功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

高藤直寿選手、東京オリンピック初の金メダル!(2021-07-24 19:47:47)

2021-07-24 21:35:23 | On the Road
 おめでとう、高藤直寿選手、日本女子の渡名喜選手の悔しかった分まで、取り戻してくれましたよ。
 泣け、泣け、ぼくらと一緒に泣け。
 ここまで、どれほど苦しい日々だったでしょうか。

 相手の、動き鋭い、台湾の若い柔道家、あなたも素晴らしかったです。

 武道館で開催国の日本に、東京オリンピック初の金メダルが、柔道でもたらされました。



 武道館で開催国の日本に、東京オリンピック初の金メダルが、柔道でもたらされました。
 友好国の台湾には、今大会初の銀メダルが贈られました。




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渡名喜選手、価値ある銀メダル(2021-07-24 19:04:28)

2021-07-24 21:25:00 | On the Road
▼たったいま女子柔道48キロ級の決勝ですね。
 小柄な渡名喜選手は、これを書いているうちに敗れましたが、準決勝で長身の相手に上から攻められることに苦しみつつ、よくぞ這い上がってこられたと思います。



▼柔道はですね、視ているうちに、柔道をやらない自分が思い切り、力を入れてしまうので、ちょっと仕事と両立が難しいのです。
 しかし、やっぱり視てしまいます。ナントカ、仕事と両立させるのであります。

 ぼくは格闘技は、空手しか知らないですが、柔道家の集団と呑んでいていきなり橋のたもとで背負い投げを食らい、面白い技だなぁと思った記憶が鮮明です。
 ただし、こちらはすぐに突きを繰り出しました。
 柔道には、摑まれない限り、負けませぬ・・・と言うほどの空手ではありません。
 共同通信京都支局の事件記者 ( 京都府警キャップ ) のとき、暴力団事務所に直に取材に行っては胸ぐらを摑まれたりするので、対抗するために空手道場に通っていただけですから。
 人柄がよく、そして厳しい師範が、西陣織の帯職人のかたで、いかにも京都でした。

 道着を肩にかついで、道場から京都御所のなかを横切り、京都府警に戻るとき、冴え冴えと月が出ていたりしたのも、良く覚えています。
 そのときに、暗く鎮まる御所を右手にみつつ、なぜ、守りが無いのだろうと思ったのが、ぼくが天皇観を深める始まりなんです。

 ひとりでも多くの日本国民に読んでいただかねばならない、皇位継承まんがは、ヒロインが御所を訪ねるところから始まります。
 それも、この記憶と無縁ではありません。


▼柔道は、試合のたびに畳をみんなで懸命に消毒し、残った水気も拭き取り、まさしく武漢熱と戦うオリンピックの種目でもあると感じますね。
 渡名喜選手、価値ある銀メダル、こゝろの底から、おめでとう。




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国士すぎやまこういち先生の交響楽(2021-07-24 01:13:41)

2021-07-24 06:50:00 | On the Road
▼良かったこと、それは、ひとつ前のエントリーに記した3つ以外にもあります。
 3つとは、「水面下の動きが、意外にも、実ったこと」 ( ごめんなさい、中身は記せません。ただこれによって、世界に対し、日本の尊厳のひとつは喪われずに護られました ) 、国士すぎやまこういち先生の交響楽、橋本聖子組織委員会会長の真情の入ったあいさつですね。
 そして、それ以外にも、例えば下掲のような良きことがありましたね、みなさん。



▽西暦1964年の東京オリンピックと同じく、陸海空の自衛官が凜々しく、立派に重要な任務を果たしてくださったこと。
 場内アナウンスはもちろん、「Self-Defense Forces」 ( 自衛隊 ) と呼んでいましたが、世界の多くのひとは、日本陸軍、日本海軍、日本空軍が揃い踏みして、諸国の軍隊の儀仗隊と同じくきりりと任務を果たしているなと、感じたでしょう。

( 個人的な思い出で申し訳ないですが、小学校5年生だったぼくは、64年東京五輪の開会式を両親・兄弟とテレビで見ていて、自衛隊が誇りある組織なんだと、初めて感じました。当時も、学校でまったく教わらないことでしたから、子供にとって、大発見でした。いまでも、あの開会式に感謝しています )

▽これも64年東京五輪と同じく、ちいさな国も大きな国も区別なく、すべての国の選手が自負と自信と誇りを持って入場したこと。

( 不肖ぼくは、前述のように小5で、開会式に登場したちいさな国の聞いたこともない国名、見たこともない国旗を一生懸命に、百科事典で調べて、世界の広さに驚き、さまざまな民族衣装に子供心にかりそめではない敬意を抱きました。それが、ぼくが国際社会とかかわる重要なきっかけのひとつになりました。
 今回も、アフリカやラテンアメリカ、カリブ海の諸国の民族衣装が特に美しかったですね )

▽大坂なおみ選手が、しっかりと聖火を灯したこと。
 最近の困難な情況に立ち向かう、落ち着いた姿でした。

▽被災を乗り越える、少年少女の歌声が前を向いて、素晴らしかったこと。

▽夜空に、多くの?ドローンによって、五輪のエンブレムが描かれ、それが地球に変わったこと。
 日本の高い技術力が健在であることを感じさせましたね。

▽全体に、武漢熱のさなかであることを隠さず、正面から向きあって打ち克とうという意思を感じさせたこと。

▼一方で、これはどうかなぁ、という点も多かったです。ひとつ前のエントリーに記した、まさかの不祥事とは別の諸点ですね。
 それはもう、いちいち、記しません。

 ただ、根っこには、日本が日本であるための個性を打ち出すのが弱いという問題が横たわっていると、ぼく個人は、考えました。
 多様性とは、それぞれの個性が発揮されて初めて、成立するのです。個性を殺してごちゃ混ぜにしたら、それは多様性ではなく、媚びです。

 そして、そもそも64年東京五輪の開会式は、天下晴れての昼間でした。
 昼間だからこそ、天がくださった秋晴れが活きたのです。
 開会式が昼に整斉と挙行され、閉会式は夜に自由におこなわれたこと、その絶妙な対比とバランスが、いかにも日本を表していました。
 それは、当時のぼくのような子供にも、ありありと伝わることでした。
 今回はIOCの拝金主義に抗することができず、秋であるべき開催が暑い夏に移されたことが、開会式の夜開催の背景ではないでしょうか。これは今のところ、確認しきれないことですから、あくまでもぼくの個人的な懸念ですが・・・、

▼日本が日本であることそのものが危機に立っていると、誰にも良く分かる開会式でもありました。
 畏れ多くも、天皇陛下のご臨席を仰ぎながら、ひとつ前のエントリーに記した信じがたい不祥事のあったことは、そのまさしく象徴です。

 ここからこそ、祖国を甦らせるほかありませぬ。
 そのためには、このエントリーに記した良きことも、扶 ( たす ) けになります。
 そして、きょう7月24日から本格化する競技の本番において、わが国と、諸国の選手たちが、東京オリンピック・パラリンピックは、その本来の意義を喪っていないことを、きっと証明してくれるでしょう。

 こゝろある日本人のみなさん、どこまでも一緒に歩みましょう。




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たいへんな、負の衝撃(2021-07-23 23:55:07)

2021-07-24 06:33:00 | On the Road
▼水面下で長く、動き続けたことが、ひとつ、実現しました。
 水面下のことであり、誠に申し訳ありませんが、中身は申せません。

▼また、尊敬する愛国者、国士の作曲家であるすぎやまこういち先生の交響楽が、選手入場のあいだ流れていたのは、素晴らしくうれしいことでした。

▼橋本聖子・組織委員会会長の、お仕着せではない、みずからの信念と熱情の込められた挨拶も、聴きごたえがありました。



▼一方で、たいへんな、負の衝撃がありました。
 言うまでもなく、天皇陛下がお立ちになって開会宣言をされるときに、総理が立っておられず、気づいた都知事が立たれて、それで初めて総理が立たれたことです。
 総理や都知事が、陛下に遅れて立たれた事実は、開会式の生中継だけではなく、すでに開会式後のニュース映像でもはっきりと何度も日本国民と世界の眼に晒されています。
 論を待たずに、極めて重い、取り返しのつかないことです。
 総理を送り出している自由民主党の現職議員のひとりとして、指摘せざるを得ません。指摘しないで沈黙するなら、それは主権者への裏切りです。思想信条の問題ではありません。日本国の根っこに直に、かかわることです。

▼もうひとつ、場内に起立を促したのはいつだったか、ということです。
 日章旗の入場と掲揚・国歌独唱、天皇陛下の開会宣言、五輪旗の入場と掲揚、順番としてはこの順で行われましたが、ぼくの視ていた限りでは、五輪旗の入場の際に初めて、場内の起立を促すアナウンスがあったと見えました。
 ただし、ぼくは、いつもと同じく急ぎの仕事をしながら視ていましたから、ひょっとすると、見間違いかも知れません。念のため、今後、確認します。
 また、それぞれの場内起立については、ひょっとしたら、不肖ぼくの知らないオリンピックならではの慣習があるのかも知れません。これについても調べます。
 ただし、五輪を日本で行う以上は、日本国民にとって何が正しいか、そして国際社会での正しい儀礼からしても、オリンピックの慣習がもしも仮にあるとしても、本来は、日本の国旗と国歌、天皇陛下の開会宣言、そして五輪旗、いずれも場内の起立が不可欠だと、ぼくの考えとしては、迷いなく考えています。
 無観客ではあっても、スタンドに人はいらっしゃいましたし、選手と関係者は当然、いらっしゃいましたから「場内のみなさまがた」というものは成立していました。全員起立が必要なときには、少なくともきちんとアナウンスでは呼びかけるべきです。
 しかし、もう一度申しますが、ぼくの勘違い・見落としや、知らないことがあるかどうかを、慎重に確認します。




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