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自分に正直になる、ということ

2014-12-13 22:34:00 | ノンジャンル
皆様いかがお過ごしでしょうか。

たまにはタイトルと本文の関連性を持たせないといけないな、なんて思いつつ書いていきたいと思います。

目標はサクッと短く!


と、いうわけでですね。皆さん、「自分に正直になる」ということについてどう思われますでしょうか。


シンキングタイム!


……


……


うーん……残念ながら皆さんの考え、僕には全く響いてこないですねー。



何故かって?


僕が思うに、理由はただ1つ。

それは、それぞれが各自の端末の前で答えを考えており、直接コミュニケーションを取っていないからです。


僕はあらかじめこの文章を書いているわけで、とても残念なのですが、皆さんが考えていたさっきの時間、僕は別のことをしています。



だから響いてこないんですねー。




……さて、皆さんの時間を華麗に奪い去ったところで、本題に入りたいと思います。

「自分に正直になることが大事だったんだ」
「自分に正直になれば良いって、こんなにも長い間気付かなかったなんて」

みたいな言い回し、よく聞きますよね。
俺も言わんとしていることは理解できると思うんです。

表現活動や、人間関係の中で、ふと思う瞬間がありますね。

あ、変に飾るのをやめたら楽だった

って。


その感覚で合っているなら、俺も結構感じることがあります。
ただ、「こんなことならもっと早く自分に正直になっておくべきだった」と言う考え方には、やや懐疑的です。

懐疑的と言っても、その人がおかしいというんじゃなくて、「案外そのタイミングじゃなきゃ無理だったんじゃない?」という考えですね、俺は。

何故って、そもそもその感覚って、一朝一夕で感じられるものなんですかね?
色々な技巧、色々な回り道を経て、初めて力を抜くことができるんじゃないんでしょうか。

例えば水泳。泳ぎ方を教わった通りにやってる時は、ぎこちないと思うんです。
で、ある時力を抜いたら急に泳げるようになってる。
自転車もそうですね。
人間関係にしても、気張って関わってたのが、ある時、急に自然体になる。
これって、ある程度の所まで気張ったから力が抜けるんですよね。きっと。


補助輪外したての子どもが力抜いたらこけますよ、やっぱり。余程上手く力加減をした子じゃない限りね。


何にしても最初は手探りで、段々力の抜き方が分かってくるものだと思います。
そういう意味では、場数って大事だよね。
才覚の有無というものだって、力が抜けるようになって初めて分かるもんなんじゃないでしょうか。


技術が高まってきて、技術にしがみついていなくても済むようになる。
これは、技術が無意識化されると言っても良いかもしれません。

または、技術を、思い通りに扱えるようになる。ある手法を何とか組み込んでやろうと思っていたのが、「こここれ使ったら良くない?」みたいな感じに移り変わっていく。

そして、一度力が抜けてしまうと、力が入っていた頃のことは思い出せない。

「なんで自転車にも乗れないんだよ!」
「なんで逆上がりもできないんだよ!」
「なんでこんな問題も解けないんだよ!」
「なんでそのフラグに気付かないんだよ!」

探せばいくらでも出て来そうですね。

だから何ってわけじゃないんだけどね(


でも、力が入っている人を見つけた時、そんなことを少し思い出すと、見え方も変わってくるかもしれません。

そして、それに気付いた人たちが、「初心忘るるべからず」の意味を、現代の解釈に変えていったのかもしれないですね。

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