こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
学習塾の講師として働いてもうすぐ20年になりますので、これまでたくさんの子どもたちを指導させてもらうことができ、そして多くの子どもたちと仲良くなることができました。話すのが苦手だった私が、話好きになったのは、子どもたちの存在があったからこそなんです。
生徒だけでなく、講師として一緒に働いてくれた人もたくさんいました。ほとんどが大学生の方でしたので、私とは年齢も離れていましたが、ずいぶんと慕ってくれ、授業の後、夜遅くまでワイワイと話をすることも何度もありました。もともと、かなりいい加減な性格ですので、働きにくかったとは思いますが(たとえば、問題集の解答を決まった場所に置いていなかったので、生徒の答え合わせをするときに、講師のみんなはまず必死で解答をあちこち探しまわってくれていました)、みんな文句も言わずに途中でやめることもなく、大学を卒業するまで働いてくれました。そんな彼らとは今でも連絡を取り合ったり、会って話したりしています。
先日、ある卒業生と会いました。彼は卒業生でもあり、一緒に働いた講師の仲間でもあります。彼が入塾してくれたのは中学1年生のときでした。とても真面目な性格で、さらに負けず嫌いなところもあり、「これだけの量の宿題はさすがにできんやろう」というほどの宿題を出しても、頑張って毎回してくれるのでとても驚いたことを覚えています。そんな真面目で努力家の彼が無事高校合格し、これでお別れやなと少し寂しく思っていたところ、「高校生になっても、ここに塾に来たい」と言ってくれました。当時の塾は小・中学生対象にしており(理由は、私がもう高校の勉強をほとんど忘れてしまっていたから)、「嬉しいんやけど、月謝を頂けるほどの指導はできないわ」とお断りしたところ「自習のような形になってもここの塾に来たい」と言ってくれましたので、彼が私が指導した初めての高校生となったのです。
その後見事大学に合格し大学生になった彼は松下塾の講師として来てくれることになりました。大学を卒業するまでの4年間一緒に働くことができ、彼とは生徒時代と合わせて10年間の付き合いとなりました。塾のシステムや私の考え方など、完全に理解してくれていましたので、一緒に働きやすく私もずいぶんと助けられました。
一方で、10年も毎週のように顔を合わせ、授業が終わった後には、教育のことから社会問題、そしてプライベートなことなど様々な話をすることで、彼は私の影響を少なからず受けたと思います。10代の多感な時期ですし、なおさらだったでしょう。
私は前述の通り、かなりいい加減な性格で、「まあ、なんとかなるやろう。まあ、いっかあ」というところがあり、私自身は長所でもあるとおもっているのですが(笑) 一方、彼はとても真面目な性格で、というより真面目すぎるところがあり、それが原因でしんどくなってしまうこともあったと思います。それが、私と10年も一緒に過ごすうちに、私のいい加減さが、彼をだんだんと侵食していき、大学を卒業する頃には、いい加減さだけでなく、考え方や価値観なども私と似るようになっていました。彼にとってよかったかどうかは、わかりませんが(笑)
そんな彼も、今では立派な社会人となっており、私では到底できないような仕事をこなしています。真面目な部分を残しながらも、いい加減さを兼ね備えた、ある意味最強の人種になりつつあります(笑)
彼は塾で一緒にいた10年間をとても貴重なものと考えてくれていて、今でも教育問題や子どもの学力についてもかなり関心を持っています。「必要であれば、いつでも声をかけて下さい。すぐにでも転職してONE-Sで働きます」と言ってくれてます。彼ならきっと、私と同じように、私以上にしっかりとしてくれるでしょう。うーん、後継者問題はこれで安心安心。
組織やネットワークがきちんと機能するためには、損得ではなく理念で繋がってる必要があると私は考えます。目指す方向が異なる人たちとでは、組織はもちろん、ネットワークすら機能しなくなるでしょうし、なにより長続きしません。社会の役に立つ組織ができたとしても、それが持続可能でなければ意味がありません。そういった意味では、彼のように同じ志を持った人こそが貴重な存在であり、理想的な組織やネットワークを構築する上で必要不可欠な人なのです。
私にとっては、私が指導してきた子どもたち、そして一緒に働いてきた講師の人たちは大きな宝です。ONE-Sそのものを大きくするのではなく、幅広いネットワークを作っていくためにも彼らの助けが必要になるでしょう。みんなー、また力を貸してくれよー!
ONE-SのHP
学習塾の講師として働いてもうすぐ20年になりますので、これまでたくさんの子どもたちを指導させてもらうことができ、そして多くの子どもたちと仲良くなることができました。話すのが苦手だった私が、話好きになったのは、子どもたちの存在があったからこそなんです。
生徒だけでなく、講師として一緒に働いてくれた人もたくさんいました。ほとんどが大学生の方でしたので、私とは年齢も離れていましたが、ずいぶんと慕ってくれ、授業の後、夜遅くまでワイワイと話をすることも何度もありました。もともと、かなりいい加減な性格ですので、働きにくかったとは思いますが(たとえば、問題集の解答を決まった場所に置いていなかったので、生徒の答え合わせをするときに、講師のみんなはまず必死で解答をあちこち探しまわってくれていました)、みんな文句も言わずに途中でやめることもなく、大学を卒業するまで働いてくれました。そんな彼らとは今でも連絡を取り合ったり、会って話したりしています。
先日、ある卒業生と会いました。彼は卒業生でもあり、一緒に働いた講師の仲間でもあります。彼が入塾してくれたのは中学1年生のときでした。とても真面目な性格で、さらに負けず嫌いなところもあり、「これだけの量の宿題はさすがにできんやろう」というほどの宿題を出しても、頑張って毎回してくれるのでとても驚いたことを覚えています。そんな真面目で努力家の彼が無事高校合格し、これでお別れやなと少し寂しく思っていたところ、「高校生になっても、ここに塾に来たい」と言ってくれました。当時の塾は小・中学生対象にしており(理由は、私がもう高校の勉強をほとんど忘れてしまっていたから)、「嬉しいんやけど、月謝を頂けるほどの指導はできないわ」とお断りしたところ「自習のような形になってもここの塾に来たい」と言ってくれましたので、彼が私が指導した初めての高校生となったのです。
その後見事大学に合格し大学生になった彼は松下塾の講師として来てくれることになりました。大学を卒業するまでの4年間一緒に働くことができ、彼とは生徒時代と合わせて10年間の付き合いとなりました。塾のシステムや私の考え方など、完全に理解してくれていましたので、一緒に働きやすく私もずいぶんと助けられました。
一方で、10年も毎週のように顔を合わせ、授業が終わった後には、教育のことから社会問題、そしてプライベートなことなど様々な話をすることで、彼は私の影響を少なからず受けたと思います。10代の多感な時期ですし、なおさらだったでしょう。
私は前述の通り、かなりいい加減な性格で、「まあ、なんとかなるやろう。まあ、いっかあ」というところがあり、私自身は長所でもあるとおもっているのですが(笑) 一方、彼はとても真面目な性格で、というより真面目すぎるところがあり、それが原因でしんどくなってしまうこともあったと思います。それが、私と10年も一緒に過ごすうちに、私のいい加減さが、彼をだんだんと侵食していき、大学を卒業する頃には、いい加減さだけでなく、考え方や価値観なども私と似るようになっていました。彼にとってよかったかどうかは、わかりませんが(笑)
そんな彼も、今では立派な社会人となっており、私では到底できないような仕事をこなしています。真面目な部分を残しながらも、いい加減さを兼ね備えた、ある意味最強の人種になりつつあります(笑)
彼は塾で一緒にいた10年間をとても貴重なものと考えてくれていて、今でも教育問題や子どもの学力についてもかなり関心を持っています。「必要であれば、いつでも声をかけて下さい。すぐにでも転職してONE-Sで働きます」と言ってくれてます。彼ならきっと、私と同じように、私以上にしっかりとしてくれるでしょう。うーん、後継者問題はこれで安心安心。
組織やネットワークがきちんと機能するためには、損得ではなく理念で繋がってる必要があると私は考えます。目指す方向が異なる人たちとでは、組織はもちろん、ネットワークすら機能しなくなるでしょうし、なにより長続きしません。社会の役に立つ組織ができたとしても、それが持続可能でなければ意味がありません。そういった意味では、彼のように同じ志を持った人こそが貴重な存在であり、理想的な組織やネットワークを構築する上で必要不可欠な人なのです。
私にとっては、私が指導してきた子どもたち、そして一緒に働いてきた講師の人たちは大きな宝です。ONE-Sそのものを大きくするのではなく、幅広いネットワークを作っていくためにも彼らの助けが必要になるでしょう。みんなー、また力を貸してくれよー!
ONE-SのHP
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます