こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。
私は大学卒業後、約3年間ひきこもりでだったことは、このブログでも何度も書いています。ひきこもりから脱出して、今はもう「いい思い出」とまではいきませんが、「良い経験をしたな」と思えるようになっていますので、こうしてその当時のことを恥ずかしからずに話すことができます。
ひきこもりの一番のきかっけとなったのは、就活の失敗です(今考えるとさまざまな要因がありましたが)。私は大学は工学部でしたが、大学での勉強にまったく興味がわかず、そして勉強がわからないこともあって、理系ではない仕事をしようと思いました。いろいろ考えた末、公務員になろうと決め、公務員試験の勉強を始めました。大学での勉強とまったく異なる勉強でしたが、いわゆるテスト勉強には慣れていましたし、当時は自信もありましたので絶対に合格すると信じていました。
国家公務員試験、地方公務員試験、いろんな試験を受けました。市役所も堺市だけではなく、大阪のその他の市、そして父の実家が愛媛県ですので松山市役所といった大阪府以外の試験も受けました。ですが結論から言うとすべて不合格でした。
人生で初めて挫折を味わいました。もちろん大学受験でも2浪して志望校に合格できなかったので挫折はしているのですが、それはどこか自分でも気づいていた部分もあり、つまり自分よりも勉強ができる人間なんて無数にいるということは高校に入学したときにわかっていましたので、ショックはショックでしたが、「まあしかたないか」と諦めることができました。しかし、この就職試験での不合格は受け入れることはできなかったのです。
それはなぜか。
理由は1つです。
「市役所を受験した人の中でおそらく私の学歴が一番上だったにもかかわらず、不合格になってしまったからです」
大学の第一志望には不合格でしたが、それでも私の大学は国立大学です。偏差値もある程度高いはずです。学歴を信じて生きてきた私は、履歴書を書くときもどこか自慢げに書いていましたし、面接でも「いい大学に行ってるね」と言われるのを心地よく感じていました。ですが結果はことごとく不合格。大学の偏差値でいうと10以上私の大学より下の大学の人が合格しているのに私は不合格。学歴至上主義の私にこの結果を受け入れることなんて到底できなかったのです。
「ホンマどこも面接官っていうのは見る目がないな!何を基準に判断しとるねん!」私の怒りの矛先は面接官に向けられました。今ならはっきりわかります。当時の面接官の方々の見る目は正しかったと。
当時の私は、とにかく「しゃべり」が下手で(今でもヤバいですが(笑))、面接でしどろもどろになることはしょっちゅうでしたし、集団討論ではほぼ何も発言できないまま終わることさえありました。それだけならまだしも、学歴があることを鼻にかけている、こんなやつと一緒に働きたいなんて誰も思わないですよね。不合格になって当たり前だったんです。それを「口先だけのやつがうまいこと合格しとるわ。俺みたいに学歴もあって無口で真面目な人間を落とすなんて、だから役所はあかんねん!」と思っていました(そうとうヤバいやつですね(笑))。
結局こんな社会に自分の居場所なんてないと思い込み、自分自身を見つめなおすこともなく、社会を恨み、私はひきこもりへと突入しました。
当時の気持ちを正確に思い出すこともできませんし、分析もできませんが、おそらく私のそれまでの人生を全否定されたように感じていたのでしょう。「勉強さえしておけばなんとかなる。勉強さえしておけば苦労しないはず」そうして歩んできたのに、実際に社会に求められていたのは勉強だけではなく、もっと他の能力だったのだと気づかされたことがショックだったのだと思います。
ひきこもり時代の3年間で、私は初めて自分というものを冷静に見つめることができたように思います。自分に何が足りないのか、何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか、毎日それらと向き合っていました。「もうどうでもいいや」と投げやりになったことも数えきれないくらいあります。それでも時間をかけて「ありのままの自分」をだんだんと受け入れることができるようになりました。
塾を始めて、さらに自分を冷静に分析することができるようになり、自分にできることとできないことがはっきりとわかるようになり、必要ならば努力してできるようにして、またどうしてもできないものは無理にできるように見せるのではなく、できない自分をそのまま受け入れるました。自分は何もかもできるのではなく、できないものがあってもいい、しかし私だからこそできること、私にしかできないものを探していきたい、そんなふうに思うようになっていきました。
それからは生きていくことがとても楽になり、楽になったからこそ楽しくもなりました。背伸びしたり強がったりするのではなく、自分にできることを一生懸命する、等身大の自分を受け入れる、それで他のだれかの役に立つことができたり、喜んでくれればこんなに嬉しいことはないですよね。
不登校やひきこもりで悩んでいる子どもたちの中には、昔の私のように自分を受け入れることができずに、社会や学校そして家族のせいにしている子もいるかもしれません。でも本当はどこか自分自身で気づいているんです。気づいているのですが受け入れる勇気がないのです。または経験がないのです。1人だけの世界に閉じこもらずに、せめて家族とだけは接したり、たまには外の空気を吸ったりしていれば、個人差はあるでしょうが、だんだんといろんなものを受け入れることができて、1歩前に進みだせる日が来るはずです。いつ来るかわからないその日を待ち続けることは本人はもちろん、家族もしんどいでしょうが、自分を信じて、そして子どもを信じて頑張ってください!
ONE-SのHP
私は大学卒業後、約3年間ひきこもりでだったことは、このブログでも何度も書いています。ひきこもりから脱出して、今はもう「いい思い出」とまではいきませんが、「良い経験をしたな」と思えるようになっていますので、こうしてその当時のことを恥ずかしからずに話すことができます。
ひきこもりの一番のきかっけとなったのは、就活の失敗です(今考えるとさまざまな要因がありましたが)。私は大学は工学部でしたが、大学での勉強にまったく興味がわかず、そして勉強がわからないこともあって、理系ではない仕事をしようと思いました。いろいろ考えた末、公務員になろうと決め、公務員試験の勉強を始めました。大学での勉強とまったく異なる勉強でしたが、いわゆるテスト勉強には慣れていましたし、当時は自信もありましたので絶対に合格すると信じていました。
国家公務員試験、地方公務員試験、いろんな試験を受けました。市役所も堺市だけではなく、大阪のその他の市、そして父の実家が愛媛県ですので松山市役所といった大阪府以外の試験も受けました。ですが結論から言うとすべて不合格でした。
人生で初めて挫折を味わいました。もちろん大学受験でも2浪して志望校に合格できなかったので挫折はしているのですが、それはどこか自分でも気づいていた部分もあり、つまり自分よりも勉強ができる人間なんて無数にいるということは高校に入学したときにわかっていましたので、ショックはショックでしたが、「まあしかたないか」と諦めることができました。しかし、この就職試験での不合格は受け入れることはできなかったのです。
それはなぜか。
理由は1つです。
「市役所を受験した人の中でおそらく私の学歴が一番上だったにもかかわらず、不合格になってしまったからです」
大学の第一志望には不合格でしたが、それでも私の大学は国立大学です。偏差値もある程度高いはずです。学歴を信じて生きてきた私は、履歴書を書くときもどこか自慢げに書いていましたし、面接でも「いい大学に行ってるね」と言われるのを心地よく感じていました。ですが結果はことごとく不合格。大学の偏差値でいうと10以上私の大学より下の大学の人が合格しているのに私は不合格。学歴至上主義の私にこの結果を受け入れることなんて到底できなかったのです。
「ホンマどこも面接官っていうのは見る目がないな!何を基準に判断しとるねん!」私の怒りの矛先は面接官に向けられました。今ならはっきりわかります。当時の面接官の方々の見る目は正しかったと。
当時の私は、とにかく「しゃべり」が下手で(今でもヤバいですが(笑))、面接でしどろもどろになることはしょっちゅうでしたし、集団討論ではほぼ何も発言できないまま終わることさえありました。それだけならまだしも、学歴があることを鼻にかけている、こんなやつと一緒に働きたいなんて誰も思わないですよね。不合格になって当たり前だったんです。それを「口先だけのやつがうまいこと合格しとるわ。俺みたいに学歴もあって無口で真面目な人間を落とすなんて、だから役所はあかんねん!」と思っていました(そうとうヤバいやつですね(笑))。
結局こんな社会に自分の居場所なんてないと思い込み、自分自身を見つめなおすこともなく、社会を恨み、私はひきこもりへと突入しました。
当時の気持ちを正確に思い出すこともできませんし、分析もできませんが、おそらく私のそれまでの人生を全否定されたように感じていたのでしょう。「勉強さえしておけばなんとかなる。勉強さえしておけば苦労しないはず」そうして歩んできたのに、実際に社会に求められていたのは勉強だけではなく、もっと他の能力だったのだと気づかされたことがショックだったのだと思います。
ひきこもり時代の3年間で、私は初めて自分というものを冷静に見つめることができたように思います。自分に何が足りないのか、何をしたいのか、どうやって生きていきたいのか、毎日それらと向き合っていました。「もうどうでもいいや」と投げやりになったことも数えきれないくらいあります。それでも時間をかけて「ありのままの自分」をだんだんと受け入れることができるようになりました。
塾を始めて、さらに自分を冷静に分析することができるようになり、自分にできることとできないことがはっきりとわかるようになり、必要ならば努力してできるようにして、またどうしてもできないものは無理にできるように見せるのではなく、できない自分をそのまま受け入れるました。自分は何もかもできるのではなく、できないものがあってもいい、しかし私だからこそできること、私にしかできないものを探していきたい、そんなふうに思うようになっていきました。
それからは生きていくことがとても楽になり、楽になったからこそ楽しくもなりました。背伸びしたり強がったりするのではなく、自分にできることを一生懸命する、等身大の自分を受け入れる、それで他のだれかの役に立つことができたり、喜んでくれればこんなに嬉しいことはないですよね。
不登校やひきこもりで悩んでいる子どもたちの中には、昔の私のように自分を受け入れることができずに、社会や学校そして家族のせいにしている子もいるかもしれません。でも本当はどこか自分自身で気づいているんです。気づいているのですが受け入れる勇気がないのです。または経験がないのです。1人だけの世界に閉じこもらずに、せめて家族とだけは接したり、たまには外の空気を吸ったりしていれば、個人差はあるでしょうが、だんだんといろんなものを受け入れることができて、1歩前に進みだせる日が来るはずです。いつ来るかわからないその日を待ち続けることは本人はもちろん、家族もしんどいでしょうが、自分を信じて、そして子どもを信じて頑張ってください!
ONE-SのHP