に続いています。
お店はたくさんあってなかなか賑やかです。
少し進むと水道道路。
井の頭通りも甲州街道から北は水道道路と呼ばれています。
吉祥寺方面から甲州街道に向かって少し手前から、この道が東に新宿方面に向かっています。

井の頭通りといい、水道道路といい、水っぽい名前です。
この通り付近は水に関係する事柄が多いです。
井の頭の名前の起こりは、今の井の頭公園にある水源が神田川の源であることに由来します。
井の頭池には水の神様である弁天様も祭られていることがご存知のこと友もいます。

井の頭通りの西側には永福町の先まで神田川が平行して流れています。
神田川は、そこから杉並区南部、中野区南部、新宿西部から北部、落合、高田馬場付近を流れて、文京区の関口で神田上水となります。
川は江戸城の外堀となって、飯田橋、水道橋、御茶ノ水、浅草橋などを経て、隅田川に注ぎます。

井の頭通りは、武蔵野市の西部、関前から五日市街道と分かれて始まります。
五日市街道は小平市のあたりから玉川上水と平行して通っています。
玉川上水は西多摩の羽村市の多摩川の取水口から延々と流れてきていて、五日市街道と平行して流れ、その後、三鷹駅の下を通り、井の頭公園の西部を流れ、井の頭通りの西方を南下、甲州街道を越えて代田橋、笹塚、幡ヶ谷、初台と甲州街道の南側を流れ、今の新宿御苑の中を流れていたようです。
そこから江戸市中に分流されていたわけです。

給水所などポンプ施設のなかった江戸時代は、羽村の取り入れ口から緩やかな勾配を利用して、水を江戸に運んでいたので、玉川上水の通り道は下流に行くほど、地形的には尾根の部分を通っています。
甲州街道も周りからは一段高いところをっとおっていますが、玉川上水はさらにそこよりも高いところを蛇行しながら流れています。

井の頭通りの始まり付近には、武蔵境浄水場があります。
さらに井の頭通りの甲州街道を越えたところには、和田堀給水場。
水道通りの終点新宿には、淀橋浄水場。
見事に水道関連の施設が並びます。

水道道路の名前の起こりも水道管が埋設されたからではないでしょうか?
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