7月以来の中尊寺。
今回は「帰ってきた金字経」の拝観を兼ねての参拝。
観光シーズンとあって境内は物凄い人ごみでした。
人波を掻き分け「讃衡蔵」へ。
約5年振りになるでしょうか。前回、ここに入館したのは落慶記念展の時でした。
今回は、中尊寺経の幾つかが里帰りした事によるお披露目の企画展。
ニュースでこのことを知った時から楽しみで仕方のなかった私なのです。
僅かなこの展示期間を逃してしまったら、国宝級のその数々を一般人である私たちが目にすることは叶いません。
前回の落慶記念展でも素晴しいお経の数々を拝見する機会には恵まれましたが、その中の幾つかは他のお寺や博物館からお借りしたものでした。
今回はこの中尊寺にずっと残っていく物ばかりの展示。
私たち奥州の者が誇る宝が帰ってきたのです。こんな喜ばしい事があるでしょうか。
藤原清衡公が中尊寺建立の際に納めた中尊寺経は、紺紙に金字・銀字の交互で書写された「紺紙金銀交書一切経」、いわば写経の最高級品。
その装丁もまた息を呑むほど美しいものです。
ひとつひとつしっかりと目に刻むように写経を見て歩きましたが、その荘厳さに思わず手を合わせた私でした。
少し残念だったのは、ツアーの流れで来館された方々なのでしょう、展示品に関心がある様子もなく、お喋りしながら観覧をしていた事でした。
そのほとんどの方達は私の両親ほどの年齢だと思われましたが、「なに書いてるんだかさっぱりわかんないな」と大笑いをしたり「これって漢文なの?」「これ金なのかな?」そんな会話をされている人が何人もおられました。中にはお酒の匂いを漂わせている人も・・。
興味の対象は人それぞれだし、お経が読めないのも致し方ないでしょう。
しかしながら、美術館・博物館では私語を慎むようにとか、人様の迷惑になるような事がいけないなどという事は、小学生でも知ってる常識以前の話ではないでしょうか。言うまでもなく、中尊寺は寺院という神聖な場所です。
そんな方々を見て、いつの日か仏縁があらしめます様にと願わずにはいられませんでした。
話は逸れてしまいましたが・・・(苦笑)
800年以上の歳月を経てもなお色褪せる事ない写経の数々。それに込められた願いを私達はしっかりと受け止め、後世に伝えていくべきなのだと改めて考えました。
「中尊寺建立願文」の原文も今回、しっかりと拝見してきました。前回わからなかった箇所も、顔を洗って出直したお陰で何とか解読できました(笑) そして改めて清衡公の思いに、胸がいっぱいになった私なのでした。
千田孝信前中尊寺貫首が、事あるごとにお話していらしたのは、これからの世の中に必要なのは正にこの中尊寺建立願文にある「山川草木悉皆成仏」の想いであるということでした。
真の仏国土を作るために晩年の全てを捧げた、清衡公の願いをこれからの世に引き継いでいくのが私たちの役目。
戦で明け暮れていた混沌とした世の中にあって、清衡公は誰よりも先に争いの日々を悔い、平和を望み、この奥州の地から仏国土を広めようとしました。
その奥州の地に縁あって暮らしている私どもは、臆することなく平和な世の中になるように精進して参りましょうと。
その言葉に物凄い感銘を受けたのがまるで昨日のことの様に思い出されます。
時にこの奥州の地は、その自然の豊かさや朴訥とした人柄の故、見下されたように言われることが多々あります。当然、皆、多少なりともそれがコンプレックスとなっています。
そんな事も千田前貫首は気付いてらっしゃったのでしょう。
だからいつも「自信を持ちなさい。平泉は素晴しい場所なのだよ。」と、励まして下さっていた様に思います。
今回の拝観は私にとって、そんな数々の想いを確認する為の意味も含まれていました。
このような機会に恵まれたことを、心から感謝したいと思っています。
合掌
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