出来れば変わった地図を作りたいと思っているのです。
かつてここは、こんなところだったのですといった場所がわかる地図。
「土佐の国司を勤めていた紀貫之が任を満了して、京の都にかえる際、南国の港から漕ぎ出して、その晩は那波の泊で宿泊をするのです。」地域のガイドとしては、こうした説明をするのですが、さて「ここが那波の泊です。」といった場所が確定されていないのです。
那波の泊は何処だ??。明記された記録がない以上、何かを基に推論です。
1000年以上前の話ですからね。年寄りに聞くってものでもないし、田舎のことで記録があるで無し、ただ紀貫之の時代から200年以上以前に野根山街道が出来ていたのです。それに延喜式に出てくる多気・坂本神社があり、さらコゴロク廃寺があったってことは、相応の人数の人が住んでいたのは間違いのないところなのです。
護岸堤防が出来ていない奈半利川は東西に流れを変えていたのでしょうし、野根山街道があったってことは、どこかに渡しがあったのでしょう。
海岸から奈半利川を少し遡って川港といったところでしょうか。
さらに森林鉄道が出来て奈半利の経済も格段によくなったのですが、なくなってしまうといつの間にか徐々に衰退しているのです。町中を走っていた路線も今は当然のごとく自動車が走っています。駅があったところも全く解らなくなっているのです。
そうです。初めて奈半利の町中を歩いていて、困ったときに飛び込んで聞いてみたら良い店も入れてしまうかな。座って休める場所や、トイレの位置。
あちこちにある石塀の場所。うまいものまで紹介しようかね。
あまり変わらないのが田舎だと思っていたのですが、20~30年を経るとさすがに変わる場所がけっこう在るのです。
かつての商店街に店は少なく、新しく出来た大型店舗は田んぼの真ん中だったりするのです。
そう新しい駅だって何もなかったところに、出来てしまったのです。
なにか高知県でも、今までになかったような地図になりそうです。
何度かの大地震で土地が隆起したり沈下したのかもしれないのです。そうしたことが起こっていても不思議ではないほど、昔の話なのです。
こうした作業はけっこう楽しいものです。
20~30年に一度こうした作業を誰かがやると、そしてやり続けるとおもしろい民俗資料になりそうです。
かつてここは、こんなところだったのですといった場所がわかる地図。
「土佐の国司を勤めていた紀貫之が任を満了して、京の都にかえる際、南国の港から漕ぎ出して、その晩は那波の泊で宿泊をするのです。」地域のガイドとしては、こうした説明をするのですが、さて「ここが那波の泊です。」といった場所が確定されていないのです。
那波の泊は何処だ??。明記された記録がない以上、何かを基に推論です。
1000年以上前の話ですからね。年寄りに聞くってものでもないし、田舎のことで記録があるで無し、ただ紀貫之の時代から200年以上以前に野根山街道が出来ていたのです。それに延喜式に出てくる多気・坂本神社があり、さらコゴロク廃寺があったってことは、相応の人数の人が住んでいたのは間違いのないところなのです。
護岸堤防が出来ていない奈半利川は東西に流れを変えていたのでしょうし、野根山街道があったってことは、どこかに渡しがあったのでしょう。
海岸から奈半利川を少し遡って川港といったところでしょうか。
さらに森林鉄道が出来て奈半利の経済も格段によくなったのですが、なくなってしまうといつの間にか徐々に衰退しているのです。町中を走っていた路線も今は当然のごとく自動車が走っています。駅があったところも全く解らなくなっているのです。
そうです。初めて奈半利の町中を歩いていて、困ったときに飛び込んで聞いてみたら良い店も入れてしまうかな。座って休める場所や、トイレの位置。
あちこちにある石塀の場所。うまいものまで紹介しようかね。
あまり変わらないのが田舎だと思っていたのですが、20~30年を経るとさすがに変わる場所がけっこう在るのです。
かつての商店街に店は少なく、新しく出来た大型店舗は田んぼの真ん中だったりするのです。
そう新しい駅だって何もなかったところに、出来てしまったのです。
なにか高知県でも、今までになかったような地図になりそうです。
何度かの大地震で土地が隆起したり沈下したのかもしれないのです。そうしたことが起こっていても不思議ではないほど、昔の話なのです。
こうした作業はけっこう楽しいものです。
20~30年に一度こうした作業を誰かがやると、そしてやり続けるとおもしろい民俗資料になりそうです。