こんにちは。 今日は∞とは無関係のお話です。
まだ子供達が2歳と3歳で幼稚園に通う前の事。朝ごはんに小さなおにぎりを作ったけれど、一つだけ残ったのでラップをしてキッチンのカウンターに置いておいた。
一通りの家事を済ませてから、子供達と公園へ行き帰宅すると、いつもと何かが違う家の中。これが違うって具体的には表現できないのだけれど、出掛けた時とは違った雰囲気の我が家。
「朝のおにぎり出したままだった・・・」
そう思いながらお皿を見ると一口だけ小さくかじられているおにぎり。ラップをした時には手を付けられていなくて、それは確認している。掃除や洗濯をしている間も子供達は常に母の目の届く範囲内にいて、キッチンには行っていなかった。でも、一口だけ食べられているおにぎりがお皿の上に一つ。
「ねえねえ、朝の残ってたおにぎり食べた?」
「食べてないよ」と子供達。
そうだよね。少食の子供達がお腹いっぱいと言って残したんだから、その後で手を付けることは無い。その後は「おかあさんといっしょ」を見ていて二人で遊び始めたから台所には行ってないし、それは母がずっと見ていた。
朝からの事を何度も何度も繰り返し思い返してみても、記憶に間違いは無かった。子供達も母もいない間に誰かが一口だけおにぎりを食べた・・・。なぜだろう、不思議と気味悪い感じはしなかった。
おにぎりのお皿を持ちながら子供達にその事を話すと「座敷わらしじゃない?」と息子がぽつり。娘がそれに続いて「わらしだ、わらしだ。」と言ったので「そうか、座敷わらしが食べたんだね。」とその場それでおさまった。
おにぎりはきっと子供のどちらかが食べたのかな・・・と思っていた2日後位の事。
夕飯の支度をしているとパタパタと子供が走る音がしたので、どっちかが2階に行ったのかなと思いリビングを見ると並んでレゴブロックで遊ぶ二人。
「あれ?今どっちか2階にいなかった?」
それは、愚問だった。家の間取りの関係で子供が2階へ行くには台所の前の廊下を通らなければならないのだから。子供達は廊下を通ってはいないし、暗いと怖いからという理由で子供達だけではこの時間2階へは行けないのだ。
その後も、3人で出掛けた時に何となく一人足りない感覚があったり、不思議なことは他にもあった。
「わらし」は常に家にいるわけではないようで、今日はいるなとか、外出先に一緒に来てるなと感じる事も度々で、それは3人が同様に抱く感覚でもあった。
旅行先で撮った写真に沢山のオーブが写る事もあったけど、写真を見ながら「やっぱり来ていたんだね。」という感じで、目に見えない存在が怖いとは全く思わず、何故か守られている気がしていた。
しかし、そんな気配、雰囲気がぱったりとしなくなった。
そしてそれと引き換えに、家にヤツがやってきた。
小鳥の山田三朗。
彼は、運動会の朝にやってきた。
はるばると、群馬からやってきた祖父の車に乗って。
風呂敷をかぶせられた、そのカゴに彼はいた。
小さな体で、精一杯に飛ぶ彼を家族は直ぐに受け入れることが出来た。
初めは鳥を飼うことに猛反対していた父も、飼っていくうちにだんだんと彼に心許すようになっていった。
そして彼も、私達家族の一員として私達に心許すようになった。
直接手から、えさを食べるようになって、小さなカゴの中で宙返りをするようになった。
そんな或る日。
父が出張でロスに行ったときのこと。
彼用のアメリカンサイズのお家を買ってきてくれたのだ。
カゴよりも3倍ほど大きなそのゲージに無事にお引越しをした彼は、嬉しそうにさえずって家族の心に温かい火をともした。
おおきなゲージでのびのびと、羽ばたけるようになった彼は元気に飛んでいた。それはそれは、楽しそうに。
そんな彼も何度か怪我をしたことがあった。
朝、いつものように彼の様子をみると、足から、血をながしていたのである。
原因は、素人のあたしたちにはわからない。
家族は、心配した。
幼いあたしたち兄弟は”もうとべなくなっちゃうのかな~”、”大丈夫だよ。”とかなんとかいいつつ、彼のために何が出来るかを考えた。
しかし、そうこうしている間にも彼の足は治っていった。
やっぱり動物の力は凄いと、感心した。
それからというもの、やまちゃんは順調に育っていた。
しかし、今年のさえずりの時期。
彼はあまり鳴かなかった。さえずることの少ない春に、家族達はなんとなくの不安を抱えた。
もう彼は老鳥なのだろう。だって、もう家に来て6年もたっているのだから。
数日前の朝、起きると、ゲージの中にはもう飛べなくなっている彼がいた。
羽は抜け落ち、ゲージの高い場所においてある水も飲めなくなってしまった彼。
家族はゲージ内バリアフリー化を考えたのだった。
高い位置においてあった水を床に置き、えさも床にばら撒いた。
彼の好きなひまわりの種は堅いからをもっているから、皆でからをむいて砕いてあたえた。
そして同時期、弟は13歳の誕生日を迎えた。
弟の成長とは裏腹に、彼はだんだんとすこしずつ衰弱していった。
バタバタと羽ばたいては、結局飛べずに地面に落ちる。
そんな彼の姿を見て家族は感じていた。 彼へ少しずつ近づくその気配を。
弟は、誕生日の次の朝、39度の高熱を出した。
彼が弱ると弟も弱った。
しかし彼は、弟のその熱が下がるまではその気配に打ち勝ったのだ。
やはり弟を守りそして昨日の昼、ゆっくりと彼は天国へと飛び立った。
彼は生まれ変わったら、何になるのだろう。
また鳥に生まれて、家に来るかもしれない。
あたしと横山さんの間に子供として人間になって産まれてくるかもしれない。
まだ其れはわかりはしないことであるが、きっとまた誰かを幸せにしてくれるだろう。
だからね、また逢える日まで楽しみにしてるから。
それまではさようなら、山田三朗。
まだ子供達が2歳と3歳で幼稚園に通う前の事。朝ごはんに小さなおにぎりを作ったけれど、一つだけ残ったのでラップをしてキッチンのカウンターに置いておいた。
一通りの家事を済ませてから、子供達と公園へ行き帰宅すると、いつもと何かが違う家の中。これが違うって具体的には表現できないのだけれど、出掛けた時とは違った雰囲気の我が家。
「朝のおにぎり出したままだった・・・」
そう思いながらお皿を見ると一口だけ小さくかじられているおにぎり。ラップをした時には手を付けられていなくて、それは確認している。掃除や洗濯をしている間も子供達は常に母の目の届く範囲内にいて、キッチンには行っていなかった。でも、一口だけ食べられているおにぎりがお皿の上に一つ。
「ねえねえ、朝の残ってたおにぎり食べた?」
「食べてないよ」と子供達。
そうだよね。少食の子供達がお腹いっぱいと言って残したんだから、その後で手を付けることは無い。その後は「おかあさんといっしょ」を見ていて二人で遊び始めたから台所には行ってないし、それは母がずっと見ていた。
朝からの事を何度も何度も繰り返し思い返してみても、記憶に間違いは無かった。子供達も母もいない間に誰かが一口だけおにぎりを食べた・・・。なぜだろう、不思議と気味悪い感じはしなかった。
おにぎりのお皿を持ちながら子供達にその事を話すと「座敷わらしじゃない?」と息子がぽつり。娘がそれに続いて「わらしだ、わらしだ。」と言ったので「そうか、座敷わらしが食べたんだね。」とその場それでおさまった。
おにぎりはきっと子供のどちらかが食べたのかな・・・と思っていた2日後位の事。
夕飯の支度をしているとパタパタと子供が走る音がしたので、どっちかが2階に行ったのかなと思いリビングを見ると並んでレゴブロックで遊ぶ二人。
「あれ?今どっちか2階にいなかった?」
それは、愚問だった。家の間取りの関係で子供が2階へ行くには台所の前の廊下を通らなければならないのだから。子供達は廊下を通ってはいないし、暗いと怖いからという理由で子供達だけではこの時間2階へは行けないのだ。
その後も、3人で出掛けた時に何となく一人足りない感覚があったり、不思議なことは他にもあった。
「わらし」は常に家にいるわけではないようで、今日はいるなとか、外出先に一緒に来てるなと感じる事も度々で、それは3人が同様に抱く感覚でもあった。
旅行先で撮った写真に沢山のオーブが写る事もあったけど、写真を見ながら「やっぱり来ていたんだね。」という感じで、目に見えない存在が怖いとは全く思わず、何故か守られている気がしていた。
しかし、そんな気配、雰囲気がぱったりとしなくなった。
そしてそれと引き換えに、家にヤツがやってきた。
小鳥の山田三朗。
彼は、運動会の朝にやってきた。
はるばると、群馬からやってきた祖父の車に乗って。
風呂敷をかぶせられた、そのカゴに彼はいた。
小さな体で、精一杯に飛ぶ彼を家族は直ぐに受け入れることが出来た。
初めは鳥を飼うことに猛反対していた父も、飼っていくうちにだんだんと彼に心許すようになっていった。
そして彼も、私達家族の一員として私達に心許すようになった。
直接手から、えさを食べるようになって、小さなカゴの中で宙返りをするようになった。
そんな或る日。
父が出張でロスに行ったときのこと。
彼用のアメリカンサイズのお家を買ってきてくれたのだ。
カゴよりも3倍ほど大きなそのゲージに無事にお引越しをした彼は、嬉しそうにさえずって家族の心に温かい火をともした。
おおきなゲージでのびのびと、羽ばたけるようになった彼は元気に飛んでいた。それはそれは、楽しそうに。
そんな彼も何度か怪我をしたことがあった。
朝、いつものように彼の様子をみると、足から、血をながしていたのである。
原因は、素人のあたしたちにはわからない。
家族は、心配した。
幼いあたしたち兄弟は”もうとべなくなっちゃうのかな~”、”大丈夫だよ。”とかなんとかいいつつ、彼のために何が出来るかを考えた。
しかし、そうこうしている間にも彼の足は治っていった。
やっぱり動物の力は凄いと、感心した。
それからというもの、やまちゃんは順調に育っていた。
しかし、今年のさえずりの時期。
彼はあまり鳴かなかった。さえずることの少ない春に、家族達はなんとなくの不安を抱えた。
もう彼は老鳥なのだろう。だって、もう家に来て6年もたっているのだから。
数日前の朝、起きると、ゲージの中にはもう飛べなくなっている彼がいた。
羽は抜け落ち、ゲージの高い場所においてある水も飲めなくなってしまった彼。
家族はゲージ内バリアフリー化を考えたのだった。
高い位置においてあった水を床に置き、えさも床にばら撒いた。
彼の好きなひまわりの種は堅いからをもっているから、皆でからをむいて砕いてあたえた。
そして同時期、弟は13歳の誕生日を迎えた。
弟の成長とは裏腹に、彼はだんだんとすこしずつ衰弱していった。
バタバタと羽ばたいては、結局飛べずに地面に落ちる。
そんな彼の姿を見て家族は感じていた。 彼へ少しずつ近づくその気配を。
弟は、誕生日の次の朝、39度の高熱を出した。
彼が弱ると弟も弱った。
しかし彼は、弟のその熱が下がるまではその気配に打ち勝ったのだ。
やはり弟を守りそして昨日の昼、ゆっくりと彼は天国へと飛び立った。
彼は生まれ変わったら、何になるのだろう。
また鳥に生まれて、家に来るかもしれない。
あたしと横山さんの間に子供として人間になって産まれてくるかもしれない。
まだ其れはわかりはしないことであるが、きっとまた誰かを幸せにしてくれるだろう。
だからね、また逢える日まで楽しみにしてるから。
それまではさようなら、山田三朗。