釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

下北沢から三軒茶屋

2013年02月18日 20時03分55秒 | お散歩日記/東京地名の話
下北沢から散歩は茶沢通り沿いに三軒茶屋へ。

下北沢は渋谷のように谷の街で、駅の東を流れていた森厳寺川と西側を流れていただいだらぼっち川の合流にあります。

だから井の頭線ははるか頭の上を通り過ぎて行きます。

茶沢通りはその森厳寺川の谷に沿って南に進んで、橋場橋で北沢川を渡ります。

そこから、代沢十字路までは緩い上りになっています。

代沢十字路のある淡島通りは尾根道にあたります。

そこから、今度は烏山川の谷に向かって下って行きます。

先ほどの北沢川と烏山川は、下流の三宿付近で合流して、目黒川になる川です。

そして、また三軒茶屋に向かって上り坂になります。

世田谷の中央部は、いくつもの川が谷を作って面白い地形がたくさんあります。

三軒茶屋の玉川通り、世田谷通りを過ぎると今度は蛇崩川の谷に下っていきます。

尾根に道、谷に川、昔の風景がふと思い浮かびます。

散歩の最後は、三軒茶屋のランドマーク、キャロットタワーの展望台に登りました。

ちょうど日没の時間。

ダイヤモンド富士にななりませんでしたが、富士山と太陽が美しい時間を作り出していました。


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梅ヶ丘から下北沢、小田急線に沿って

2013年02月17日 19時52分31秒 | お散歩日記/東京地名の話
来月は東京の鉄道は色々なニュースがあります。

大きなニュースは、副都心線と東横線の相互乗り入れです。
3月16日にあの東横線の渋谷駅がなくなってしまいます。

同じ日に「アホの壁」といわれた半蔵門線と新宿線の九段下駅ホームの壁がなくなります。
そして、日比谷線秋葉原駅と新宿線岩本町駅が乗換駅になります。
地上で神田川を渡る乗り換えですが、料金が安くなる区間があるようです。

もうひとつあまり知られていないのが小田急線の地下化。
3月23日から、東北沢、下北沢、世田谷代田の三駅が地下化されます。

あの狭いホームに次から次へといろいろな電車がくる下北沢の駅も、渋滞が激しかった東北沢の踏切もなくなってしまいます。
あの雑然としてるけど、下町の温かみのある下北沢の駅周辺が大変身する第一歩です。

そんなわけで、梅ヶ丘に行ったついでに小田急線ウオッチング。


下北沢駅上りホーム


下北沢下りホームから井の頭線の高架を望む


東北沢6号踏切から隣接する下北沢駅上りホームから出発する電車


一番風情のある東北沢5号踏切


下北沢駅跨線橋から見下ろすホーム


世田谷代田1号踏切


世田谷代田1号踏切から世田谷代田駅方面を望む

踏切待ちでイライラしたり、事故もあったのに、無くなると思うと愛おしいですね。
とりあえず地下駅になりますが、この区間の複々線化はこれからだそうで、まだ時間がかかりそうです。







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「せたがや梅まつり」

2013年02月16日 22時19分37秒 | お散歩日記/東京地名の話
小田急線梅ヶ丘駅北側にある羽根木公園のせたがや梅まつりに行ってきました。

調べるまで羽根木公園が梅で有名だから、梅ヶ丘っていうのかと思っていましたが、違うんですね。

小田急線が開業してから少し遅れて昭和9年できた駅に「梅ヶ丘」と命名して、それにちなんで、昭和31年に開園した公園に梅を植えて、それが今名所になっているということらしいのです。

じゃその「梅ヶ丘」は何かというと、駅名をつける時に土地の旧家の庭の梅からという説や、その家の家紋が梅だったとか、埋めが丘という古墳があったとかいわれているようです。

そういえば今の時期に世田谷の住宅地を歩いているといたるところで庭木の梅を見ることができます。
それだけ梅にあった土地柄なのかな。

さて羽根木公園ですが、ここを「根津山」と呼ぶと聞いたことがあります。
もともと根津家の持ち物だったそうで、根津美術館とも関わりのある場所なのです。

現在の住所は代田で梅丘ではないのも、これで解決しました。
梅ヶ丘の駅名と羽根木公園の梅は直接関係ないんですからね。

でも、代田にあるのに羽根木公園なんだ。
羽根木の住所はもっと北、井の頭線の北側に広がっています。

この理由は、この公園と住所が羽根木の地域は、荏原郡世田谷村の飛び地で羽根木と言われていたようです。
「羽根木」自体に飛び地という意味があるとか。

さてさて、蘊蓄はこの辺にして。



今日は風はきつくてゆっくり梅見どころではありませんでした。
花は三分咲き、もう少しで見ごろを迎えます。

たくさん地元の方の模擬店も出て賑やかでした。

そこから下北方面に散歩開始。
続きはまた明日。
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「生揚げ」って言葉使いますか?

2013年02月15日 05時51分59秒 | 言葉・語彙
画像が生あげです。

開封していないから解らないでしょう、なんだか。

関東地方の方は「なに言ってるんだい。」とおっしゃる方も多いはずです。

でも最近、通じないんですね。「生揚げ」

実は「厚揚げ」。

いつからか「厚揚げ」っていう名称が浸透してしまって・・・・・。

というか私本人も「生揚げ」っていう言葉を忘れていました。

周りの人に聞いてもほとんどの方は「厚揚げ」派。

この「厚揚げ」という言葉は、関西方言です。

関西では、東京の「油揚げ(あぶらげ)」を「薄揚げ」(または「お揚げさん」)というのに対して、「厚揚げ」というのです。

でもなぜか「厚揚げ」だけがが関東に侵入して、攻略してしまいました。

どうしてそうなったんだろう。

いろいろと検索してみるとまだまだ関東では「生揚げ」の名称を使っている方は多いようですが、ある年代から下では死語です。

中には、「生揚げ」っていうの気持ち悪いという声まで。

いろいろ調べましたが、「厚揚げ」が全国語になったのがいまいちわかりません。

侵入経路として考えられるのが、料理番組、食品表示、居酒屋など・・・・。

どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?




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長谷寺はコピー寺

2013年02月14日 18時11分26秒 | 寺社仏閣

今日はお寺を作るのに趣向を凝らす江戸人の話。

人間て不思議ですね。
「長谷」は漢字をどう読んでも「はせ」には読めないのに、「はせ」と読んでしまう。
「長」が「は」で「谷」が「せ」なんていうことはありません。
二つ合わせて「はせ」なんです。

だから「長谷寺」は「はせでら」と読んでしまう。
当然といえば当然です。

日本人に多い苗字に「長谷川」さんがありますが、この長谷川さんのルーツも「初瀬川」にあるということです。
「長谷」、なにげなく読んでいる文字にも深い意味があるんですね。

同じような文字に「春日(かすが)」「飛鳥(あすか)」「日下(くさか)」などがあります。
それぞれ諸説があるようです。

昨日書いた「長谷の泊瀬・初瀬」という表現は万葉集の用例にないので否定する説もあります。
「長い谷のところ」=「初瀬」という地名を説明したというあたりが妥当なのではないでしょうか。

麻布の長谷寺は観音様が奈良の長谷寺と同じだから「長谷寺」になったのではないかと私の考えを申し上げましたが、日本には約240も様々な宗派の長谷寺を名乗る寺院があるということです。
そのほとんどが観音様を祀っています。


特に有名なのは、鎌倉の長谷寺(はせでら・浄土宗)ではないでしょうか。
ここの観音様は、奈良の長谷寺の本尊と同じ楠を二つに割って作られ、伊勢海に流したものが鎌倉に漂着したものだという伝説があります。

ただし、今の奈良のご本尊が後世(室町時代)に作られたもので、鎌倉のものも制作年代がはっきりしないことから伝承の域を出ません。

奈良と一木といわれる麻布の像は、江戸時代の正徳二年(1716年)に高さ二丈六尺(約8m)の新しい像が作られたときに、その体内に収めたということです。
しかしこの像は、昭和二十年三月十日の空襲で焼失してしまいました。
ですから、これも調べる術はありません。

また、奈良の像と同じ木で作られたという伝承は日本各地にあるようです。
奈良の長谷寺が、正しく観音信仰の総本山であったために、観音様の権威付けに作られた伝承が多いのではないでしょうか。

また、各地の長谷寺の十一面観音は、錫杖を持った特異な形をしています。
これは、地蔵菩薩の徳も持ち合わせ、衆生を救うために巷を行脚する姿だそうで、長谷寺式十一面観音と言われています。
もちろん、麻布の新しい観音様もそのお姿をしておられます。


(錫杖を持った麻布大観音)

昨日、佐渡の長谷寺は、奈良の長谷寺を模して作られたと書きました。
ここにも十一面観音が祀られています。(長谷寺式ではありません。)
今日、注目したいのは、「長谷寺を模して・・・」という部分です。

境内が奈良の長谷寺の特徴である長い階段の上にあるのです。

奈良の長谷寺の観音堂は、山の中腹に有り、麓から長い階段の回廊が続いています。
(参拝したのが学生時代ですので、記憶が不鮮明ですが。)



上の地図をご覧になってわかるように、「長谷」といわれる「初瀬川」を谷底として観音様のいる本堂に向かって階段状の回廊がつながっているのです。

その形状を考えていた時に、ふと麻布の長谷寺も同じようなつくりになっているんじゃないかと思えたのです。



現在、西麻布朝日通り、夕日通りから真っ直ぐに長谷寺に登る道が、江戸時代から戦災で焼失するまでの参道で、登りきった正面に観音堂があったそうです。
朝日通りが、笄川の暗渠であることは以前お話したと思います。


(昔はこの道が参道で、突き当たりに観音堂がありました。
この坂にはなぜか名前がありません。
名前が無いのは、お寺の境内だったからではないでしょうか。
江戸時代の地図にも寺の内部は書かれていませんから、一般人には坂の名前をつける必要がなかったのではないでしょうか。)

参道の向きとといい、谷底に川があるつくりといいそっくりではありませんか。

この坂は人工的に作られたものだとわかります。
夕日通りにそって西南側に崖があるのはお分かりだと思います。
その崖が、この参道で切り取られています。
六本木通りが今はありますから、崖の続きはわかりづらいのですが、六本木通りを越えて、四丁目にもその崖は続いています。
ですから、この参道を作るために、崖を切り崩してなだらかな道を作ったのです。

今でも、こちらの坂の方が六本木通りの笄坂よりも傾斜が緩やかなのも、参詣者を思って作られている気がします。


(旧・タッパウエアーの横から見える崖)

(坂の途中の右側も少し高くなっている。いわゆる切通し)

(坂の右側には一段低い公園があって、この部分は坂が嵩上げされている。)

(崖は六本木通りを越えても続く)

このように見ていくと、麻布の長谷寺は、本家の奈良の長谷寺に似せるために、境内の構造までそっくりに作ったのは明白です。

「観音第一の大和長谷寺の観音様と同じ木で作られた観音様があるならば、いっそ寺の名も長谷寺にして。」
「寺を作るなら、大和の長谷寺を真似ましょう。川の流れる長い谷から観音様へ上り坂の参道をを作って。」
「似せられるところは似せちゃいましょうか。」
「観音様も大和と同じぐらい大きいものにしませんか。」

そして、江戸中期には大きさもほぼ同じ観音様まで作ってしまうという壮大な話。

観音信仰の本場をちゃっかりつくってしまうという、江戸時代人の洒落っ気というか、ものすごさには感心させられます。
全て、江戸人のご趣向なんです。

あれ、江戸には似たような話があります。

上野の寛永寺です。
比叡山延暦寺を模して、東叡山寛永寺。
ご丁寧にも琵琶湖を模した不忍池もあり、中には竹生島を模した弁天様までいます。

詳しくは忍ぶ忍ばず

そういえば上野には清水観音堂まである。

なんで今まで、長谷寺がコピー寺だって気がつかなかったのが不思議なくらいです。

この発想は、地方の有名寺院の本尊を江戸まで持ってきて行われる出開帳や、その後の深川不動尊(成田山の別院)、高野山別院、青山善光寺とかに受け継がれているのではないでしょうか。
旅がままならなかった時代、行けないのならば作っちゃおうという発想は素晴らしいものがあります。

東京ディズニーランドや中華街なんていうのもその発想の延長かな。
さらに、各県の物産アンテナショップやデパートの物産展なんかもそんな感じがしますね。

そうそう、今年現代では珍しい出開帳が両国回向院で行われます。
もしかして江戸時代以来初めてかも。

今回は、江戸のお寺事情を垣間見た気がします。

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「長谷寺」寺名の謎

2013年02月13日 21時18分58秒 | 寺社仏閣
今日は西麻布にある長谷寺の寺名について考えたいと思います。

「長谷寺」は「はせでら」とは読まずに、「ちょうこくじ」と読みます。
なぜ、「はせ」ではないのでしょうか?

みなさんは、奈良県にある長谷寺をご存知でしょうか?

奈良県桜井市初瀬(はつせ)にある長谷寺(はせでら)は真言宗豊山派の総本山で十一面観音で有名な寺です。

万葉集では「隠国(こもりく)の泊瀬」と詠まれている場所で、長い谷の地形から「長谷の泊瀬・初瀬」とも呼ばれて、そこから「長谷」を「はせ」と呼ぶようになったようです。

奈良の長谷寺は八世紀はじめに建立されました。
その後、国家の庇護を受けるようになって、観音信仰の発祥地として栄えていきます。

観音様といえば長谷寺というまでになっていきます。
ご存知のように「源氏物語」にも登場して、その賑わいは人々の知るところとなっていったのです。

そして、十二世紀中頃までに成立したといわれる西国三十三観音霊場の一つに数えらえ、庶民にまで浸透していきます。

さて、話を麻布の長谷寺に戻します。

長谷寺の現在ある場所には、寺の創建(慶長三年・1598年)以前から観音堂があったそうです。
この観音堂には、先ほどの大和の長谷寺と同じ木でできた四寸(約12センチ)あまりの観音様が祀られ、人々の信仰を集めていました。

この観音堂を元に、徳川家康の幼なじみで今川義元の孫といわれる門庵宗關を開山として、二万余坪の寺領を与えて開いたのが麻布の長谷寺なのです。

ですから、宗派は違えど観音様の縁で長谷寺と名付けられたのでしょう。

では何で「はせでら」ではないのでしょうか?

その答えを意外なところで見つけました。

先日NHK「新日本風土記・佐渡」を見ていた時のことです。

佐渡にある「長谷寺(ちょうこくじ)」が紹介されました。
この寺は大和の長谷寺を模して作られたそうで、本家の名前を憚って「ちょうこくじ」と呼ばれているそうです。

佐渡には同じく小規模ながら舞台造りの「清水寺(せいすいじ)」もあって納得させられます。

麻布の長谷寺もそんな理由から「ちょうこくじ」なのではないでしょうか。

さて明日は麻布長谷寺の境内の謎についてお話します。


*画像は現在の麻布大観音

長谷寺については以前ブログで書きましたので参照してください。





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武蔵国のスカイツリー

2013年02月12日 22時19分26秒 | お散歩日記/東京地名の話
いつもスカイツリーの辺りをうろうろしていますが、なかなか日没に当たりませんでした。

それが数日前にやっと遭遇。

スカイツリーの足元に沈んでゆきました。

スカイツリーの高さは634メートル。

武蔵の語呂合わせだそうです。

でも、江戸時代以前、ここは下総の国。

武蔵の国じゃなかったんですけど。

武蔵の国じゃなかった証拠に、墨田区には氷川神社がありません。

大宮の氷川神社は武蔵の国の一宮だから、分社の氷川神社が都内には多くありますが、隅田川以東の四区(墨田・江東・葛飾・江戸川)にはありません。

じゃ、何があるのかって?

下総の国の一宮、香取神社の分社があります。

だだ一つの例外(赤羽の香取神社・これは謎です。)を除いて隅田川以西(足立区をのぞく、足立区は武蔵国足立郡)には香取神社はありません。

東武鉄道はどうも武蔵好きなようです。

私の出身大学「武蔵大学」も根津育英会で東武鉄道絡みですから・・・・・・。


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写真でたどる渋谷の街と東横店の軌跡

2013年02月11日 19時41分43秒 | お散歩日記/東京地名の話
渋谷の東横店東館が三月三十一日で閉館するということで、一階の東館と西館を結ぶ通路で「写真でたどる渋谷の街と東横店の軌跡」というパネル展がかいさいされています。

本当にささやかな展示ですが、興味深い写真を見ることができます。

自分的には特に「東横ホール」の展示は興味深く拝見しました。



もう三十年以上前に仕事をしたことがありました。

ほかには、今の代々木公園がワシントンハイツだった時代の写真や東横店の屋上ロープウェイ、玉電などいろいろとありました。

お時間のある方はぜひどうぞ。

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旧中川と亀戸中央公園

2013年02月10日 20時04分45秒 | お散歩日記/東京地名の話
亀戸中央公園に梅を見に行きました。

でも、咲いてない。

梅は品種によって咲く時期がだいぶ違いますね。

亀戸中央公園の脇には旧中川が流れています。

川の両岸は最近整備された遊歩道や親水公園になっています。

公園側の右岸は江東区、対岸は江戸川区平井です。

画像は北を望んでいます。

橋は江東新橋で道路は蔵前橋通りです。

橋のすぐきた側で隅田川から続く北十間川が流れ込んでいます。

その川の北は墨田区になります。

ちょうど三区が接する地点です。

昭和20年3月10日の東京大空襲ではこの川のほとりでたくさんの方が亡くなったということです。

亀戸中央公園はサザンカで有名な公園です。

そういえば江東区の花はサザンカでしたね。

他にも都内で珍しいアンズの花が三月下旬に咲きます。

旧中川と亀戸中央公園はのんびりできる場所です。
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クローズ・エルミタージュ

2013年02月09日 14時08分36秒 | ワインの話
たまにはワインの話でもしましょうか。

画像のワインは「Crozes‐Hermitage」(クローズ・エルミタージュ)というフランスのワインです。
リヨンの南、ローヌ川沿いにある「コート・デュ・ローヌ」という大生産地の一部です。
似た名前で「Hermitages」というワインがありますが、日本ではそれより少し劣る産地みたいな取れえ方をする方もありますが、違うワインと思ったほうがいいのではないでしょうか。
ただし、どちらも赤ワインには「シラー」という品種の葡萄が主体として使われています。

私は赤ワインの中でどうも「シラー」種が好きになれませんでした。
一般的にはスパイシーでコクのあるワインができるといわれていますが、あの独特の鉄分の多い血のような香り、悪くいえば数日冷蔵庫に眠っていた牛肉のにおいのようなものがどうも好きになれませんでした。

オーストリラリアの「シラーズ」種ももともと遺伝子は同じ葡萄なのですが、葡萄というものは氏より育ちらしく、オーストラリアのものにはこの動物の肉のようなにおいがなく、嫌というほどの果実味があるので、あまり苦にならなくて飲めるのです。

嫌いなものはようわかるといいますが、フランスのシラー種のワインは飲めば間違いなく分かります。

でも人間、歳を取ってくると自虐的になるのでしょうか。
この独特の香りもいいじゃないかと思うようになってきたのです。
それを感じたのがこのワインです。

嫌いが好きになるまではいきませんが、良さみたいなものが理解できるという感じです。

今度のワイン会、フランスの不思議なワインの勢揃いですが、この当たり前の「Crozes‐Hermitage」を一本入れてみました。
どんな味かはワイン会にいらしてくださいね。

坂の下の権太★2月のワイン会
「なかなか飲めない産地のフランスワイン」
2月23日土曜日 午後7時より
会費6500円 定員10名(先着順)
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