こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
私は休みの日には、映画を見たり本を読んだりが多く、あまり外出はしません。人混みが苦手で落ち着かないんですよね。それでも年に数回競馬場には行きますが(笑)
大人になってからその傾向は強くなったと思いますが、もともとたくさんの人の中にいることは苦手でした。そしてみんなで集まって何かすることも嫌いでした。小学生の頃はあまり何も考えていませんでしたが、中学校や高校の学校行事はしんどかったです。中学校のときは内申点のため、高校のときは場の空気を読んでしかたなく参加しましたが、できることなら別行動をしたいと思っていました。
できるだけ楽しいふりをしようとするため、ふだんの数倍疲れます。心では「やりたくない」と思っていることを周囲にばれないようにテンションをむりやり上げるというのは、とても大きなストレスになってしまうんですね。
「学校では集団生活や集団行動を学ぶ場だから我慢しなさい。それが社会に出てから役に立つんだよ」それはよくわかりますが、いつまでもそれに慣れない人間だっていますし、そういう人間はその性質に合った道を歩んでいけばいいのではないでしょうか。それに私だって、まったく他人と関わるのが嫌だったわけではなく、気の許せる数人の友人との時間は心から楽しいと思えました。
そもそも集団になることってそんなに必要なことでしょうか?
人混みが大嫌いな私は、祭りなどのイベントには行ったことがありません。ですがテレビやネットでそういうシーンを見ることはあります。先日も渋谷でのハロウィンが大きな問題となっていましたね。集まった人たちが暴走して、好き放題やらかし、お店の一部を破壊するし、すさまじい量のゴミも出していました。私と真逆で集まって何かをすることが大好きな人間もいるでしょうから、集まってワイワイすることには何も文句はありませんが、他人に迷惑をかけるようなことは絶対してはいけないと思うし、正直見ていて気分が悪くなりました。私はここに集団の怖さがあると思うんです。
もしかしたら、あそこで暴徒化した人たちも普段はごくふつうの常識のある人かもしれません。それが集団になることで異常なテンションになり、これまで自分で線引きしていたことが一気に崩れ、あんな非常識なことをしてしまっているのではないでしょうか。1人のときには絶対にしないこと、できないことを集団になったらやってしまう。
学校での「いじめ」もこれと根本は大きく変わらないケースも多いと思います。「いじめ」って1対1では起こりませんよね。集団で1人を標的にするんです。もしかしたら初めはちょっとした冗談だったかもしれませんが、それが悪い方向のノリに変わって、だんだんと快感になりエスカレートしていくのです。集団に加わる前は「こんなことはしないでおこう」と決めていたルールも集団に加わった途端に、「自分がやられるのが嫌だから」という理由もあるでしょうが、あっさりと自分のルールを破ってしまうのです。
人が集まるって実はすごく怖いものです。昔私が小さかった頃「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というフレーズが流行りましたが、まさにこれなんです。今回の渋谷でのハロウィンや、暴走行為を繰り返したり成人式で暴れている若者、祭りで度を過ぎるはしゃぎ方をしている人たち、全部根っこは同じなんでしょう。
一方で、集団のよいところはもちろんあります。1人でできることには限度がありますので、世の中には何人かで協力することによって初めて達成できることで溢れています。災害時に助け合うこともそうです。1人1人の力は弱いんです。だからこそ人類の歴史は集団の歴史なんです。
集団で狩りをして生活し、集団で村をつくり、より快適な暮らしを求めてきました。しかし、その集団が争いを生んできたのも事実です。中学校の歴史の教科書も半分以上は争いの歴史です。「〇〇の乱」と何気なくみんな暗記していますが、殺し合いですからね。良いことか悪いことかの議論はしませんが、ヨーロッパで起こった市民革命も成功しましたが、多くの死者を出しました。
私たちが学ばないといけないのは、人は1人では生きていくことができない、だからこそ助け合い協力し合わなければならない。でもそれが正しい方向に進まなければ、とんでもない不幸なことが起きる可能性があるということです。そうならないためにも、まず集団心理の危険性をみんなが共有し、その対策やルール作りをしなければなりません。
学校は狭い狭いコミュニティです。中には私のように集団生活や集団行動が苦手な子もたくさんいるはずです。私個人的には、それほど集団生活を学ばなくてもいいんじゃないかと思っているのですが、学校で集団生活を強要させる以上は、集団心理の悪い面を十分に考慮した対策やルールが必要です。異常なことが起きているのに、それが異常なものと気づくことができないような学校であってはならないのです。集団生活をおくる場だからこそ、より慎重に丁寧な議論が必要だと思います。
ONE-SのHP
私は休みの日には、映画を見たり本を読んだりが多く、あまり外出はしません。人混みが苦手で落ち着かないんですよね。それでも年に数回競馬場には行きますが(笑)
大人になってからその傾向は強くなったと思いますが、もともとたくさんの人の中にいることは苦手でした。そしてみんなで集まって何かすることも嫌いでした。小学生の頃はあまり何も考えていませんでしたが、中学校や高校の学校行事はしんどかったです。中学校のときは内申点のため、高校のときは場の空気を読んでしかたなく参加しましたが、できることなら別行動をしたいと思っていました。
できるだけ楽しいふりをしようとするため、ふだんの数倍疲れます。心では「やりたくない」と思っていることを周囲にばれないようにテンションをむりやり上げるというのは、とても大きなストレスになってしまうんですね。
「学校では集団生活や集団行動を学ぶ場だから我慢しなさい。それが社会に出てから役に立つんだよ」それはよくわかりますが、いつまでもそれに慣れない人間だっていますし、そういう人間はその性質に合った道を歩んでいけばいいのではないでしょうか。それに私だって、まったく他人と関わるのが嫌だったわけではなく、気の許せる数人の友人との時間は心から楽しいと思えました。
そもそも集団になることってそんなに必要なことでしょうか?
人混みが大嫌いな私は、祭りなどのイベントには行ったことがありません。ですがテレビやネットでそういうシーンを見ることはあります。先日も渋谷でのハロウィンが大きな問題となっていましたね。集まった人たちが暴走して、好き放題やらかし、お店の一部を破壊するし、すさまじい量のゴミも出していました。私と真逆で集まって何かをすることが大好きな人間もいるでしょうから、集まってワイワイすることには何も文句はありませんが、他人に迷惑をかけるようなことは絶対してはいけないと思うし、正直見ていて気分が悪くなりました。私はここに集団の怖さがあると思うんです。
もしかしたら、あそこで暴徒化した人たちも普段はごくふつうの常識のある人かもしれません。それが集団になることで異常なテンションになり、これまで自分で線引きしていたことが一気に崩れ、あんな非常識なことをしてしまっているのではないでしょうか。1人のときには絶対にしないこと、できないことを集団になったらやってしまう。
学校での「いじめ」もこれと根本は大きく変わらないケースも多いと思います。「いじめ」って1対1では起こりませんよね。集団で1人を標的にするんです。もしかしたら初めはちょっとした冗談だったかもしれませんが、それが悪い方向のノリに変わって、だんだんと快感になりエスカレートしていくのです。集団に加わる前は「こんなことはしないでおこう」と決めていたルールも集団に加わった途端に、「自分がやられるのが嫌だから」という理由もあるでしょうが、あっさりと自分のルールを破ってしまうのです。
人が集まるって実はすごく怖いものです。昔私が小さかった頃「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というフレーズが流行りましたが、まさにこれなんです。今回の渋谷でのハロウィンや、暴走行為を繰り返したり成人式で暴れている若者、祭りで度を過ぎるはしゃぎ方をしている人たち、全部根っこは同じなんでしょう。
一方で、集団のよいところはもちろんあります。1人でできることには限度がありますので、世の中には何人かで協力することによって初めて達成できることで溢れています。災害時に助け合うこともそうです。1人1人の力は弱いんです。だからこそ人類の歴史は集団の歴史なんです。
集団で狩りをして生活し、集団で村をつくり、より快適な暮らしを求めてきました。しかし、その集団が争いを生んできたのも事実です。中学校の歴史の教科書も半分以上は争いの歴史です。「〇〇の乱」と何気なくみんな暗記していますが、殺し合いですからね。良いことか悪いことかの議論はしませんが、ヨーロッパで起こった市民革命も成功しましたが、多くの死者を出しました。
私たちが学ばないといけないのは、人は1人では生きていくことができない、だからこそ助け合い協力し合わなければならない。でもそれが正しい方向に進まなければ、とんでもない不幸なことが起きる可能性があるということです。そうならないためにも、まず集団心理の危険性をみんなが共有し、その対策やルール作りをしなければなりません。
学校は狭い狭いコミュニティです。中には私のように集団生活や集団行動が苦手な子もたくさんいるはずです。私個人的には、それほど集団生活を学ばなくてもいいんじゃないかと思っているのですが、学校で集団生活を強要させる以上は、集団心理の悪い面を十分に考慮した対策やルールが必要です。異常なことが起きているのに、それが異常なものと気づくことができないような学校であってはならないのです。集団生活をおくる場だからこそ、より慎重に丁寧な議論が必要だと思います。
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