友人から聞いたのですが、坂本氏がお亡くなりになったそうです。
ぼくは子供の頃から熱帯魚を飼育していて、当時、唯一の観賞魚雑誌フィッシュマガジンで
写真を発表されていました。
当時は、魚の写真は、青バックが主流でしたが、氏は、レイアウトした水槽で魚の写真を撮っておられました。
今では、水草栽培もおこなわれておりますが、当時は、水草は、切花的な扱いで
栽培技術も確立されていませんでした。
レイアウト水槽は、大変だったと思いますが、斬新な写真でした。
僕も氏の影響もあり、水槽写真を撮っていたのですが、当時の機材では、撮れるだけですごかった時代です。
未だ子供でしたので、父のカメラを使い、やっと手に入れたストロボそれだけで撮っていました。
フィッシュマガジンに魚写真のコーナーがあり、何度もそこに応募して、載ると参加賞で、白黒フィルムが送られてきました。
写真は、初めて載った時に写真で1977年5月号です。
数年前、実際に坂本氏にお会いる機会があり、当時のお話を聞くこともでき、とても感動しました。
今でも写真を撮っていますが、一番最初に影響を受けたのが、坂本氏だったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
ぼくは子供の頃から熱帯魚を飼育していて、当時、唯一の観賞魚雑誌フィッシュマガジンで
写真を発表されていました。
当時は、魚の写真は、青バックが主流でしたが、氏は、レイアウトした水槽で魚の写真を撮っておられました。
今では、水草栽培もおこなわれておりますが、当時は、水草は、切花的な扱いで
栽培技術も確立されていませんでした。
レイアウト水槽は、大変だったと思いますが、斬新な写真でした。
僕も氏の影響もあり、水槽写真を撮っていたのですが、当時の機材では、撮れるだけですごかった時代です。
未だ子供でしたので、父のカメラを使い、やっと手に入れたストロボそれだけで撮っていました。
フィッシュマガジンに魚写真のコーナーがあり、何度もそこに応募して、載ると参加賞で、白黒フィルムが送られてきました。
写真は、初めて載った時に写真で1977年5月号です。
数年前、実際に坂本氏にお会いる機会があり、当時のお話を聞くこともでき、とても感動しました。
今でも写真を撮っていますが、一番最初に影響を受けたのが、坂本氏だったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。