「カルロス・ゴーン逮捕!」の報道には、驚きとともにショックを受けました。
その後も、次々と新情報が報道されていますが、私自身とても複雑な想いです。
その一つは、私は、かつて勤務していた興銀ロンドン時代、英国日産のサンダーランド工場ファイナンスに関与したことや、現在、同社の本社コーポレートサービスのFM’erとは昵懇であり、日産に対する特別の想いがあるからです。
もう一つは、カリスマ経営者としてのゴーン氏の栄光と影! メディアは様々な憶測解説を報道しています。メディアは、彼の光輝かしい功績に対する「負の行為」のみにスポットを当てて、センセーショナルな報道をおこなっています。
社会ルールを逸脱した「報酬」の虚偽記載や、公器を私物化していた事が事実であれば、社会的責任を取るのは当然ですが、私は、この事件は、「罪」の全容解明だけではなく、資本主義社会のヒエラルキー組織が陥るリスクや、グローバル組織の「心理的安全性」を醸成する「ガバナンス」のあり方を検証しておく事の重要性も感じています。
また、今回のケースは、人間誰しもが持つ本能的願望「権力と欲」、そして理性的自制心が齎す「権威と責任」についても考えさせられます。
さて、同氏は1999年に日産に参画して以降、20年近くの間、様々な経営改革を断行し、その手腕は高く評価されていました。
誰しもがカリスマ経営者と崇め、メディアからも注目も集めていました。
どの日本人経営者もなし得なかった日産の経営改革を、わずか2年間で建て直したゴーンマジックは、「(しがらみの無い)外国人経営者だからこそ成し得た改革」として経済界から称賛を浴びていました。
一方で、あまり表に出てこない話として、ゴーン氏の辣腕のその背後には「リストラ」の名の下、多くの社員そしてその家族の犠牲的協力がV字回復を成し遂げた事を忘れてはなりません。
今、他の組織でも同様の事象が発生しているケースは枚挙に暇がありません。
コスト削減!
効率化!
人員合理化による利益確保!....
ヒトを「歯車」的な代替部品と見做し、経営の成果を資本市場にアピールする「ヒエラルキー組織 資本主義」の在り方は、私の「場」創り哲学のベースにあるホラクラシー的なティール組織 幸福資本主義との相克があります。
ゴーン氏は、経営者として真摯に自己を律して、公人としての社会責任を全うすべき立場であるにも関わらず、「私欲」を優先させた罪は社会の裁きを受けなくてはなりません。
カリスマ!と言われ、組織の中では「裸の王様」となっていたのでしょう。
面からは見えない事情や何かがあったのかもしれません。
リストラを余儀なくされた多くの社員への「感謝愛」そして、現役で現場を支える多くの社員への「思いやり」など、あまりにも偉い雲上人になり過ぎていて、現場の痛みや苦労など生々しい組織の「現場の体温」など感じる事が無かったのではないでしょうか。
業績回復を実現した経営者としての自信が、驕りとなり、自身のカリスマ意識が絶対君主の振舞いを助長させ、有価証券報告書に記載されている報酬金額だけでも社会通念と乖離した水準(と私は思うのですが...) を正当化し、更に巨額の報酬を「違法に」受けていたとされています。
「コストカッター」の異名を持つ同氏の豪腕ぶりは有名ですが、人間を「コスト」として捉え、仕事が無くなる人々の「想い」に心を馳せるより、合理的経営結果をして利己的な「欲」に心を支配されてしまったのは、長年「カリスマ」と称されて社会に君臨してきた「超有能経営者」も、「欲」という人間誰もが心に持つ「煩悩」に支配されていたという事でしようか。
私自身、元バンカーとしてファイナンスの視点(人ではなく金銭視点)で、企業を再生し発展貢献する事の重要性を理解しています。
企業経営では、時として冷徹な決断を強いられる事がある事も、エンタテインメント企業の米国現地法人社長の時代に身をもっての経験から理解できます。
しかし、企業経営とは人類の幸福創造に寄与することです。
社員の幸福を考える事は経営者としての責務です。然し乍ら、人間は高い社会的地位や強大な社会的影響力を持つと、本来は利他的かつ社会的な「善」を創造すべき「権限責任」を、利己的で自己陶酔的錯覚とも言える「権力」思考に心を支配される事があります。
要は、「自分は偉い!皆が自分の僕であり、全知全能の神的存在!」といった類の錯覚意識です。
この錯覚意識は、トップマネジメントだけではなく、日本の組織社会の現場を預かっている営業等部門(数字の詰めを慫慂する仕事現場)の責任者が陥る傾向もあります。
罵声を浴びせる威嚇マネジメントは「ハラスメント」と紙一重であり、「心理的安全性」は全く無い組織です。
レッド組織では幸福働は叶いません。
何故に、こうした行動を取るのでしょうか?
私は「欲」によるものと思っています。
人間は「欲」の塊とも言える存在です。
誰もが食欲、睡眠欲、性欲、承認欲、生存欲、怠惰欲、歓楽欲、金銭欲、出世欲...等を持っています。 どんなに高尚な振舞いをしても、その本音は皆同じです。
自己を律する強い「善」の自覚意識は未来永劫のものではありません。また、俯瞰できるものでも無いケースもあります。
長年の状態が当たり前化し、独善的な場が当然となり「善」の感度が鈍くなってくるのが「人間」の性です。
リーダーには引き際が肝心だと思います。「権力」という心の麻薬に溺れ、浸り過ぎる前に、襷を渡す決断ができるリーダーの美学!
日本社会を牽引しているトップマネジメントの方々に期待したいところであると共に、現場マネジャー意識も変革させてゆくことが求められる時代!です。