随分と以前の写真があるらしいのです。
このブログでも、森林鉄道が走っていた頃の写真を紹介しました。寺田正さんの撮影したものです。
今日の情報は、それ以前の写真のようなのです。森林鉄道がまだ出来ていなくて、木材を奈半利川の流路に流していた際のものだそうで、興味がありますね。
水量がないと、当然大きな木材は流れないでしょうし、また大量の材を運ぶには長期間かかっていたのでしょう。
どんな写真なのかきょうみがあります。一度見に行きましょう。
記録によると長宗我部元親が北川村島地区から何万本もの木材を切り出したとされていますから、そうした情景が想像されることになります。
山内の殿様も幕府の要請で随分と切り出していますし、木材は土佐藩の貴重な換金資源だったのですから、事は重大であったはずなのです。
鉄道やトラックで運ぶ事については、想像がつきますが、流すとなると???。
奈半利川は、急流でさらに蛇行がきつく、ゆっくりといかだを組んでなどということが出来たのかどうか、特に中流域は岩と岩の間を水が流れているようなもので、いかだが流れたのか、どの様に流したのか興味のあるところです。
江戸時代以前の写真は望むべくもないのですが、想像力が補完してくれるでしょう。
差配をしていたのは、当然江戸時代では浦奉行ということになります。
中芸地域の町家衆の成立に関係のあることだけに、面白そうです。
何枚ぐらいあるものなのか、そういえば聞くのを忘れたなあ。
まあ、来週のことです。
このブログでも、森林鉄道が走っていた頃の写真を紹介しました。寺田正さんの撮影したものです。
今日の情報は、それ以前の写真のようなのです。森林鉄道がまだ出来ていなくて、木材を奈半利川の流路に流していた際のものだそうで、興味がありますね。
水量がないと、当然大きな木材は流れないでしょうし、また大量の材を運ぶには長期間かかっていたのでしょう。
どんな写真なのかきょうみがあります。一度見に行きましょう。
記録によると長宗我部元親が北川村島地区から何万本もの木材を切り出したとされていますから、そうした情景が想像されることになります。
山内の殿様も幕府の要請で随分と切り出していますし、木材は土佐藩の貴重な換金資源だったのですから、事は重大であったはずなのです。
鉄道やトラックで運ぶ事については、想像がつきますが、流すとなると???。
奈半利川は、急流でさらに蛇行がきつく、ゆっくりといかだを組んでなどということが出来たのかどうか、特に中流域は岩と岩の間を水が流れているようなもので、いかだが流れたのか、どの様に流したのか興味のあるところです。
江戸時代以前の写真は望むべくもないのですが、想像力が補完してくれるでしょう。
差配をしていたのは、当然江戸時代では浦奉行ということになります。
中芸地域の町家衆の成立に関係のあることだけに、面白そうです。
何枚ぐらいあるものなのか、そういえば聞くのを忘れたなあ。
まあ、来週のことです。