功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

安倍政権が続いていれば、起き得なかった人事(2021-07-07 07:49:28)

2021-07-07 22:13:00 | On the Road
▼第一次安倍政権において、国家安全保障会議を創ろうとして、当時の自由民主党の内部から潰され、やがて政権そのものも潰されました。
 それを、政権の再興によって、国家安全保障会議が創建され、敗戦後の日本の安全保障に画期的な変化が訪れました。
 しかしそれだけでは、実効性は乏しいのです。
 その実効性を担保し、強化するものこそ、国家安全保障会議 ( NSC ) を支える事務局である国家安全保障局 ( NSS ) です。
 初代局長は外務官僚でした。NSSは、インテリジェンス機関と言えるほどには育ちませんでした。
 現代のインテリジェンスは、情報、外交、軍事、そして経済を包含できるものでなければ、日本ほどの大国であればあるほど役に立ちません。
 これを改革する第一歩が、外務官僚ではない二代目局長によって成されたことは、客観的、公平にいずれ歴史に記録されるでしょう。
 具体的には、たとえばNSSのなかに経済班が生まれました。
 この経済班には、外務省を含む各省がエースを送り込んでいます。意義はとても大きいです。しかし体制としてはまだまだ小さく、長い階段のあくまではじめの一段と言うべきです。
 これから、というときに、NSSは局長人事に異変が起きました。



▼にんげんはどうして、人事をめぐって、こうまで陰謀を張り巡らすのでしょうか。
 きょうは七夕です。
 夜空を見上げているうちに、あんなに美しい話、懐かしいような話を考え出すのが人間だとわかる日、そういう気が子供の頃からしているのですが、その7月7日付でNSS局長を外務官僚に戻す人事が、急に動きを極端に早めて、決められてしまいました。


 すべての外務官僚も、ぼくらの同胞、はらから、同じ日本国民です。
 万やむを得ず議員となってちょうど5年、外務省に対しても、非力ながら精一杯の働きかけをしてきました。
 和田幸浩・外務省総務課長 ( 当時 ) のようなひとも現れ、かつて中国共産党にも言うべきを言った実績を、外務省のチャイナスクールとしては例外中の例外として持つ、在中国大使も登場しています。
 しかし、今回の異様な経緯をたどった人事は、コメントをくださった主権者が「外務省に奪還されてしまいましたね」と述べられている印象が、その通り、第一です。
 国益よりも省益、という気配があります。

 そしてもうひとつ。
 これはやはり、安倍政権が続いていれば、起き得なかった人事です。
 さまざまに巻き戻しが続くうちのひとつですし、そのもとで自由民主党は選挙という選挙に負け続けです。

▼まつりごと ( 政 ) は、すべて属人的です。
 誰がやるかによって、がらりと変わってしまうのは、みなさんが目撃されているとおりです。
 同時に、今回の件で言えば、NSSを日本のインテリジェンスとして育てるという本来の目的があります。

 そこに向かって、外務省内の少数の良心派とも連携して、諦めずに、淡々とやるほかありませぬ。

▼明日、7月8日木曜に、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」を収録する時間がとれましたので、そこですこし別な視点からお話ししたいと考えています。
 このエントリーは、まだ朝の時間帯に書き起こしました。
 こんなに時間が経ってからアップするのは、忙しいだけではありませんでした。
 考えを静め、静めつつ、言葉を選んでいました。

 誰かを悪者にするのではなく、あくまで同胞として、一致点を探したいからです。




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