日々なるようになる

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京都 ・ 永観堂

2010-06-11 | 西日本で過ごした時の記録です。

多 宝 堂



上部は円形、下部は方形の二重塔、五重塔のように、屋根の上に伸びる心柱に

九輪と水煙がついているのは珍しい。 ここから京都の町並みが一望できるのだそうです。










永観堂 (禅林寺)

200年あまり、禅林寺は真言蜜教の寺として始まりました。 

863年、弘法大師の高弟・真紹僧都(しんじょうそうず)が、清和天皇から寺院建立の

許可をもらい、禅林寺という名を賜ったのです。 禅林寺が大きく発展したのは、永観律師の

時代です。 律師は、境内に施設院を建てるなど、恵まれない人々のために奔走。

永観律師を慕う人々によって、禅林寺はいつしか、永観堂と呼ばれるようになりました。




 
~ みかえり阿弥陀 と 永観律師 ~

永保二年(1082) 二月十五日早朝、阿弥陀堂に人影がうごく。 

夜を徹して念仏行に励んでいる僧侶がいるらしい。 東の空がしらじらとし始めた。

ふっと緊張がとけた一瞬、僧は息をのんだ。

自分の前に誰かがいる。 それが誰か気がついて ・・・ 足が止まった。

「永観 遅し」

ふりかえりざま、その方は、まつすぐ永観の眼を見つめられた。

永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげ、ふりむいておられます。 ほんの少し開かれたお口

お顔全体に漂う穏やかな微笑み、それは遠い昔、永観律師を励まされた時のまま

阿弥陀さまの慈悲のかたちがこれほど具体的にあらわされている佛さまは例がなく

「みかえり阿弥陀」 と 呼ばれ、広く知られています。








東山を背景に、阿弥陀堂をはじめとする古建築が、緑と水に恵まれた庭に調和しています。

古来、都人に愛された優美な景観の中で静かなひとときを過ごすことができました。

「もみじの永観堂」は、全国にその名を知られていいます。 境内を染め上げる紅葉はもちろん

お堂や回廊のすぐ目の前にせまってくる鮮やかな岩垣紅葉は、ここでしか見られないものだそうです。

今は、新緑がまぶしいくらいの季節でしたが、秋は格別に美しいだろうなぁ~ と実感しました。

機会があれば ・・・ 紅葉の時期に再度訪れてみたいと思わずにはいられない 「永観堂」 でした。



















この階段を上がった 右側が阿弥陀堂です。

この阿弥陀堂に、ご本尊の 「みかえり阿弥陀さま」 が 安置されております。

慈悲深い穏やかな微笑 ・・・ 永観律師さまを励まされた時のままでした。

「現代の私たちが、みかえり阿弥陀さまのお姿に教えられるもの、それは、遅れる者を待つ姿勢、

思いやり深くまわりをみつめる姿勢、そして自分自身をかえりみ、人々とともに正しく前へ

進む姿勢、それはまた、阿弥陀さまの私たちへの想いなのです。」

確かに、 そうかもしれませんね。



臥 龍 廊 (がりゅうろう)

山の斜面にそって巧みに木を組み合わせて造られた廊下。

起状が激しく、龍の体の中を歩いているような不思議な気分が味わえました。













永観堂に入ったと同時くらいに 雷さまが鳴り出し 雨も降ってきました。

しばし 雨宿りをしました。




唐 門 (からもん)

天皇の使いが出入りするときに使われた勅使門

釈迦堂との間に盛り砂が作られている。勅使はこの盛り砂を踏んで身を清めてから、中に進んだ。
















秋 ・・・ 紅葉の時に ・・・ また 訪れたいと思います。


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