土屋龍一郎のブログ

土屋龍一郎のブログです。

こいつら・・・・・

2005-09-09 11:18:13 | Weblog
 以下は、全く覚えが無いのに毎日50通くらい送ってきやがりけつかる迷惑千万なmailの「件名」一覧です。一旦携帯電話のリモートメールでチェックしてこういったものを削除してからPCに取り込みます。この作業だけでもうんざり。
 今日の午前中などは必要なmailが3通、メルマガ3通、ジャンクが48通。
 うんざりざりざりだ。
 嶋田でーすとかって、誰だよあんた?

【サイト料女性全額負担】※礼金銀行先入れ金・・・
【ニュース】素人動画サイト
【当選特典開始のご案内】
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それではご説明させていただきます。
緊急時事項!
嶋田です。
ひろで~す。
直接繋げる準備が出来ました。
ご連絡させていただきました。

あなたの地域で逆援助交際希望女性が現れました。
突然のメール申し訳ありません・・・
今日Hして!
奥様ランチ!
お待たせしました。
~パーティーへの招待状~ぜひお越しください。
マジで逢えるんです♪
Re:緊急!
伝言ありました。
有難う御座います
暴露します。
選んで試せる!
いかがですか?
近所の保育園のお姉さん先生・・
報酬20万円。性欲旺盛な方
あなた様にお伝え致します。

映画「亡国のイージス」を観た その2

2005-09-08 21:42:15 | Weblog
 私は、まあ、ここは私のブログなので断る必要もないのですが、わたしは原作の興奮と感傷のほうが強かった。ここらへんは、監督さんの器量なのだろうけれど、きっと数カ月後に「完全版」とか「ディレクターズカット」が出るだろうな。この映画。
 結局は「どの部分をカットするか」ということが映画づくりの基本なのだろうけれど、あれもこれもカットできず、しかもいいたいことを少しずつカットして、さらにきっとあまり過激な演出は控えた、ということを感じた。
 原作が文庫で1100ページを越える超大作なのだから4時間くらいの超大作映画にしてじっくり考えさせるとか、2つの映画に分けても良いくらいの気がする。これまでにも「羊たちの沈黙」「ハンニバル」など、原作を読んでいたにもかかわらずそれを超える感動を与えた映画があった。そう考えると「亡国のイージス」が『映画化は不可能』と言われていたとおり、難しかったのだろう。

 原作では最後の最後に宮津夫人と渥美DAIS本部長との感動的なシーンがあって、原田美枝子さんと佐藤浩市さんがどんな演技をするか大変楽しみだったが、これは割愛されていてとてもとても残念だった。佐藤浩市さんにはこの路線で世界に俳優として一本勝負して欲しい。
 配役ではホ・ヨンファに中井貴一さんというチョイスは好きです。ソン・ガンホとかひげ面状態のトニーレオンみたいな無気味で怪しいともっとよかった。どうしてもほら、中井さんは格好よい人のイメージだから。

 私は普段からちょこっと画面に映るその他端役をきっちりこなす映画出演をしてみたいとあこがれているのですが、この映画に出演していたあまり台詞がなかった人たちは重要な原作を読んでいないのではないかと思う。あまりに映画チックなアクション過ぎて日本を背負っている自衛隊的な緊張感がもっと欲しかった。

 あれ?ほめるつもりだったのに。

怒られなくなったら終わりって?

2005-09-07 12:59:50 | Weblog
 小学校中学校の頃、とても怖かった先生に「怒られなくなったら終わりだぞ」と言われながらいつもクラス中で怒られまくっていた。
 昔読んだ小説にも「怒られなくなったら終わりだぞ」と主人公が戒められるシーンがあった。
 ずうっとずうっと意味がわからなかった。
 気に留められなくなったら終わり、という意味かなぁ。などと考えていた。

 あるときに、意味がわかってきてしまった。
 社会人ともなれば小中学生のように四六時中怒られているわけではない。こちらだってそうしょっちゅう怒鳴っていられない。
 ある人に、注意レベルも含めてずうっと怒っていた。一生懸命な人で人気もある人なのだが私にとっては「もうちょっとやって欲しい」という人だった。
 そのとき、また彼がちょっとしたトラブルを起こしてしまった。一瞬「かっ」と熱くなった私だったが、どのように伝えようか考えているうちに、「もう怒る気がしなくなって」怒らないままになってしまったのだった。
 つまり、怒りすぎて怒りたくなくなった。のであった。
 彼はあの時で、終わってしまったのだろうか・・・・・

映画「亡国のイージス」を見た その1

2005-09-06 14:46:32 | Weblog
 勝手に涙が流れました。
 ぐさりと心に残る名台詞がありました。たとえば、仙石先任伍長がいそかぜに戻る時の「忘れ物だ」とか、「生きていた・・・それだけです」(ダイスの小林さん)
 小説で一気に読んで興奮した亡国のイージスを休みの日の仕事の合間に見てきました。でかい画面は良い!

 さて、見た映画の感想なのでこれから観る方は読まないほうが・・・
1、カップルで見にいくには甘いその後に期待できません。「どう、結構すごかったろ」「う~ん、ってゆうかぁ良かった~」「だろ」「ちょーすごかった」「だろ」「おっきかったねぇ」「だろ!」・・・という感じで甲板で抱き合ったカップルがどうだったとか、あの脇役は意地悪だよね、とかのその後のロマンチックなデートにつながるシーンはありません。
2、国家に対して考えのあるかたがたはそれについて参考にするようなディープで目新しいサジェッションは原作ほど強調していません。
3、戦闘シーンが好きで真田広之さんを見に行く方には物足りないかもしれません。
4、原作を読んでしまったディープな方には映画の筋ではなくて細かな描写に専念して下さい。
5、やっぱここは日本だな、日本の映画だな、と思う方は正常です。

 あれ?ほめるつもりだったのに・・・・・

ラジオ朗読3菊池寛「入れ札」

2005-09-05 02:03:42 | Weblog
 最近、ちょっとした自家用車の移動では、ラジオを聴くようになった。
 カーステレオのCDを入れ替えるのを面倒くさがってるのが主な理由だ。というのも英検用リスニングテープを反復して聴くのが突然つらくなったのと、あまりに音に集中してしまうので運転が危険になるからでもある。

 昨夜は、NHKで菊池寛の「入れ札」という作品を中村昇アナウンサーが朗読していた。不思議なことにこの作品は今までラジオでしか触れていない。前回は作者作品名とも不明だったが今回は、NHKのホームページで情報を知ることが出来た。
 「父帰る」だって読んだことの無い私だけれど、せっかくこの作品を知ったのだからこれをご縁にちょっと読んでみたい。

 さて、ラジオ番組作品では、まじめに製作しているものが好きだ。最近は本当に自宅でテレビを全く見なくなってしまったのだが、ラジオでテレビ的なお笑いやらおふざけが流れていると聴くに堪えず、チャンネルさえ避けるようになった。そんな中、NHKのまじめな姿勢は気に入っている。6年後にテレビが地上デジタル波に全面移行するに伴ってラジオの存在が危ぶまれているけれど「音」や「声」「言葉」を表現するメディアとしてなんとか活路を拓いて欲しい。
 さらにちょっと関わっているインターネットラジオも隙間メディアとして今後面白くなると思う。

ラジオ朗読2「われら」

2005-09-04 01:45:33 | Weblog
 やっぱりNHKの深夜番組でロシアの作家ザミャーチンの「われら」を解説していた。部分的に朗読しながら、ロシア文学の教授のような女性が時代背景と作品の徹底的な分析と解説をしていた。
 この放送を聴いたのは中央高速道路を走っていて途中で予想もしなかった吹雪にあって視界も利かず、音もなくフロントガラスにくっつく雪と格闘してた時だ。車内の空気はヒーターで澱んで、それなのに外の空気も取り込めない息苦しい時だった。
 時々、電波が吹雪で乱されて放送自体がロシアからの電波を偶然拾っているような錯覚に陥った。

 まったく知らなかった作品だったし、だいいちにロシア文学なんて長くて重くて、きっとどこを読んでも白夜みたいな不毛な苦しみしかないような気がしていたから、ドストエフスキーだってちゃんと読んだことは無かった。けれども最近のインターネット世界は(おそらくザミャーチンもこんな風に作品が検索されるとは夢にも思わなかっただろう)とても便利で3日後には手元に新刊が届いていた。

 この「われら」は1920年に書かれた未来小説で、支配と宇宙船建造という今でも未来小説の題材になりそうなシチュエーションを取り上げている。この作品のおかげでザミャーチンはレーニン批判者のレッテルを貼られた、というからまことに前時代作品だ。怪しすぎる登場人物と映像化したくなるような建造物や室内の描写が面白い。

ラジオ朗読1「屋根裏の散歩者」

2005-09-03 01:18:58 | Weblog
 今年の春、ふと自家用車で移動中につけたNHKラジオ第一放送の「きらり10代」の名作をよもうというコーナーから江戸川乱歩作「屋根裏の散歩者」の朗読が聞こえた。
 思わずストーリーの面白さと朗読者の迫力に引き込まれてしまった。
 その声の主はなんとタレントの小池栄子さんだった。あのダイナマイトボディしか知らなかった私だが、相当修行したと思える朗読のうまさに思わず感激した。さわりだけしか朗読していないので、その先のストーリーが聞きたくてたまらなかった。
 嫁入り道具に江戸川乱歩前週を持ってきた我が女房殿はもちろん「屋根裏の散歩者」を読んでいて、実際自宅にもあった。果たしてそのストーリーは明智小五郎が見事に事件を解決する手際以上に、登場人物の気持ちの変化や常軌とのぶれを味わうに十分な面白い作品だった。
 いままでどちらかと言うと避けていた書棚のコーナーだったがそれをきっかけに全集も読み始めた。まあ、この女房専用コーナーは通っぽすぎる蔵書なのでじっくり読むことになりますが・・

 音しか情報の無い「ラジオ」というメディアがこんなにも気持ちを捉えるとはびっくりだった。

身体に優しいフットウェア

2005-09-02 12:23:31 | Weblog
 足の裏の筋のツッパリがなかなか良くならない。7月のハーフマラソン前後からつらい状態が続いている。おかしな症状で、朝起きた時に足の裏が痛くてうまく歩けない。歩いていると痛みは和らいでくる。
 足の裏に限らず、かかと・ふくらはぎ・手首・右手人差し指・首がこってしまって痛い。パソコンを続けたせいだという見立てが一番説得力がある。マウスについているロールを一日中いじるのは右手人差し指だけだからだ。
 朝晩ストレッチをして、お風呂でもんで、更に女房や子供たちに指圧してもらっても「お父さん、固くてやだ」と言われてしまう。

 おっさんとしては、金で痛みが解決できるものであれば多少はかけても良いと思っている。
 そこで、
href="http://www.birkenstockjpn.co.jp/product/birkenstock/index.html">ビリケンシュトック
原宿店で通勤用のシカゴという定番のモデルと、カジュアル用のベロアの靴を買った。
 店員さんはお客さん一人一人の足サイズと形を専用のメジャーで測ってから要望にあう一足を選んでくれる。足裏の形にあった中敷と足を比べて予想される靴ズレだとか痛みのアドバイスをしてくれる。
 実際にこの中敷に足を乗せると、健康サンダルを履いているようにつぼが刺激されて気持ちが良い。
 決して安くない買い物だが、長時間歩く足をケアするフットウェアは身体に優しいものを選びたい。
 ただし、友人の順平君は「決してスタイリッシュじゃないけどね」と、痛いところを突いてきたけれど。

原宿

2005-09-01 20:29:25 | Weblog
 新しいブランドの展示会を見に久しぶりに原宿へ行ってきた。
 あさ9時半の竹下通りは閉まっている店も多いが、入荷した品物を並べている店もあるし、朝は早い中高生のそぞろ歩きを目当てに開いている店もちらほら。
 同行した富岡店長も、「懐かしいっすね。」と昔話に花が咲く。
 私が竹下通りと衝撃の出会いをしたのはもう25年も前じゃないか!四半世紀だぞ。学生時代から東京での就職、そして長野へ戻ってからもちょくちょく通った原宿だ。そう思って良く見るとやっぱりずいぶん変わっている。
 友人がアルバイトをしていたブティックはもうキャラクターグッズやになっている。仕事でデザイナーに会いに行ったスタジオは流行りの会社に変わっている。汗だくで商品の積みおろしをした倉庫は壊されてしゃれたカフェが建っていた。きっと今日までの間に何回かオーナーが変わったことだろう。
 ところが、20年ほど前、原宿に勤めていた時の昼休みに、どの店も込んでいてしょうがなく入ったそば屋はなんと、まだ営業していた。すごいと思ったが今日も入らなかった。
 早い時期に開店したコンビニエンスストアもまだ同じ場所にあるってことは未だにこの辺りは活気があるってことだ。
 ちょっと大回りして表参道を通って原宿駅へ。
 昔はどの店もドキドキして、なにを見ても面白かったものだ。さすがに今は感受性が鈍ったのか、いろんなものを見過ぎたか、ただおっさん化が進んだのか、手にとって迷うようなことは減った。
 行く度毎に、必ず隅々までチェックしていたビルには、もう入る元気もないものな。