東京で遠くに見える山の代表はやはり富士山でしょう。
でも忘れてはいけない山がもう一つあります。
それは筑波山です。
江戸の町は、「山当て」という手法で作られているといわれています。
それは、正面に山や城がくるように道を作るというものです。
江戸の場合、道だけではなく、水路もそのようにして作られたようです。
その時の山が、富士山であり、筑波山であったのです。
また、江戸城や上野の山、愛宕山などもその目当てにされました。
江戸の町は北から南西には目当てになるものが多くありますが、東側には筑波山しかありません。
筑波山は西の男体山(871m)と東の女体山(877m)の二つの峯がある独特の形をしています。
標高はあまり高くあありませんが、関東平野の中に島のようにありますので、どこからもよく見えます。
母が茨城県の出身なので、昔から筑波山はよく見ていました。
思い入れも深いです。
母のふるさとの霞ヶ浦の近くから見る筑波山が、峯と峯の間隔がよく、一番美しいかもしれません。
夕方、常磐線の車内(石岡付近)から。
(この間隔が一番綺麗だと思います。)
常磐線はもちろん、東北線、東北新幹線からもよく見えます。
今でも、冬の晴れた日なら都内からでもよく見えます。
数年前、正月に羽田空港から撮影した画像です。
遥か彼方に霞んで筑波山の独特の形が望めました。
昨年の初冬にも、日暮里舎人ライナーが足立区に入ったあたりから右手にはっきりと筑波山が望めました。
スカイツリーや高いビルなどに登る機会がありましたら、富士山を見たあとはぜひ反対側に目を転じ、筑波山を探してみたください。
寒い冬、絶好のチャンスです。
筑波山もお忘れなく。
でも忘れてはいけない山がもう一つあります。
それは筑波山です。
江戸の町は、「山当て」という手法で作られているといわれています。
それは、正面に山や城がくるように道を作るというものです。
江戸の場合、道だけではなく、水路もそのようにして作られたようです。
その時の山が、富士山であり、筑波山であったのです。
また、江戸城や上野の山、愛宕山などもその目当てにされました。
江戸の町は北から南西には目当てになるものが多くありますが、東側には筑波山しかありません。
筑波山は西の男体山(871m)と東の女体山(877m)の二つの峯がある独特の形をしています。
標高はあまり高くあありませんが、関東平野の中に島のようにありますので、どこからもよく見えます。
母が茨城県の出身なので、昔から筑波山はよく見ていました。
思い入れも深いです。
母のふるさとの霞ヶ浦の近くから見る筑波山が、峯と峯の間隔がよく、一番美しいかもしれません。
夕方、常磐線の車内(石岡付近)から。
(この間隔が一番綺麗だと思います。)
常磐線はもちろん、東北線、東北新幹線からもよく見えます。
今でも、冬の晴れた日なら都内からでもよく見えます。
数年前、正月に羽田空港から撮影した画像です。
遥か彼方に霞んで筑波山の独特の形が望めました。
昨年の初冬にも、日暮里舎人ライナーが足立区に入ったあたりから右手にはっきりと筑波山が望めました。
スカイツリーや高いビルなどに登る機会がありましたら、富士山を見たあとはぜひ反対側に目を転じ、筑波山を探してみたください。
寒い冬、絶好のチャンスです。
筑波山もお忘れなく。
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