私の生まれは、東京板橋。家から歩いて20分ぐらいのところに堀口熱帯魚研究所があった。
その頃、すでに熱帯魚を飼っていたので、興味があったのでいってみたが、門前払いである。
しかし、数年後、小売を始めたので、イトメや赤虫なんかを買いに行くようになり、顔見知りになり、温室を見せてくれるようになった。
お子さんがいなかったので、私は結構可愛がってもらったと思う。いろいろな繁殖方法を教えてもらったものだった。
ベタやグラミーなど増やし、持っていくとイトメや魚などと交換してもらったことを思い出す。
堀口さんの年台は、第二次熱帯魚ブームの頃だろうと思う。この頃は、国産熱帯魚が普通の熱帯魚店に売られていた。
漆黒のブラックエンゼル、ソードテールの赤もよかった。
堀口さんは、コンゴテトラをメインに増やしていて、すばらしい種親をお持ちだった。
私の熱帯魚の師匠は、堀口さんだと思う。
その師匠は、よく私にこういっていた。
親に凄い財産でもなければ、熱帯魚のブリーダーなんてやってはいけない、と。
ちなみに私の親には、財産がない。
私も筒井君とはよく飲みグッピー談義に花を咲かせました。メダカ館のグリーンイグアナが、可愛くてメロンパンお土産に持っていきました。彼のオールドファッションのブルー系が、好きでした。
これからも宜しくお願いします。