上の写真をご覧いただくと神輿の屋根に違う紋が二つあるのがわかると思います。
この神輿は、墨田区業平四丁目南町会の神輿です。
左が、巴紋で昨日ブログで書いた江東天祖神社のものです。
右は、剣片喰紋で、隅田川沿いにある牛島神社のものです。
同じ神輿に二つの神様が同居しているというわけです。
江東天祖神社の祭神は天照皇大御神、牛島神社の祭神は須佐之男命という日本の神社を二分する神様が同居しているのです。
私の常識からいうと、一町会にはひとつの氏神さまと思っていましたので、最初は非常に不思議に思っていました。
ところがよく調べてみると、ひとつの町会の区域の中に二つの神社の氏子が存在しているらしいのです。
牛島神社は本所地区の総鎮守、江東天祖神社は葛西領柳島村の総鎮守だそうです。
江東天祖神社の氏子地域は、江戸時代は江戸の領域の外だったわけです。
今は、横十間川が区境となって墨田区と江東区が明確に区切られていますが、柳島というように湿地帯だった過去においてはその境が明確ではなく、水路ができて土地が確定しても、村境は確定していなかったのでしょう。
時代が進み、道路が整備されて、街が確立した時点でも、氏子の区域は入り組んでいて、このような状態になったのではないでしょうか?
江東天祖神社の氏子域が横長に広がっているのと同じく、その南にある亀戸天神社の氏子域も東西に長く広がっています。
西は竪川沿いに両国あたりまで広がっています。
麻布では、広尾稲荷神社の氏子が旧笄川の対岸、渋谷区広尾から古川を下って一の橋(麻布十番)あたりまで広がっているという事例があります。
神社の氏子域を調べることが色々と面白いことがわかります。、
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