ふくろう親父の昔語り

地域の歴史とか、その時々の感想などを、書き続けてみたいと思います。
高知県の東のほうの物語です。

貫之と土佐。

2010-01-15 00:05:20 | 昔話
 「土佐日記」を皆さん、ご存知のことと思います。土佐の国司であった紀貫之が任期を終えて、京の都に帰るときの55日間の旅行記なのですが、ひらがなで書かれた最初の日記文学として有名なのです。
 土佐・高知県にとって知名度という観点からいうと、土佐日記を発表してくれた紀貫之のおかげで、随分と助かっているように思います。
 彼が国司として土佐に来ていたのは、延長8年(930年)から承平4年(934年)までの4年間なのです。随分と昔の話なのですが、国司としての仕事振りとしては、能史であったことは間違いないとしても、国府付近の住民に官用紙を漉かせたのが土佐和紙の始まりとの話も在りますが、延喜式の中に土佐が紙の主要産地として出てくることから、この話は??でしょうか。
 延喜式がまとめられたのが延長5年で、貫之が土佐に赴任する3年前ぐらいですから、紙に関する記述は、間違いないところでしょう。

 土佐と貫之の関係が未だに「土佐日記」の存在一つで、日本中に知られています。
 文学作品はすごい効果があるものです。土佐の広報担当として1000年以上頑張ってくれているのです。今で言う「観光大使」ですね。

 紀貫之に先立つ50年ほど前、かの菅原道真が讃岐の国司として赴任していたのですが、あまり知られていません。道真は九州大宰府のイメージが強いですね。

 多分普遍的にこれからも文学作品として読み継がれるであろう「土佐日記」があることは高知県にとってありがたいことです。

 しかし、「土佐日記」の最初の項に送別宴会がたくさん出てきます。1000年以上も昔から、土佐の国の住民は酒スキダッタヨウデスネ。マアしっかりと飲んでいます。
 わが那波の泊でもしっかりと宴会があったようです。

 国司貫之が「いい人で有能な人。」だったからでも在りますが、酒文化を醸成し続けている土佐は、歓送迎会についても年季が入っています。

 遠流の地、土佐の国司の任は紀貫之の官吏としては、栄転でもなかったのでしょうが、その後の貫之の評価は高いものがありますね。

 これから春にかけて歓送迎会があちこちで開催されますが、ちゃんとやりましょう。
 楽しくやりましょう。しかし土佐日記の中にあるように何日にもかけて連続でというのは、ははは!!。どんなものかな。
 連続飲み続けての毎日は、しんどいものです。
 かつて連続18日連続飲み会の経験者としては、「しんどいことです。」

 今日は何の話だっけ??。紀貫之と高知県。酒つながりということでご容赦ください。