今日は私の姪の 満一歳の誕生日
難産の末産まれた姪は 丸々と太った玉のような赤ちゃんで 無事の誕生を皆で喜んだ
だが 出生後数時間で突然容態が急変し 大学病院へ救急車で運ばれた
予断を許さぬ重篤な状態のまま 暫くの間 NICU(新生児集中治療室)で過ごすこととなった
眠れぬ夜を幾つも数えた家族の長い数カ月
その間に私の髪は 真っ白になってしまった程だった
こんな時ほど己の無力さを思い知らされることはない
ただ 神仏に祈り あの小さな体に宿る生命力の強さを 信じるだけの毎日
新生児での症例が殆どない病気の為に その治療の匙加減がなかなか難しいらしく ドクター達も手探りでの治療のようである
どうにか容態は安定し退院は出来たけれども その後も検査通院は続き 今に至っている
再発・後遺症の可能性を含め まだ暫くの経過観察は必要なのだという
いずれにせよ 今日で満一歳
両親は勿論だろうが 私にとってもとても嬉しい日であることは間違いない
色んな事情で今は逢えないでいるけれど どうかどうか健やかに育ってほしいと心から祈っている
おめでとう! 柊香
ちょうど五年前、瀬戸内寂聴師が『釈迦』というタイトルの本をお書きになった。タイトル通りブッタの生涯を綴った物語。
寂聴師がご自分の作家生活の集大成だと仰った大作でありまた、これを期にペンを擱くかもしれないとまで言わせる程の物だった。
当然の如く、発売当日に買い求めた。
しかし、私は未だこの本を読み終えてはいない。
「アーナンダ、私はもう疲れきった」
「八十になった私の肉体は老い朽ちてしまった。今では、もう使い古したぼろぼろの車のようなものだ。革紐でやっとあちこち繋ぎあわせて、どうにか動いているぼろ車同然だ。」
「アーナンダ、背中が痛い」
その一節が書かれているページで私は、アーナンダと同化したような気持ちになり、胸が詰まり、嗚咽し、一行たりとも読み進めていくことが出来なくなった。それ以来、今日まであの本を開いてはいない。
それはあまりにも思いがけないことであったから、一番驚いたのは自分自身であるのだけれど、その時からお釈迦様がとても身近で、体温を感じる存在になったのはまた不思議な事。
そして後に私は気付いた。
あの一節を読んだ時、お釈迦様が寂聴師に、アーナンダが自身へと私の中で摩り替っていた事を。
身を削り、法を説く事に生涯をかけたお釈迦様のお志を、寂聴師は引継ぎ活動なさっている数少ない沙門のお一人。 八十歳をとうに過ぎた御体に鞭打つ日常をお過ごしである。
あの方の御身に何かあろうものならば、私は決して正気では居られぬ事でしょう。
背中を摩ってくださるお手に不自由はないと思うけれど、少しでも痛む事があるのならば飛んでいきたいと思う毎日。
しかしそれが叶わぬ望みであるのならば、師の教えを実践し日々精進するのみなのだけれど…… 。
知人達は何事もなかったように『釈迦』を読み終えている様子なので、「読んだ?」と聞かれる度に返事に困っていた。
私の中では誰が何と言おうがあの日から「お釈迦様⇔寂聴師」だから、どうにも読み進んでいくことが出来ない。あまりにも肉感的で堪らないのだから。
涙腺が弱くなるのは老化の始まりなのか、それとも「鬱」なのかとも思うけどどうにもならない。
特異体質か泣き虫ちゃんかどちらかなんだろうと諦めていた。
けれど先日こんな一文を見つけた。
「私は、お釈迦様のみ跡を慕い仏跡巡拝の旅に出ました。お悟りを開かれたブッタガヤ、そしてご入滅のクシナガラ、さらにはご誕生地のネパールのルンビニー、どれひとつ思い出しても懐かしさで涙がこみ上げてきます。なかでも、法華経や無量寿経を説かれたといわれる霊鷲山は格別でした。ほとんど樹木の無い霊鷲山では、お釈迦様が御説法されたといわれる玉座で何度も五体投地の礼拝をしました。いま、そこにお釈迦様が居られることが実感できるのです。常在霊鷲山と経文にある通り、お釈迦様はいまも娑婆往来八千辺と私どものためにご苦労してくださっているのだと、しみじみ思うのです。」
これは幾度もご縁を賜り、尊敬申し上げる小林隆彰師が法華経の解説に寄せてお書きになった一節。
小林師は、将来の天台座主を約束されたと言っても過言ではない方。そんなお修行を積まれた方でも、ことお釈迦様となると涙腺が弱くなられると仰る。
得体の知れない敗北感のようなものに苛まれていた私の目の前が、急に明るくなったような気がしたのは言うまでもない。
いつかはきっと正々堂々、嗚咽しながら読破したいものである。
天台宗の荒行「千日回峰行」に挑んでいる星野圓道さん(32)=延暦寺大乗院住職=が13日、比叡山の無動寺谷・明王堂(大津市坂本本町)で、「堂入り」の行に入った。
千日回峰行で最大の難関とされ、断食、断水、不眠、不臥で9日間こもる。
堂入りする行者は6年ぶり、戦後12人目。
堂入りは、千日回峰行の700日を終えた行者が不動真言を10万回唱え、本尊の不動明王と一体となることを目指す。
毎日午前2時ごろに近くの閼伽井にお供えの水をくみに行くが、それ以外は堂にこもる。
5日目から水で口をすすぐことだけが許される。
生死をかけて挑むことから「生き葬式」とも呼ばれる。
正午、白装束の星野さんは明王堂に隣接する法曼院で「斎食の儀」に臨み、酒井雄哉さんら大阿闍梨と最後の食事を取った。
午後1時ごろ、明王堂前に姿を見せると、縁者や信者が手を合わせて無事に満行するよう祈った。
星野さんは静かに入堂し、立ち会いの僧侶らが退堂し、正面の扉が閉じられた。
満行すれば、21日未明に堂から出る。
星野さんは東京都生まれ。
1990年に出家得度。花園大卒。
2003年に千日回峰行に入った。