千代田線の始発電車に乗って不忍池に蓮の花を見に行きました。
蓮は、ご存知のように早朝に開花し、昼前には花を閉じてしまいます。だからきれいに咲いた花を見るためには早起きが必要なのです。おかげさまで、朝まで起きている仕事なので、早起きをしないで、そのまま電車に乗りました。
千代田線の湯島駅を降りて少し歩くと不忍池です。
千代田線といえば、1967年9月千代田線の工事中に不忍池の水が工区に流れ込み、干上がったことがありました。子供心にそのニュースを覚えているのも恐ろしいものです。
確か不忍通り(千代田線が通っている通り)側の池の水がなくなったのを記憶しています。その風景はどんなだったのでしょう。
不忍池は、もともとは江戸湾(東京湾)の入り江で、海岸線の後退で室町時代には今のように池になっていたようです。
蓮が有名になったのは、八代将軍吉宗の時代(享保年間)だそうです。
さて、不忍池の名前の由来は、今、上野の山といわれている高台はもともと「忍ヶ岡」と呼ばれていました。忍に対して忍ばず・・・・というしゃれから名付けられたというのですから面白いですね。
江戸初期に江戸の鬼門(東北の方角)に当たる忍ヶ岡には、天海僧正によって寛永寺が創建されました。この寺は京都の鬼門封じの寺「比叡山延暦寺」にならって名付けられました。
山号のは「比叡山」にならって東の比叡山の意味から「東叡山」とし、寺号は、建立の時の元号「延暦」にならって「延暦寺」、当時の元号の「寛永」をとって「寛永寺」としたのです。
比叡山の麓には琵琶湖があります。
寛永寺もその岡の下には、不忍池があります。
琵琶湖には竹生島という島があり、宝厳寺という日本三大弁才天・西国三十三観音に含まれる名刹があります。琵琶湖だから琵琶を持つ弁財天が祀られたのかどうかはわかりませんが・・・。
それを模して、不忍池にも池の中央に弁才天を安置する島を築いたそうです。
それが今も参詣人が訪れる中島弁天堂です。
正面から見た弁天堂
ご丁寧にも堂前に琵琶が。
弁天堂の周囲にはたくさんの碑や供養塔や塚が並んでいます。
その風景も不思議なものがあります。
ふぐの供養塔
早朝、それも五時台だというのに不忍池の周辺は異様な熱気に包まれていました。
ウォーキングやランニングをする人、そのあたりにご宿泊の方、上野広小路から家路に着く中国人、犬の散歩、通勤、写生をする人、写真をとる人(私も)、座って数人で会話している人たち、そして女装の人まで・・・・。
そこかしこで挨拶は交わされるし、数十人の集団で走る人々、数多くの自転車。
子供も若者も老人もわんさか・・・・。
何でこんなに朝早くから人がたくさんいるかわかりません。
ちょっとカルチャーショック。
池は三つあって、北の池は蓮が植わっていますが、上野動物園の敷地内にあって一周はできません。西の池は、ボート池で蓮は植わっていません。南の池はびっしり蓮が植わって、周囲を回ることができます。
今回はじっくり南の池を二周しました。日が昇るにつれて池の表情を変わっていきます。
蓮の画像は次回にじっくりご紹介します。
蓮は、ご存知のように早朝に開花し、昼前には花を閉じてしまいます。だからきれいに咲いた花を見るためには早起きが必要なのです。おかげさまで、朝まで起きている仕事なので、早起きをしないで、そのまま電車に乗りました。
千代田線の湯島駅を降りて少し歩くと不忍池です。
千代田線といえば、1967年9月千代田線の工事中に不忍池の水が工区に流れ込み、干上がったことがありました。子供心にそのニュースを覚えているのも恐ろしいものです。
確か不忍通り(千代田線が通っている通り)側の池の水がなくなったのを記憶しています。その風景はどんなだったのでしょう。
不忍池は、もともとは江戸湾(東京湾)の入り江で、海岸線の後退で室町時代には今のように池になっていたようです。
蓮が有名になったのは、八代将軍吉宗の時代(享保年間)だそうです。
さて、不忍池の名前の由来は、今、上野の山といわれている高台はもともと「忍ヶ岡」と呼ばれていました。忍に対して忍ばず・・・・というしゃれから名付けられたというのですから面白いですね。
江戸初期に江戸の鬼門(東北の方角)に当たる忍ヶ岡には、天海僧正によって寛永寺が創建されました。この寺は京都の鬼門封じの寺「比叡山延暦寺」にならって名付けられました。
山号のは「比叡山」にならって東の比叡山の意味から「東叡山」とし、寺号は、建立の時の元号「延暦」にならって「延暦寺」、当時の元号の「寛永」をとって「寛永寺」としたのです。
比叡山の麓には琵琶湖があります。
寛永寺もその岡の下には、不忍池があります。
琵琶湖には竹生島という島があり、宝厳寺という日本三大弁才天・西国三十三観音に含まれる名刹があります。琵琶湖だから琵琶を持つ弁財天が祀られたのかどうかはわかりませんが・・・。
それを模して、不忍池にも池の中央に弁才天を安置する島を築いたそうです。
それが今も参詣人が訪れる中島弁天堂です。
正面から見た弁天堂
ご丁寧にも堂前に琵琶が。
弁天堂の周囲にはたくさんの碑や供養塔や塚が並んでいます。
その風景も不思議なものがあります。
ふぐの供養塔
早朝、それも五時台だというのに不忍池の周辺は異様な熱気に包まれていました。
ウォーキングやランニングをする人、そのあたりにご宿泊の方、上野広小路から家路に着く中国人、犬の散歩、通勤、写生をする人、写真をとる人(私も)、座って数人で会話している人たち、そして女装の人まで・・・・。
そこかしこで挨拶は交わされるし、数十人の集団で走る人々、数多くの自転車。
子供も若者も老人もわんさか・・・・。
何でこんなに朝早くから人がたくさんいるかわかりません。
ちょっとカルチャーショック。
池は三つあって、北の池は蓮が植わっていますが、上野動物園の敷地内にあって一周はできません。西の池は、ボート池で蓮は植わっていません。南の池はびっしり蓮が植わって、周囲を回ることができます。
今回はじっくり南の池を二周しました。日が昇るにつれて池の表情を変わっていきます。
蓮の画像は次回にじっくりご紹介します。
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