こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
私には3歳になる姪がいますが、月に1回ほどのペースで会っています。会うたびに成長する姿に驚き、感動すら覚えます。泣くことしかできなかったのに、いつのまにか私のことを「英治おじさん」と呼んでくれるようになりました。最近では、数字やひらがなも覚えたらしく、得意げにノートに書いて見せてくれます。おそらく弟が教えているのでしょうか、アルファベットも少し書けるようになりました。正直、この年齢のときにそんなことを教える必要はなく、もっと外で遊んだりしたらいいのになあとは思いますが、自分の子どもが言葉や文字など様々なものを覚えていき、楽しんでいる様子を見ると、もっともっとさせてあげよう!という気持ちになるのでしょうね。その気持ちはわかりますので何も私は基本的には口出しはしませんが、あまりに教育熱心になりすぎたら少し抑えるようなアドバイスはしようと思っています。
小学校に入学するまでの子どもたちって、何をさせても喜びますよね。好奇心の塊で、新しく何かを覚えることがなにより楽しいのでしょう。さらに、その覚えたものを言葉にしたり、書いたりすると周りがとても喜んでくれます。「すごいねー。よくできたねー」と。それが嬉しいから子どもはどんどん学ぼうとします。そこには「しなければならない」という義務感がまったくなく、ただ純粋に自分が楽しい、そして周りが褒めてくれるから嬉しいという理想的な学びの形となっています。
いつから子どもは勉強するのを嫌いになるのでしょうか。それは「遊び」が「勉強」という名称に変わってしまい、「しなければならないもの」という義務になってしまう小学校からが多いのではないでしょうか。小学校も入学当初は楽しいでしょうが、だんだんと宿題が出され始め、宿題を忘れると怒られ、間違いと多いと注意され、これまで自分のペースで楽しくできていたものが、いつの間にか周りと比較されるようになります。褒められなくなり、それどころかいつも注意されたり怒られたりするようになるため、だんだんと勉強することが苦痛になり嫌いになっていきます。
逆に勉強が得意な子は、それほど勉強が嫌いではありませんよね。当たり前かもしれませんが、授業はよくわかるし、テストでもいい点数をとれるため、怒られることもありませんので嫌いになる理由がありません、宿題などは「めんどくさい」と思いながらも、すぐに終わらせることができますし、それほど苦にはならないのです。私も小学校のときや中学校のときは、「授業がわからない」といったことがありませんでしたし、テストでいい点数をとることがモチベーションの向上につながり、勉強嫌いどころか、勉強が私の唯一と言ってもいいほどの拠り所となっていました。
勉強が嫌いになったのは、高校生になってから。高校受験が終わり燃え尽き症候群になり勉強をしなくなったのも原因ですが、明らかに私よりも勉強ができる子が周りにたくさんいました。1人や2人ではなくおそらく何十人、あるいは何百人も。授業もわからない科目が続出し、定期テストの平均点は30点くらいだったと思います。それでも高校3年生からは大学受験をしようと決めたので、なんとか勉強も頑張り、理解できていく数学や物理に少し楽しみも感じながら、2浪はしましたが大学に合格しました。しかしこの大学で私は決定的に勉強が嫌いになりました。
もともと工学部を希望していたわけでもなく、それほど理数系が得意だったわけでもなく、ただなんとなく選んだ学部でしたが、私のような中途半端な学力しかなく、それでいて将来の目標を何も持っていないような者がついていけるような場所ではまったくなく、私は完全に落ちこぼれてしまいました。それは高校時代とは比べものになりませんでした。授業を受けても、大げさではなく1割も理解できませんでした。授業はわからないし、興味もないし、大学に通うのが嫌になり、大学をサボるようになりました。それが原因で、何度も留年しそうになりましたが、運よくギリギリのところで進級でき、無事に卒業はできました。ですが、卒業しただけです。何1つ勉強は理解できませんでした。ですから就職を考えるときも、この道でやっていくなんて自分には到底できないと判断し、工学部とはまったく無縁の方向に進もうと決め、それがまた失敗で私はひきこもりを経験することになったのです(詳しくは、ブログ内の私のひきこもり時代をお読みください。
私は塾の講師をしていますので、よく「先生はいい高校・大学に行かれていたから勉強できていいですね。困ったことなんてなかったでしょう」と言われますが、とんでもないです。私ほど勉強に対してコンプレックスを抱いている塾講師なんていないのではないかというほど、苦労しました。勉強が嫌いでした。
続きは次回にしますね。
ONE-SのHP
私には3歳になる姪がいますが、月に1回ほどのペースで会っています。会うたびに成長する姿に驚き、感動すら覚えます。泣くことしかできなかったのに、いつのまにか私のことを「英治おじさん」と呼んでくれるようになりました。最近では、数字やひらがなも覚えたらしく、得意げにノートに書いて見せてくれます。おそらく弟が教えているのでしょうか、アルファベットも少し書けるようになりました。正直、この年齢のときにそんなことを教える必要はなく、もっと外で遊んだりしたらいいのになあとは思いますが、自分の子どもが言葉や文字など様々なものを覚えていき、楽しんでいる様子を見ると、もっともっとさせてあげよう!という気持ちになるのでしょうね。その気持ちはわかりますので何も私は基本的には口出しはしませんが、あまりに教育熱心になりすぎたら少し抑えるようなアドバイスはしようと思っています。
小学校に入学するまでの子どもたちって、何をさせても喜びますよね。好奇心の塊で、新しく何かを覚えることがなにより楽しいのでしょう。さらに、その覚えたものを言葉にしたり、書いたりすると周りがとても喜んでくれます。「すごいねー。よくできたねー」と。それが嬉しいから子どもはどんどん学ぼうとします。そこには「しなければならない」という義務感がまったくなく、ただ純粋に自分が楽しい、そして周りが褒めてくれるから嬉しいという理想的な学びの形となっています。
いつから子どもは勉強するのを嫌いになるのでしょうか。それは「遊び」が「勉強」という名称に変わってしまい、「しなければならないもの」という義務になってしまう小学校からが多いのではないでしょうか。小学校も入学当初は楽しいでしょうが、だんだんと宿題が出され始め、宿題を忘れると怒られ、間違いと多いと注意され、これまで自分のペースで楽しくできていたものが、いつの間にか周りと比較されるようになります。褒められなくなり、それどころかいつも注意されたり怒られたりするようになるため、だんだんと勉強することが苦痛になり嫌いになっていきます。
逆に勉強が得意な子は、それほど勉強が嫌いではありませんよね。当たり前かもしれませんが、授業はよくわかるし、テストでもいい点数をとれるため、怒られることもありませんので嫌いになる理由がありません、宿題などは「めんどくさい」と思いながらも、すぐに終わらせることができますし、それほど苦にはならないのです。私も小学校のときや中学校のときは、「授業がわからない」といったことがありませんでしたし、テストでいい点数をとることがモチベーションの向上につながり、勉強嫌いどころか、勉強が私の唯一と言ってもいいほどの拠り所となっていました。
勉強が嫌いになったのは、高校生になってから。高校受験が終わり燃え尽き症候群になり勉強をしなくなったのも原因ですが、明らかに私よりも勉強ができる子が周りにたくさんいました。1人や2人ではなくおそらく何十人、あるいは何百人も。授業もわからない科目が続出し、定期テストの平均点は30点くらいだったと思います。それでも高校3年生からは大学受験をしようと決めたので、なんとか勉強も頑張り、理解できていく数学や物理に少し楽しみも感じながら、2浪はしましたが大学に合格しました。しかしこの大学で私は決定的に勉強が嫌いになりました。
もともと工学部を希望していたわけでもなく、それほど理数系が得意だったわけでもなく、ただなんとなく選んだ学部でしたが、私のような中途半端な学力しかなく、それでいて将来の目標を何も持っていないような者がついていけるような場所ではまったくなく、私は完全に落ちこぼれてしまいました。それは高校時代とは比べものになりませんでした。授業を受けても、大げさではなく1割も理解できませんでした。授業はわからないし、興味もないし、大学に通うのが嫌になり、大学をサボるようになりました。それが原因で、何度も留年しそうになりましたが、運よくギリギリのところで進級でき、無事に卒業はできました。ですが、卒業しただけです。何1つ勉強は理解できませんでした。ですから就職を考えるときも、この道でやっていくなんて自分には到底できないと判断し、工学部とはまったく無縁の方向に進もうと決め、それがまた失敗で私はひきこもりを経験することになったのです(詳しくは、ブログ内の私のひきこもり時代をお読みください。
私は塾の講師をしていますので、よく「先生はいい高校・大学に行かれていたから勉強できていいですね。困ったことなんてなかったでしょう」と言われますが、とんでもないです。私ほど勉強に対してコンプレックスを抱いている塾講師なんていないのではないかというほど、苦労しました。勉強が嫌いでした。
続きは次回にしますね。
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