しずくな日記

書きたいなあと思ったときにぽつぽつと、しずくのように書いてます。

ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その3

2015-08-18 23:43:31 | 日記
3日目、最終日。晴れた!
朝ご飯前に、今度は歩いて天河大辨財天社へ。6時40分から朝拝というのを行っているらしい。
「毎日ですか?」と民宿のおかみさんに聞くと、
「雨の日も雪の日も毎日なんですよ。」とのこと。

歩くと、神社まで20分ほどかかる。村道をひたすら歩く。見渡す限り、下は川、上は山。霧が山に立ち込めている。






とても美しい、絵画のような風景なのだけど、私はとてつもない恐怖を感じてしまった。
空の果てがわからない。宇宙と直に繋がってる気がして、どこまでも広がっている。広所恐怖症の気がある私は、思わず屋根があるところに逃げ込みたくなった。広すぎる、自分がちっぽけすぎる。
ちなみに天川は、UFOの目撃談が多いところなんだそうだけど、納得した。
宇宙と繋がってる感が、ここはほんとに体感できる。ある意味、怖いところだ。

やっと見つけた自販機でミルクティーを買って気持ちを落ち着ける。
私はなんて卑小なんだろうな。。。

神社では既に朝拝が始まり、太鼓の音と笛の音、祝詞が聞こえてきた。
8名ほどお参りの人がいる中、清々しい雰囲気で20分ほどの朝拝が終わった。
お参りにきている方々は通りすがりにみなさん、挨拶をしていかれる。
爽やかで温かい雰囲気だった。









帰って朝ご飯。2日目の朝は写真を撮り忘れたので、今朝はきちんと撮る。
炊飯器に残ったごはんはおにぎり3つに。

2時間ほど部屋でのんびりして、今日はもう帰るばかりの日。
民宿のご夫婦に丁重にお礼。
ご飯も美味しかったし、名所もいろいろ教えてくださった。細かいところまで気を配っていただいて、田舎の実家に帰省したように快適だった。

11時35分天川川合発の奈良交通のバスに乗る。バス停に民宿のご主人が車で送ってくださったのだけど、その前に天川で一つしかないお土産屋さんに寄ってくださった。山椒味噌など購入。

行きと同じように1時間バスに揺られる。どうやら今年度だけ試験的にやっているらしいのだけど、奈良交通バスではキャッシュバックの特典があり、証明書さえあればバス代はいらない、もしくは宿で立て替えてもらえるのだった。これで3000円ほど得をした。ずっとやればいいのに。

証明書はこんなの。

近鉄の下市口から近鉄電車、橿原神宮前まで普通で、そこからは乗り換えて特急で京都まで。橿原神宮前で柿の葉寿司を購入。さっき食べたけど、
とっても美味しい。
もっと買ってくれば良かった!後悔先に立たず!


実はバスに乗った頃から熱っぽい感じがしていた。いろいろ考え込んだし、動き回ったから身体は消耗してるのかもしれない。
けど、心に静けさを取り戻したというか、それはいつでも本来ならばあるものなんだと気づかされた。
天川では、ゆっくりと静かに時間が流れていた。コンビニも大型量販店もない。ただ、山と川がひたすらあるだけだ。しかし、それら命あるものに過剰なほど囲まれて初めて、うーん、なんだろ、自分も悠々と生きてよい大事な命なんだ、と思うに至った。

忙しく、人が溢れる都会では、どうしてもそのペースで生きなければいけないと自分を追い詰めて、できなければ脱落者のような惨めな気持ちになってしまうこともある。自分を大切にしないことが常態化してしまうし、それを自覚することすらできない。


天川に来て良かった。ゆっくり時間が流れ、心の澱は綺麗な水に流された気がする。
また自分を大切にできなくなりそうになったら、ぜひ行きたい。
あ、今度は晴れていたらばっちり見えるという、本物の天の川が見たいな。





ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その2

2015-08-18 21:45:13 | 日記
2日目。明け方に大雨。夜中にそういえば雷も鳴っていた気が。
朝ご飯のとき、民宿に宿泊してたご夫婦が、
「4時とか、とにかくまだ暗い時間に、川が増水してますっていう村内放送があって驚いた。」
とおっしゃっていた。私は深く眠っていたからか、聞こえていなかった。

お腹いっぱいに朝ご飯を食べると、サランラップと食卓塩と梅干しを持ってきてくださり、
「炊飯器にあるご飯でおにぎり作って持って行ってー!」と言われた。
梅干しを入れたおにぎりを2つ作り、持っていくことにした。
2日目は天川川合のバス停から20分ほどのところにある洞川(どろかわ)温泉というところに行ってみることにした。

ここは修験道の登山基地として栄え、旅館やお土産物屋、食事処が軒を連ねて、小さな温泉街を形づくっているところ。



こういう感じの風情ある旅館がたくさん。雨降りで、一見すると人は少ないように見えたが…。

もらったマップ片手に、自然遊歩道と記されたところに行ってみることにした。しかし、遊歩道とは名ばかり(?)の、アップダウンの激しい、結構険しい道だった。
通り過ぎる人も少ない鬱蒼とした木立が続く。薄暗い。かなり不安になる。


八幡宮のあたりでは白装束を来た人たちもいた。修験道の行者さんたちだろうが、女性が多い、というかほとんど女性だったのには驚いた。


木立を20~30分ほど歩き、龍泉寺というお寺へ。写真さすがに撮りづらかったんだけど、甚平をきて、法螺貝吹いてる人がいた。時々、プヒッ、とか明らかに失敗した音を出していた。あの人は一体…。

あれ?鳥居?…お寺じゃないっけ?
この形の鳥居、天河大辨財天社にもあった。奈良県スタンダード? 初めてみた形。いろいろ不思議。

この時点でまだ午前11時ぐらい。14時後半のバスに乗って天川川合に帰る予定だったので、まだまだ時間がある。

自然遊歩道に戻り、かりがね橋という吊り橋を見る。

景色、綺麗だな。

そこからまた引き返して、面不動鍾乳洞へ。歩いても登れる場所にあるけど、頭が痛かったので、モノレールで登ることに。ここで初めて、結構たくさんの家族連れがいることに気がついた。鍾乳洞は子どもたちにとって、ドキドキするところだろうな。



鍾乳洞の中は平均8度らしい。入り口に入ると、寒っ! 半袖が辛い。ライトアップされた岩が人工的にみえるけど、全部自然のもの。しかも中はかなり広い。





そうこうしてたら雨が強くなってきた。普段あまり食べないのに民宿で夜も朝もたくさん食べているので、お腹いっぱい。だからお茶しよう、どこかでひと休み、と思って歩いていたら、不思議な雰囲気のカフェ兼アクセサリーショップが。

天然石や布、金属を使ったアクセサリーが個性的で、特に金属のに見入っていると、店主の女性に声をかけられた。
「それはタイの“カレン族”という少数民族の使っている印の型を押してます。魔除けの意味があるんです。」

アクセサリーは全て、この方の手作りで、金属のシリーズはタイに行ったときに、自分で買い揃えてきたパーツで作ったという。織物作家さんだという。
織り機が置いてある。

大阪にいたのだけど、その時は「売れるブランド」を意識してモノづくりをしていたらしい。生まれ育った洞川に戻ってきて、いらない情報があまりないためか、自分の中でいろいろなものが削ぎ落とされていくことを感じ、本当に作りたいな~と思うものが作れるようになったという。カフェも、やってみたいからやってみた、とのこと。
豆乳チョコレートのケーキとチャイを飲む。美味しい!
訪れた人が書くノートがあった。前のノートが書き込みでいっぱいになっていたので、新しいノートを持ってきてくださった。なんとそのノートで42冊目!!

こんなふうにびっしり書いてある。何年か後に来て、自分が書いたのを探して盛り上がったりするらしい。そういうのも楽しい。
私も書いたよ。

何年か後に来て見たい!その時の私は、どんな生活してるだろうな。未来へのお手紙みたい。

その後、雨上がりの道をふらふらする。道々に『陀羅尼助』という看板が。

うーん、妖しげ…。
なんだろうなーと思っていたら和漢の胃腸薬だった。だらにすけ、と読む。由来は古く飛鳥時代まで遡るらしい。
今でも名産品なんだな。
あと50分ほどバスの時間まであるので、バス停近くで名水珈琲と葛餅を食べる。
もう珈琲が美味しくて!部屋にもインスタントコーヒーが置いてあるのだけど、水がきれいだからほんとに美味しいのだ。
水と葛はここの名産だから、堪能し尽くした。

砂糖いらない。

天川川合まで帰ると、民宿の方が迎えに来てくださっている。車に乗って、みたらい渓谷へ。

ここ、映画で使われた気がする…。
エメラルドグリーンの水、なんて美しい。流れはわりと急。


その後、またまた天の川温泉へ。空いてた~、のんびり入る。昨日は人が多くて露天風呂は諦めたけど、2日目は入ることができた。


夕飯のボリュームが…!
普段、お肉は食べないのだけど、民宿の方がじっーとみてる中で、残すわけにはいかないでしょう!!

魚の食べ方が上手いわあ~と褒められた。魚、好きなんです…。

写真にはないけど、後でトマトをデザートにいただく。昨日も食べたけど、甘いの! 驚いた。
雨脚が少し強まった。満天の星は今回はお預け。また来るしかない。

豊かな自然の中で、ゆっくりと心も解けていく。もっといたいけど、明日が3日目、最後の日。
















ゆっくり流れる 奈良県 天川村 その1

2015-08-17 17:27:12 | 日記
先日、母との京都旅行が終わったばかりだけど、その余韻に浸る暇なく次の旅へ。
私としてはこの夏のメイン行事、憧れの奈良県吉野の奥にある天川村へ。

天川村近くの大峯という場所は修験道の道場で有名らしく、たくさんの霊場があるらしい。
なかでも山上ケ岳は日本最古の山岳信仰の聖地で、今だに女人禁制の地。

大峯山寺や修行の道である大峯奥駈道は世界遺産になっている。

天川村も歴史的に重要な場所で、古くは飛鳥時代の大海人皇子が壬申の乱で勝利したときに吉野総社として天河神社の神殿を造設したという言い伝えがあったり、南北朝時代、後醍醐天皇や彼に続く数名の天皇がこのあたりを南朝奥吉野の拠点にしていたという。

また今回一番行きたい場所である、日本三大弁財天の筆頭と言われている天河大辨財天社に御所が置かれたりしていたという。

なぜ、天河大辨財天社に行きたかったかというと…。

実は高校時代にみた映画「天河伝説殺人事件」の舞台だったから!(笑)



ちょっと前に不食で話題になった榎木孝明さんが主役の浅見光彦、素敵だった!

ジェット・リーと榎木孝明さんが私の10代の頃の理想の男性像!
どちらも浮世離れしてるっちゃあ、してるけど…どうでもいい情報。

それはさておき、「天河伝説殺人事件」でえがかれていた天川という場所の神秘的な美しさが忘れられず、いつか行ってみたいなと密かに思い続けていたわけ。




ちなみに5月に行った竹生島の辨財天様と、6月の修学旅行で行った厳島神社の辨財天様を加えて、日本三大辨財天というらしい。(江ノ島の辨財天様がはいることもあるらしい。)
一年間、いや半年の間に日本三大辨財天様全てにお参りすることができるわけ!

新幹線で京都まで、そこから近鉄奈良線の特急で橿原神宮前まで、吉野行きの各停に乗り換えて下市口まで。
ここまでで約5時間ちょっと。
そこから今度は奈良交通バスに揺られて山道をひたすら登り1時間。途中で「○○さん宅前」というバス停があったりしてびっくり。
橿原神宮前の駅で見たのが最後、その後、コンビニらしきものはどこにも見当たらない、本物の秘境だった。

ようやく天川川合(てんかわ かわあい)というバス停に到着。そこで宿泊する民宿のご主人が車で待っていてくださった。


バスは「天の川(てんのかわ)」という川沿いを走るのだけど、たくさん川遊びに興じる人がいた。親子連れ、はたまた大学のサークルメンバーっぽい人たちなどなど。
民宿のご主人は、そういう人たちをあまりに良く思っていないようで、
「人気が出るのはいいんですが、若い方が天川には似つかわしくない格好(ビキニとか!)で歩き回ったり、バーベキューのゴミをそのまま置いて帰ったり。かなり迷惑してるんですよ。今日も村道に車を置いている人がいて、警察に苦情言わせてもらいました。」
とおっしゃっていた。
天の川は透明度がとても高く、飲んでも大丈夫なくらいらしい。でもそれは意識して守っていかないとたちまち汚れてしまう。天川へ行く人は、ゴミの始末や交通ルールを守るなどの基本は守ってほしい。


いったん宿に荷物を置き、お茶とお菓子をいただいた後、今回の第一目的である天河大辨財天社に車で連れていってもらった。
ここは芸能の神様として有名で、長渕剛が結婚式を挙げた場所としても有名。能楽関係の資料も多数保存されているという。

で本物の天河大辨財天社は、思っていたよりも小さめだったけれど、やはり清浄な「気」に満ちているところだった。
鈍感な私でもわかるぐらい。
しばらく座っていたらずんずん元気が出てきたし、迷いや悩みの糸がするっと解けていく感覚があってすっきりしたから。
パワースポットといわれる所以なのだろう。

能舞台



隕石と言われている『天石』


7月末の集中豪雨で、神社裏の山の地盤が緩んでいるという。ボーリングで水を地底から抜き、山崩れが起こらないように対策をとっているとのことだった。そのせいで8月20日に大々的に行われる七夕祭は、今年はこじんまりと行われるとのこと。

天河大辨財天社は、ご縁のある人しか来られない、という噂がある。
これはその昔、交通網が発達していなかった時代の話だと思われるけれど、今でも、こようとしても怪我や事故、交通事情、天候で来られないということが多々あるという。
お参りができたぶん、一応ご縁はあったようだ。

そのあと、徒歩3分で天の川温泉という日帰り温泉へ。30分待ちという混みようだったけど、気持ち良かった。川遊びやバーベキュー終わりの学生さんがたくさんいた。青春ですな!




民宿のご主人がまたまた車で迎えに来てくださる。この民宿、送迎のサービスも込みなのだ。ありがたい。

民宿は、ご主人が元商社マンで世界中を旅していた経験を活かしてご夫婦で営んでいた。
お二人とも気さくで温かく、田舎の家に帰ってきたみたいな気持ちになる。


部屋も実家みたいで落ち着く。一人旅なんだけど、ベッド2つある部屋だった。ご夫婦二人で営んでいるので、最高3組までしか宿泊させられないという。

1日目は私の他に、家族4人で宿泊される方がいた。5歳のお兄ちゃんと4歳の妹さんが、食欲旺盛で可愛かったし、私より年下かもしれないご夫婦も気さくな方々で、夕飯時は盛り上がった。

知らない人と夕飯を共にする、しかもオイルフォンデュで野菜や魚を揚げる鍋が一つ、ということで必然的に仲良くなる。内気な私でも、自然に楽しく話せた。いい仕組みかもしれなかった。




19時半には食事も終わり、長い長い夜。虫の声しか聞こえない。この豊かな静けさを壊したくなくて、テレビをつけるのがもったいないなと思ったのでつけず。

本棚の本を物色していると、あった!

読みながら就寝。
が、最後まで読み切りたくて、結局1時半まで起きて上巻全て読む。訪れた場所の名前が多数出てきて、なんとなくドキドキ。小説の世界のなかに私も参加してるみたいな気持ちになる。

下巻がないのが残念!


あの世とこの世の境目 その3

2015-08-12 12:51:37 | 日記
無事、嵐山に到着し嵯峨野散策へ。
冷たいものでも…とお昼時にも関わらず甘味処「鼓月」へ。
今年初の宇治抹茶氷!!
多そうだけど、ペロリだった。

それにしても、渡月橋付近は人力車いっぱいだったのだけど、女性の人力車の引き手さんがけっこういた。はじめてみたよ。さっきの船頭さんじゃないけど、ものすごい重労働なのに大丈夫なんだろうかと思ってしまった。
どの分野でも女性は普通にいるよね。


お昼ご飯は母の要望もあって、嵯峨野の寿楽庵さんで食べよう!(詳細知りたい方は、過去のブログ:「静寂の旅 琵琶湖と京都2日目7」を参照してね)と思い、嵯峨野の道を歩いた。

野宮神社、祇王寺、前回一人で行ったコースを再び行く。
日陰があるところはいいけれど、祇王寺近くになってくると、午後の日差しがキツい。
祇王寺の庵で、30分ほどぼんやりする。蝉の鳴き声と水の流れる音だけ。
庵の障子が緑色がかっている。
祇王寺、緑色が美しい。
しかしちょろっと秋の気配が…。

白い花は芙蓉?

祇王寺の庭。


苔。フワッフワッ。



残念ながら寿楽庵がお休みだったので、何も食べずに化野念仏寺へ。


前回来たときは曇り空で寂しい雰囲気があったけど、今回はカラッと青空で爽やかだった。(画像悪くてすみません。神奈川に帰ったら差し替えます。ネット環境悪くて、なんとパソコンに映した画像をケータイで撮って載せました…)




化野念仏寺は前回のときも思ったけど、無縁仏になってしまった人の終の住処として、誰でもどんな人でも受け入れてくれる優しさを感じた。

嵐山まで歩いて帰る途中に自販機で懐かしの冷やしあめを見つけてはしゃいで購入していたら、
通りがかりの外国人の女性に「嵐山駅はどこですか?」と聞かれた。
私たちも嵐山駅に行きますよ、良かったら途中まで一緒に、ということで話しながら歩いた。
バックパック1つ背負ったその女性は上手な日本語で、チェコからボーイスカウトの行事で日本に来ていること、他の人とはぐれてしまったこと、嵐山駅まで行ければ待ってる人がいるはずだから大丈夫であることを話してくれた。
あんまり日本語が上手だったので、どこで学んだの?と聞いたら、
19歳の大学生でチェコで日本語を少し勉強したこと、日本語以外にも英語、韓国語など5か国語が話せること、9日間の旅でこれから福岡にも行くことなどを教えてくれた。
嵐山駅の場所がわかり、野宮神社に行きたいようだったのでそこで手を振ってお別れした。

京都に行くと、普通に海外の人が話しかけてきたりするから面白い。
帰りのJR嵯峨野線の中でも、母を空いていた優先座席に座らせ、まだ席は空いていたものの私は立っていたのだけど、
後から乗って来たヨーロッパ系の金髪巻き毛の美しい少年がこちらを「ここは座っていいの?」という風に見たので、ジェスチャーで、「どうぞ」とすると、こちらの目をしっかり見て、にっこりと美しく笑って座った。なんて綺麗!と息を呑む、絵本に出てくる天使のような笑顔だった。

あんなふうなアイコンタクトって知らない者同士の日本人ではほとんどしないから、新鮮だし心の通い合いを感じてとても嬉しかった。
席を立ったときもこちらをみてニッコリ笑ってから下車して行った。
ああいうところは日本人もマネしたい。爽やかだった。

暑い中歩き回ったから、帰りの新幹線では爆睡していた。そのまま実家へ帰り、バタンキュー…。

でもその前に仏壇に手を合わせることは忘れなかった。

生者も死者もかえってくる、あの世とこの世が交わるお盆の始まりの旅だった。

でもあの世とこの世の境目、なんて発想は、恐怖心が作り出す幻想なのかもしれないと思った。

心静かにお盆を過ごしたい。



あの世とこの世の境目 その2

2015-08-12 10:59:03 | 日記
2日目。
京都駅の中にあるホテル、「ホテル近鉄京都駅」は安価だし部屋も綺麗でアメニティもいいし、とにかくとても便利。新幹線の改札出たら一分以内にいけるのがいい。母のお気に入りのホテルだ。
京都観光はここのホテルをとれたらとるようにしている。

朝ご飯のバイキングをしっかり食べて8時30分には出発。チェックアウトしても、ホテルで荷物は預かってもらえる。夕方まで預かってもらった。

京都からJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅へ。JR使うと嵐山方面へ20分くらいでいけちゃう。

朝のニュースでは35度まで上がるという高温注意報が出ていた。麻と綿混紡の紫外線を防ぐという帽子と日焼けどめをしっかり塗って出かける。

9:07分にトロッコ嵯峨駅から出発するトロッコ列車「嵯峨野1号」の指定席を購入していたけど、JR嵯峨嵐山駅に着くのが9:00ちょうどで焦る。
といってもJR嵯峨嵐山駅とトロッコ嵯峨駅は隣同士なのですぐ乗り換え。
トロッコ列車出発2分前に乗り込んだ。
目に爽やかな緑の中を走る。

嵐山では、私が乗っていた2号車、トンネルの中みたいなところに停車。


驚いたのが、途中でトロッコ列車がストップしたこと。線路に木が倒れてたとのこと。木をどけるのにスタッフの方が列車から降りて、手動でどかせたみたい。停車した場所がいい景色のところ。ほんの10分にも満たない時間だったけど、トロッコ列車自体の乗車時間が25分間ぐらいしかない短い旅なので、かえってラッキーだったかも!?


亀岡駅到着後、そのまま嵯峨野2号で引き返すか、それともバスに乗って保津川下りのスタートのところまで行くか迷う。
保津川下りはやってみたかったけど、前日にふと、お盆の時には水辺に近づくのはよくないのかなーと思ってしまった…迷信かな。

母は行きたい!というので、保津川下りへ。
迷った要因はあともう一つ、雑誌で読んで乗船代が一人4100円と知って…え!高っ!と思ったから。
でもいざ乗船してみると、この値段は妥当だとわかる。亀岡付近から保津川を下り、嵐山の渡月橋近くまで1時間40分の旅で、その間、3人の船頭さんが手動で船を漕ぎ、その間ほぼずっーとしゃべり通しなのだ。
ただ川を下っていくものだと思っていたから、思わぬエンターテイメントに驚いた。ほんとにずっと笑いっぱなしだった。

私たちのところには屋根があって直射日光は当たらないけれど、船頭さんは直射日光に晒されながら1トン近くある船を進めていく。
20代らしい一番若い船頭さんは爽やか、40代っぽいベテラン船頭さんはトークがお笑い芸人に引けを取らないレベル。一番年上の船頭さんは60~70代くらいの方で安心感があった。
若い船頭さんが中年の船頭さんにこっそりとアドバイスをもらっていたりして微笑ましかった。
職人の素敵な仕事ぶりを見せてもらったという感じ。


3分の2ぐらい川下りが終わったときに現れた小舟の「売店」。船頭さんたちも飲み物を購入して小休憩。
私と母もわらび餅を食べた。


ちなみに船頭さんたちは嵐山に着いたあと、JRで亀岡まで戻って再び次の川下りを行うとのこと。身体を休めるのはJRに乗っている15分間だけということで、あまりの重労働に驚いた。1日で3キロほど体重が落ちるそうだ。
そうだろうな…壮絶な仕事。

川下りは風が気持ち良く、涼しかった。山の緑と空の青が目にも心地良かった。














あの世とこの世の境目 その1

2015-08-11 22:01:16 | 日記
8月10日、午前中に胃の検査以外の健康診断を終えて、すぐに新幹線で京都へ。
毎年の夏の恒例行事である、母との旅行、今年はまたまた京都を目的地に選んだ。
私は今年のゴールデンウイークのときと修学旅行でもう3回目の京都。まあ何回来ても京都は奥深いからいいけど。

夕方に京都着なので、寺社仏閣のほとんどは閉門しているはず。
どこか夜間拝観できないかなと事前にガイドブックで探していたら、
ちょうど7日~10日まで精霊迎えの行事である「六道まいり」というお盆の行事が行われているという。
場所も、祇園近くの六道珍皇寺。夜の祇園はしっとりと柔らかく魅力的なので、フラフラと祇園散策をしながらぜひいってみたいと思った。

六道珍皇寺のことを調べてみると、
「あの世とこの世を結ぶ寺」といわれているお寺だった。
この辺り、中世以降は「六道の辻」と呼ばれ、他界との入口とされているそう。
あの世とこの世の分岐点。

ちなみに六道っていうのは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界の6つの死後の世界といわれ、善悪の業によってどこに行くのか決まる…とのこと。怖い。

母に電話でここに行きたいんだけど、いい?と確認をとったとき、
「お盆にそこって…なんとなく怖いよね。何か連れて帰りそう。」
という大人げない(?)リアクション。

でもそういう母も「化野念仏寺に行きたい。」と言っていたので、
思い切って今回は「あの世とこの世の境目」を狙っていくような旅にしよう!ということにした。

京都の200番系統の循環バスはやっぱり苦手だ。清水道を通らないバスに乗ってしまったので、
途中で降りて、東西線で三条まで。
三条から鴨川沿いをそぞろ歩く。
夕方の風は気持ちよく、向こう岸には豆電球のついた七夕飾りが何メートルかおきに飾られており、夕暮れの風景の中に浮き上がってみえる。
今年は大学の学生さんたちの協力でそういうのをやっているらしい。

そうそう、浴衣の人が多くて、目にも涼し気だった。

鴨川沿いの夕暮れ、気持ちいい。


四条まで歩き、南座のあたりから東へ曲がると祇園。
祇園辻里でテイクアウトのお抹茶アイス、母はホットの抹茶オレ。お茶屋さんのは格別。

華やかな花見小路を過ぎると、普通の暮らしの路地に出る。六道まいりは、町の人がずっと守ってきた地域の行事だ。
すのこのような台を出し、近所の人たちとおしゃべりに興じる大人たちと、花火をしたり、路地を走り回って遊ぶ子どもたち。懐かしい風景。




うちわをハタハタしながらおしゃべりしている、どうやらこのご近所に住むおばあさん2人のあとをついていって、六道珍皇寺へ。
精霊をお迎えするという鐘の音がひっきりなしに聞こえる。


この風景の中で、心は昔、祖母に連れられて行った地蔵盆にタイムスリップした。
煙を頭に浴びるおばあさん、お寺の外に必ずいた、物乞いの人に戸惑ったことをありありと思い出す。

ネットも流行も届かない世界、まるで別次元で訥々と続くもののようで、とてもとても懐かしい。地の臭いがする行事だ。民族、という括り、普段感じることが少ない手触りを感じた。


幽霊子育て飴、この怪談、聞いたことある! ほんとに店があんの!?びっくり。


ここには九相図という人が朽ちていく過程を描いた絵画や、あの世を図式したものが展示されていた。
地元の若いお母さんが小さい子どもとともにお参りにきていて、
「親より先に死んだらいけないんよ!」と賽の河原で石を積む子どもたちの絵を見せながら子どもに言ってて、なんとも微笑ましかった。

その後、三条あたりで薬膳料理のお店へ。写真は鱧&梅酒。美味!

夜の京都タワー、いいね。
お盆のロウソクのよう。











ドアは開いている

2015-07-27 00:01:33 | 日記
2日間の展示が終了した。

今回、私が出したのはステンド作品ではなくて、
フュージング(ガラスを溶かす技法)で作ったアクセサリーばかりだったので、
焼成したガラスに金具などをつけてアクセサリーとして仕上げるのにも
たいして時間はかからなかった。

学校が夏休みに入った今週の火曜あたりから少しずつ仕上げをし、
アクセサリー専用の梱包材を作り(小さい袋にボール紙とプチプチをセットしたものをつめたり)、
木曜夜の搬入に何とか間に合わせた。

グループ展で展示したのは私を含めて6名。
3月の時の展示を一緒にやった2人と、今回の発起人である方1人、
理系でマニアックな生物を好んで作るプロ作家さん1人、
そしてダンス系イベントのブース等で販売している方1人。
全員、私が通っている工房の生徒さん。(プロ作家さんは過去に工房の生徒さんだった。)


ガラスという素材の共通点を除けば、みんなそれぞれ全く方向性が違うのだけれど、
それぞれ違ってみんないい、というのが言葉じゃなくてよくわかる展示だった、と思った。

原色を多様した明るい色彩の作風の人、ロマンティックな人、
私のように淡い感じが好きな人、
マニアックな生き物(すごくマイナーなキノコとかオンブバッタとか果てはゴキブリとか!)ばかり作る人。
これが個性ってものなんだな・・と作品をみていてよくわかった。
多様な世界ってほんと面白いのね。


あと、お客さんが入ってきたときに、
私の作品を好きになりそうな人がなんとなくわかるようになった。
この人、手に取ってくれそうだなと思ってみてると、大抵当たった。
なんとなく空気感で・・・。(上手く言えない・・・)
なんとか言葉にしようと頑張ってみれば、
うーん・・なんか飄々としてるっていうか、
この世のことにあんまり執着なさそうというか(!)、
風とか鳥とか好きそうな人は、手に取ってくれたり、購入してくれた。
今回、夏だし、海や風をイメージしたものを多く作ってみた。
そういうのを感じてもらえたら嬉しい。



とにかく2日間ともよく晴れてかなり暑くなり、
土曜日の午後はギャラリー前の通りを歩く人すら少なくて困った。
しかし日曜日の今日は36度まで気温が上がったにも関わらず、
人通りが多く、ふらりとわりと多くの方が立ち寄ってくださった。
そこから購入にいたるまでの心理的ステップたるや、
かなり多くのものが立ちはだかっていると思うのだけど。


私は2日間で1万円ほど売り上げた。6人で9万超えた。
ステンド作品を出していた人の単価(6000円~)は高いので、
そこがかなりの売り上げを叩き出してくれていた。
私としては今回はアクセサリーばかりで
単価もかなり安かった(500円~1800円)ので売り上げ的にはたいしたことないけれど、
いろんな手応えがあった。

前回(3月)の展示会のときに購入してくださったガラスピンバッチを帽子につけて、
今回も買いにきてくださった方がいてすごく感動した。今回もやはりピンバッチをご購入。
あと、試しに指輪を2つ作ってみたのだけど、
「これ以外の色のはもうないんですか?」と何度も質問された。
ペンダントよりも指輪やピアスの方が人気らしい。
自分がほとんどしないからよくわからなかった。
「どこかに置かせてもらったら、コンスタントに売れるんじゃない?」とアドバイスをくださる方もいて、
調子にのってちょっと考えてしまった。
しかし、これ専門でやっていくには技量や細やかさが足りないなあとプロ作家さんの仕事をみて痛感した。
いやあ、彼女はすごい。
彼女は私より6歳年上で、なんと!キックボクシングが趣味なのだ。
(しかも強いらしい・・・)


そういえば、仲良くなる人が職場でも外でも格闘技系に偏ってきてるんだけど、何でだろう・・・。

でもよくよく考えてみたら前任校で一番仲が良かった先生も、
少林寺拳法をずっとやっていた体育科の女性だった。
男女ともまっすぐで正直で、爽快感ある人が多い。

私の方の武術もすでに4ヶ月過ぎて、動けるようになってきた。
連続型は10種類あり、それを1年間でマスターするのが平均らしい。
私は今、3つ目が終了して、4つ目を学び始めた。
中国拳法は動きが一見かなり独特で、覚えるのは大変。
でもいったん覚えると、合理的な動きであることがよくわかるから面白い。
なにげにまだ一回も練習を休んでいない。
先生もいろいろ話をしてくださるようになった。
日本でも有数の武術家だし、
怖い、厳しいばかりの人かと最初は思っていたけれど、
先生のあまり器用でない優しさや心のあたたかさを感じられるようになった。
いい先生についたと思う。

芸事は、ある程度身に付くまで休んではいけない、という。
バレエの方も何とか休まずやっている(バレエの先生も大好き!)し、
今とても身体を使うことが楽しい。



今回一緒だったプロ作家さんと来年の秋、また展示会をやることになった。
今度は、「ランプ」をテーマにした展示会。
私はまだランプって全く作ったことがないのだけど、挑戦してみることにした。
がっつりしたステンドグラスのランプもあるだろうけど、
面白いランプをたくさん作ろうという話になった。
今回の展示会の主催者である方(ロマンティックな作風の人)も参加することに。


しかし電気系統が悲しいくらいにわからないので、
工業高校から大学でもそれ関係のことをみっちり学んだ彼女に習うことにした。
知らないことを知るのも楽しい。

客寄せのためギャラリーのドアを開け放したら、すごい熱風が入ってきた。
クーラーや扇風機の風も負けてしまう。
でも外の空は夏の青い空。街行く人は飲み物片手に開放感に溢れていた。
光が溢れ、夕焼け空も美しかった。

だからだろうか、誰もが開けっぴろげな気持ちになる夏のせいだろうか。
疲れたけど、心が外に向かってバーンと開いて、楽しくて仕方ない2日間だった。




























願いはセリフに込めて

2015-07-19 23:09:04 | 日記
わー・・・。
5月31日からブログ書いてないや・・。
6月の最初に新幹線がストップしちゃって、予定がずれててんやわんやだった修学旅行があって、
すぐに中間テスト、その後採点祭りが終わったのが6月末。
7月入ったらすぐに三者面談がわっさわっさ始まって、そして今。

意外と忙しかった6・7月。我を忘れて突っ走ってきた。
職場の人たちと今までで一番協力できたし、
理解しあえる心優しい同僚にも恵まれた。


文化祭の劇の脚本を書いた。
私が第一担任推薦で出した「半神」は惜しくも選ばれなかったけど、
生徒が私に小説を貸してくれ、「これを劇でやってみたい。」と言ったので私も読ませてもらった上で
第二担任推薦で出した山田悠介氏の「スイッチを押すとき」で決まった。
脚本が販売されていないか調べてみたけれど、
販売されてはいなかったので書くことになった。


「スイッチを押すとき」は映画にもドラマにも舞台にもなっているというので、
脚本を書くにあたって舞台映像を見た。
小説の内容から大きく逸脱してはいないけれど、小説とは焦点の当て方が違っていた。
しかし、どうしたってかなり悲劇的なストーリーだ。


子どもの自殺が増え続けた近未来が舞台。
自殺を抑制する研究のため、無作為に選ばれた子どもたちが心臓にある機械を埋め込まれ、
10歳になった時点で国の研究機関に連れていかれて、とある施設で生活させられる。
そこではあらゆる自由が束縛され、娯楽もない。

どういう状態になったら人は自殺したくなるのか、
というデータを集めるための実験材料として、子どもたちは連れてこられたのだった。
子どもたちは「スイッチ」を持たされていて、
絶望した子どもがそれを押すと、痛みもなく心臓が止まり死ぬことができる。
そういう状況の中で、ほとんどの子どもたちが自殺していくのだけど、
ある4人の子どもたちは7年間も生き続けたのだった。

彼らは極限状態の中で、
どうして生きることを選んだのだろうか、ということに焦点を当てた物語。
この小説、発売されて5日で第二刷が出されるくらい爆発的に売れたという。


あくまでも私の感想。
最後があまりに悲劇的、
というか小説版があまりにヒロイックすぎてうーん。。。。かっこつけすぎ!
って思ってしまった。

死ぬって、別にかっこよくないよ。
・・・子どもが結局、全員死んじゃうこのストーリー。
中学生は好きなんだろうけどなあ・・・こういうの、って思いながらも、
あまりにクサい(すみません・・・)展開に正直悩んだ。
てか、荒涼としている。底冷えすらする。
・・・選んだ子どもたちの『心象風景』なのかなって思った。

それで、というかだからこそ、悩みながらラストを変えた。
そのままにしておきたくない。


小説の世界と、もう一つ、それに介入してくる並行世界を物語の中に入れ、
オリジナルストーリーに影響を与えて変えていくことにした。
演劇は、時間も空間も自由に超えられる。
「希望」をテーマにした、救いと未来のあるラストにした。

キャストは22人。かなり多くなった。
改変して書いたストーリーを気に入ってくれるだろうか・・と心配したけど、
賛同を得られた。キャストもスタッフもすぐに決まって、
夏休み直前の金曜日、初の立ち稽古をしてみた。面白くなりそうだった。
夏休み前最後の学級通信で、どうしてこういうラストにしたかを説明した。

「すげえ熱い担任だな!」と同僚に言われた。

でも生徒への願いって、どうやって伝えればいいんだろう。
いろんな主義主張を行うことが制限されている、「教員」というこの立場の中で。

いつでも希望を持って、明るい方に心を向けて生きていって欲しい。
脚本を書いていく中で、
「これは生徒たちが演じるんだ。」と思ったとき、
どうしても願いを込めたくなった。



「・・でもその前向き加減に支えられてんの、生徒だけじゃないから。」
これは、同僚のセリフ。




































小さき者も高みを目指す

2015-05-31 10:28:19 | 日記
昨日の地震は長過ぎて焦った。
自宅は5階にあるので、結構揺れた。
地震には慣れたとはいえ、
昨日のは、「逃げなきゃやばいかな、箱根、ついにいっちゃったのかな・・」
とか、いろいろなことが心を去来した。


Twitterでみんながつぶやいている様にちょっと安心する。
Twitterって人と繋がってる感がものすごくあって、
大規模災害があったとき、
情報が流れて来るという実質的な利点を度外視しても、
どれほど慰めになるか知れないという大きな心理的利点があると思う。
東日本大震災のときだってそうだった。
みんなの集合意識が実体化したみたいで凄いな。


先日、学活中にも地震があった。
すぐに机の下に隠れる指示を出した。
しかし生徒は地震にはもう慣れている。
地震がやんでしばらくしたら、また普通に学活を再開した。
でも、普通になってしまうのは実はまずいことだ。
『恒常性バイアス』だっけ、危機感がなくなり、いざというとき逃げられなくなる。



もうすぐ3学年のビッグイベントである修学旅行。
生徒たちのワクワク感はこちらにまでビシビシ伝わってくる。
大人の事情的に言わせてもらえば修学旅行は「学習」の一環だけど、
生徒目線ではそれどころでなない(笑)。非日常の極みだもの。
この懐かしい感覚。
学年会での「新幹線デッキと宿舎のロビーはマジで『告白祭り』になるから気をつけろ!」
の発言にみんな大爆笑。
デッキには担当職員つけなきゃ!!
混むと一般の人の邪魔になるから! てか混むのか・・・(笑)。



夜遅くまで学年会をする日も増えてきたけど、
大規模災害が起こったときの対応策についても考えた。
そういえばそれって、3年前は考えなかったなあ・・。

いつ起こっても嫌だけど、
特に1日目の京都で、生徒たちだけで行動する班別自主行動時に何か起こるのが怖い。
担当職員は時間帯によって変わるけど、
誰かが常にいる清水寺と金閣寺、
そして本部のある宿舎の3カ所を集合・避難先にする。
その中で一番近いところに向かうこと、とした。

子ども達の動きって、それでなくても予想不可なところがあるから、
+自然災害なんて、ほんとにごめんこうむりたい。
特に人手が足りなくて、ボランティアさんを2名も連れて行くし、
何もないことを祈るばかりだ。


学年会での、先生たちの詳細かつ熱い話し合いにちょっと安心する。
いい先生が入ってきてくれたら学年の雰囲気って変わるものだ。
昨年まで、南国チックでどことなく怠惰な雰囲気があった(?)うちの学年だけど、
他校の学年主任経験者で、
昨年、修学旅行の実質計画を全て1人で立てたS先生が細やかに意見を出してくれたおかげで、
今年の修学旅行細案は結果、きっちりしている。

案を立てたのは6年目の若いM先生で、
熱心だし真面目だし3年前に修学旅行には行っているけども、
案立ては初めてだったから細かいところまでわからない。
そこをS先生がしっかりとフォローしてくれた。

普段は面白くて変なことばかり隣の席で言っていて、
こっちはいつも爆笑してしまうS先生だけど、
さすがは数学科、いざとなると細か過ぎるくらい細かいところまで気にかけているので、
うちの学年にはかつてない神経質なほど細か過ぎるキャラ(?)でありがたかった。

S先生は同じ学年の仲間として普段のバカ話を通して既に慣れ親しんでいるけど、
この人の『スイッチ』が入ったらなんとなく背筋がピンとする。
普段はとても穏やかかつ面白い人なので、
前任校でS先生が持っていた部活が『まるで軍隊』、
と他の先生に密かに噂されていたのが全く信じられなかった。
でもスイッチが入ったときのS先生の雰囲気を見てると、
この人の本来持っている厳しさとか、底知れぬ怖さと頭の回転の速さが伝わってきた。
確かに『軍隊』を育てることのできる人だ。本当に怖い人は、一見、穏やかだ。


私が普通に相当バカなことを話しているのを見て、
他の先生たちから「・・・怖くないの?」と聞かれたりもよくするので、
本人に自覚してもらおうと思って、
「時々、めちゃくちゃ怖いよ。」というと、
「俺みたいに優しい男はいないよ。人見知りだし酒は全然飲めないし・・怖いかなあ?」と返された。
そういうことじゃない(笑)。優しいとは思うけど自分の二重性を全然わかっていない。
「時々にゅっと顔を出す人格が、とっても怖いやつなんだよ(笑)。」と真実を伝えておいた。


なにはともあれ、この先生が加わったことで学年職員の雰囲気が一気にぴしっと熱くなった。
ありがたいことだ。
特に若い先生には、仕事の仕方や視点の持ち方で結構いい影響を与えるはず。



人なんて、なんてちっぽけな存在なんだろうと思うことが増えた。
うちは箱根からそんなに離れていない。
もし箱根に何かあったら、すぐに逃げなければいけない。
自然の前では、人はなんてちっぽけなんだろう。だから傲慢になってはいけない。
神様がもしいるとすれば、そんなことを私たちに伝えようとしてるかのようだ。



武術の師範から、昨日Facebookを通じてメッセージをもらった。
食品の害についての記事だ。コーラの害、食品添加物の害。
私が直接、子どもと接する仕事をしているのを知っていてのこと。
最後にこう付け加えてあって、じんときた。


「君自身のため、生徒のために自分を高めてください。」


どれほどちっぽけな存在であっても、努力や謙虚さを忘れてはいけない。
周囲に起こることや取り巻く人々が、私にそう伝えていると感じた。






























底知れぬから、好き

2015-05-16 23:59:55 | 日記
旅に出たのが先週のこととはとても思えない。
ペトラ・ブッシュ『漆黒の森』を読み終わり、面白かったこともあって、
この本の訳者・酒寄進一さんがあとがきで勧めていたドイツミステリを買ってみた。
小説自体ももちろんいいんだけども、この訳者の方の訳がとても上手い。
海外文学の面白さの半分は訳者の方の力だと思う。


・フェルディナント・フォン・シーラッハ 『犯罪』
・ネレ・ノイハウス 『白雪姫には死んでもらう 』

の2冊。
まとめて読む時間はあまりなかったので、通勤時間に少しずつ読んだり、
今週は2回出張があったので、出張の帰りに出先でコーヒー1杯で1時間ほど本を読んだり。
ミステリ好きが高じて文学全般が好きになったのに、
社会人になってからはあまり読めていなかった。久しぶりのミステリ三昧にワクワクした。


フェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』は、短編集のような形式。
起承転結がとても緩やかで淡々としていて、不思議な後味の小説だけど、
昔好きだったサキの小説の雰囲気を思い出させた。日本人にはない、乾いた感覚が良かった。
乾いているけど、深みがある。
フェルディナント・フォン・シーラッハが普通の小説家ではなく、
弁護士という別の仕事を持っていることが関係しているような気がする。

全ての小説にリンゴが登場するということは、最後まで気がつかなかった。
読み終わった日の夜、不思議な夢をみた。
キリスト教に関する夢で、たぶんこの小説の影響だろうと思った。
罪とは何だろうと、しばらく考えこんでしまった。

次に読んだネレ・ノイハウスの『白雪姫には死んでもらう 』は、
『犯罪』が哲学的な作品(と思った)だったのに対して、
完全にエンターテイメントの側面が強い小説だった。
同じドイツミステリ分野でも、かなり路線が違う。

それもそのはず、
調べてみるとネレ・ノイハウスは「ドイツミステリの女王」(このとき、初めて女性であることを知った!)
すなわち一時期の山村美紗氏みたい(?)な扱いを本国で受けている超売れっ子作家だった。

オリヴァーとピアという男女の刑事が主役で、この2人の人物がとても魅力的。
事件とは関係ない、それぞれの家庭のストーリーも組み込まれていて、
これって海外ドラマの脚本にそのままして欲しい!と思ってしまうくらいだった。
映像で見てみたい!絶対面白い!

2人の少女殺しという無実の罪で、
11年の有罪判決を受けてしまった青年トビアスが出所したことから始まった物語。
彼の帰りを望まない村、村人全員がなんだかおかしい・・・・と、舞台も充分!
犯人候補が多過ぎて、もう登場人物みんな怪しいくらいに中盤から思ってしまうけど、
真実がわかるにつれて、ふええ・・・人間って怖い・・・・・・。
あと、この小説でも『漆黒の森』でもキーとなったのが自閉症の男性の存在。

特に『漆黒の森』での自閉症男性の心の表現が本国で話題になったそう。
作者が自閉症の方に長い期間接して、かなり綿密な取材をもとにして作られたキャラクターなんだそうだ。

全ての人を『花』として見ていたこの男性の心象風景にはとても驚いた。
ものすごい風景だ・・・。
また、どんどん連想ゲームのように思考が『跳ねている』状態にも。
私たちの知覚世界では到底、到達することのできない世界観だった。
気になる人はぜひ『漆黒の森』を読んで欲しい。


『白雪姫には死んでもらう 』でも、偶然、事件を見てしまった自閉症の青年が事件の鍵を握っていた。
しかし、彼はしゃべることができないのだ。彼をめぐる人々の思惑が交錯する様子も怖い。

それにしても驚きの結末。
途中から犯人はわかるように書いてあるのだけど、
それに手を貸した人間があの人だったとは!!!!!!
結末まで読みたいがために、毎日の電車通勤時間がどれだけ待ちどおしかったか。


昨日読み終わり、
すぐにでもまたフェルディナント・フォン・シーラッハかネレ・ノイハウスのを読みたい!
と思い、少し時間があったので武術の練習前に駅内にある本屋さんへ。
小さな街の本屋さんなのでないかもしれないなあと思ったら、
ネレ・ノイハウスの『深い疵』があった。


武術の帰りの電車で早速読み始めたら、
どうやら『白雪姫には死んでもらう 』の方が『深い疵』よりも後の話なんだそうだ。
事件は別の話だけど、同じシリーズでオリヴァーとピアが出てくるので、
ああ、オリヴァーはこのあと・・・!とか、
それぞれのプライベートの行く末を知っちゃってるところがちょっと残念(笑)。
とはいえ、今回のも面白そうだ。

海外文学全般に訳に時間がかかるだろうから、どんどん出てくるわけでもないだろう。
今、私の中ではたまたま出会ったドイツミステリが熱いけど、
そのうちドイツ以外の国の最近のミステリも読みたい。


どの国にいても、人間って底知れない恐ろしさや魅力を持ってるなあとミステリを読むといつも思う。


































新旧・龍に会いに!

2015-05-06 23:04:10 | 日記
今年のゴールデンウイークは休みを満喫できたと思う。

昨日は、六本木シネマートの『香港電影天堂 最終章』を観に行く。

ちなみにここの映画館、もうすぐ閉館してしまうらしい。もったいないな・・・。

前日までの旅では睡眠時間がえらく少なかったこともあって、
昼過ぎまで寝ていて、しかものんびりと支度していたので、
16時10分の『燃えよ!じじいドラゴン!』の回にギリギリ間に合った。
往年の功夫スターであるブルース・リャンとかチェン・クア­ンタイとかが出ている。
見たい!って思った。
けどこの邦題だけみると、ギャグなのかなって・・・思うよね。
とても小さいところで、お客さんはだいたい20人くらいだったと思う。
老若男女いろいろだった。みんな、功夫映画ファンだろうなと思うと嬉しくなった。

燃えよ!じじぃドラゴン 龍虎激闘 日本語付予告.wmv


確かに面白いシーン満載だった。
何度も映画館から一斉に笑いが起こった。何度も吹き出した。
映画館で観るって、こういうとき一体感を感じられて楽しいよね。
60歳を過ぎているというブルース・リャンやチェン・クア­ンタイのアクション、
体型が変わってはいても、素晴らしく力強く鋭かった。観てて爽快だった。
若いときから鍛えているというのは大事なことだ。

しかし途中から涙が止まらなくなった。

まずは、30年間意識を失っていた師父の意識が戻り、
歳をとってしまった二人の弟子に語りかけるシーンで泣いた。
相当、破天荒な師父(若い女の子をナンパしたりしてる~)として描かれているのだけど、
このシーンの師父は本当に思い遣り深い言葉を2人にかけるのだ。
そして次の日の朝、突然亡くなってしまう。
前夜のあの言葉は、別れの言葉だったことを知る2人。

若者とブルース・リャンが真剣勝負をするシーン。
怪我で不自由な足を引きずり、必死で闘うブルース・リャン。
互角の闘いをするけれど、途中から足が限界を迎える、立てない。
若者ははっとして手を止める。(この若者も、真剣に武術のことを考えている青年として描かれている)
膝を着いたまま、拳で相手を打ち続けるが、力が入っていない。
そのうち、倒れ、大声でリャンは笑い始める。
周囲は一瞬驚くが、相手側の師父とチェン・クア­ンタイはすぐに何かを察する。
2人の闘いをみていたもう一人の若者は「?」という顔をして理解できないと言うけれど、
相手側の師父は「・・・おまえも歳を取ったらわかる。」と静かに言う。

そしていつしかリャンの声は、押し殺したような泣き声に変わっていた・・・。



ギャグ映画だとばかり思っていたら、
歳を取ることの悲哀や武術家としての矜持、
そんなところまでしっかりと描かれていた。
最後、「・・・おまえも歳を取ったらわかる。」のところから、
もう涙が止まらなくなって、明かりがつく直前に急いでハンカチで目元を拭った。

客席のあちこちから「何度観てもいいよね・・。」という声が聞こえた。
何度も観てるお客さんが多かったのだ。それだけ良い映画だったということ。

1時間あったので、近くにコーヒーを買いにいく。
次は、ジェット・リーと金城武の『冒険王』だ。

映画『冒険王』 オリジナル劇場予告編


こちらも、冒険活劇かなと思ってたら、半分間違っていた。
何と、ジェット・リーは小説家の役!
自分が書いている「冒険王」という小説の中でだけ、
彼は英雄として振る舞えるのだけど、
日常生活では妻と上手くいっておらず、
離婚の危機を迎えてストレスを抱えてイライラしている。
現実の世界と「冒険王」の世界の2つのストーリーが同時並行で進行するという話。

「冒険王」のジェットはいつも通り無敵で、アクションがかっこいい。
ワンチャイシリーズで相手役だったロザムンド・クワンが今回も妻役なのは嬉しかった。
ロザムンド・クワン、ほんと美しい・・・!
中華圏の女優さんの美しさはハンパない。


通常生活の方のジェットの役が新鮮だった。運転も下手、臆病者・・・。
でもどう転んでも可愛いのが、ジェット・リー。
昔のドラマっぽい映画だったけど、ジェットが可愛いから満足。
ついでに、金城武もとってもキュートだった!

でも映画として上なのは、「燃えよ!じじいドラゴン!」の方かな。
邦題なんとかして欲しいなあ・・・・。

家に帰って、ようやく手に入ったドイツの推理小説作家・ペトラ・ブッシュの『漆黒の森』を読み始めた。
これもまた素晴らしかったのだけど、しかしそれはまた別の話として書こう。

好きなことばかりしたゴールデンウイークだった。
最後は、新旧のドラゴン(功夫スターのことだよ!)にも会えて、大満足!
日々の生活の中にも、ちょっとした満足を毎日入れていきたいね。
















静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その8(ラスト) 

2015-05-05 02:37:03 | 日記
どうしよう、もう「その8」になってしまった。
この辺で終わらせないと・・・。読んでくださっている人、本当に長々とすみません。

Way to the Danrinji temple.(なんか英語で言いたかっただけ。)


で、檀林寺。
  

一言で言うと、ここの霊宝館はヤバいぞ(笑)!
霊宝館の写真撮影は禁止だったので、言葉でしか書けないけど、
例えば、飛鳥時代に作られたという国宝級の夢違観世音菩薩が腰までくらいの高さの木の柵だけでガラスもなく、
どっかーんとそこに安置してある。触ろうとすれば触れる、これ・・・。
いろんな時代のいろんなお宝がものすごーく無造作に置かれている。
全部筆で、手描きで説明が入っている。
しかも全てが宇宙のパワーで解決・・・的な下手したらかなりオカルト的な説明がついているものもあった。
(これだけでも撮影したかった・・・説明できないっ。)
おおらかなのか適当なのか。まあ同じことだけど。

このお寺自体は、平安時代の始めに嵯峨天皇の皇后が創設したもので、由緒正しいものだ。
嵯峨天皇の皇后である橘嘉智子は容姿端麗、徳も高く、技芸を愛する優秀な女性で、
この地に仏教を信仰するための壮大な寺院を作った。これが檀林寺。
平安時代初期の仏教と文化の一中心地だったという。


そんな楽しい檀林寺を後にして、嵯峨野を歩く。
結構、ツッコミどころ満載かもしれないよ、嵯峨野。



工事をしていたから入るのをやめた常寂光寺。

小倉池のほとりにあった、不思議な神社。御髪神社。
ねえ、ここ、髪のことだけしか願えないの????髪だけ?髪だけ?
 

トロッコ電車は1時間先のも予約でいっぱいだった。乗れない。


野宮神社。恋愛の神様なんだって。参拝に人が並んでいた。激混み・・・。
でもよーく見ると、奥の方に縁切りする水たまりみたいなのがあったりする・・・。
どっちなんでしょ。恋愛事は一気に引き受けますってこと?
しかし緑と赤のコントラストが美しい神社。
  

ちなみに食べたおやつシリーズ。
嵐山まで来て、今日も食べたソフトクリーム。
ほうじ茶ソフトで。さっぱりしてて美味しいんだよね。



あとアップするのを忘れていたので。祇王寺を出たところ。
祇王、仏御前、そして祇女や母刀自にも捧げたいような、白い花が咲いていた。


まとまりのない話になってしまったかもしれない。
けれど、2日間を通して考えたことは「心の中の静けさ」についてだった。

新学期になって、いろいろ考えて心が波打つときも多かった。
あまりぐらぐらと心が動くタイプでもないけど、そんな私でもこんな時がある。
目に映るもの全てが何かの暗喩だと思えば、日々疲れるかもしれないけど、
そういう側面も確かにあると思う。

静かな水、呼吸を調える、数を無心に数える、物事は常に流れ、変わって行く。
今回、目にする風景が私に示していたのは、
心の静寂を自ら作り出す方法へのヒントだったのではないか。

武術の型練習では、毎回、気を丹田に鎮めろと言われる。
最初、型に入る前も、気を鎮めるアクションから入るくらいだ。
鋭く速く、力強い技を繰り出すのに、最も必要なことだからだ。

静寂から、力強さが生まれる。
とても大切な学びがあったと思う。
そして、京都のソフトクリーム美味しかったよー!!
(最後はそれか・・・・。)

















静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その7  

2015-05-05 01:31:57 | 日記
地図を拡大してみる。奥嵯峨と言われるところのイラストマップ。
ちなみにオレンジ色の蛍光ペンのところは、地図をくれたお店。
最初から蛍光ペンでマークがついてた。今回の話では、申し訳ないけど関係ない。


気がついた方がいらっしゃるだろうか。
この写真だけで気がつかれた方は凄い。




私がいた寿楽庵の隣に、小さい文字で「寂庵」とある。
うん? どこかで聞いたことのある名前だ・・・。

「お庭の壁の向こうに棟が見えはるでしょ。
そこ、「ジャクチョー」さんが普段暮らしていらっしゃるところですよ。今日もいらっしゃるはず。
だから、そちらを向いていただいた方がいいかなあって。」
私が座っているところから20mくらいしか離れていない。



・・・あ!!!「ジャクチョー」さんって、「寂聴」さんか!!

とすると「寂庵」って、瀬戸内寂聴さんのお宅だ・・・!!!
「え!瀬戸内寂聴さん、今、そこにいらっしゃるんですか!?」
「そうですよ。すぐそこに。みなさん、聞いてびっくりしはります。
どうぞ、お土産話にしてくださいな。」

あの壁からお姿が見えることもあるのだろう。
うちの母が寂聴さんの法話の本やCDセットを持っていたりして、寂聴さんの大ファンなのだ。
連れて来てあげれば大喜びしそうだなあ。
壁を越えようとするかも・・・。


とか言っている間ににしんそばができる。
雨が少し冷たくて、身体が冷えていたので温かい麺は嬉しかった。
初めて食べた。美味しい。


「今からどこか行かれるん?」と聞かれたので、
「このあたりを回ろうと思います。」と答えると、
「祇王寺は女性なら絶対行って欲しいところです。ぜひ、行ってみてください。」
と言われた。

既に計画表とは違う動きをしていて、ノープランだったので、
お会計を済ませて、
勧められるままに祇王寺へ。
どういう由来のあるお寺かも知らないまま行ったのだけど、
パンフレットや説明ボードを見て、心打たれた。

ここは「平家物語」の『祇王』という物語に由来するお寺だ。
この『祇王』という話、女性なら絶対、ぐっとくるものがあるのではないか。
女性の人生は往々にしてこういうエピソードには事欠かない。
だからさっきのお店の方が勧めてくださった意味もわかる。

特に、あとで気がついたんだけど、
結構うら寂しい奥嵯峨を一人で旅してる女性なんて、
客観的に見たら、失恋でもして世を儚んでいると思われてもおかしくない・・・。
あー、よくよく考えたらそうかも、そう思われたかも・・。
うーん・・・人生は素晴らしいと思っているんだけど、まあいいか。

ところでこの物語には、平清盛と白拍子の祇王、そして同じく白拍子の仏御前という女性が登場する。



「平家物語 祇王」
都にきこえた白拍子の祇王、祇女という姉妹があった。
姉の祇王は平清盛の寵愛を得て、妹も有名になり、安穏に暮らしていた。

ところが、仏御前と呼ばれる白拍子が清盛の屋敷に現れ、舞をお目にかけたいと申し出る。
清盛は怒って門前払いをしようとしたが、祇王が優しく取りなし、
仏御前は清盛の前で今様を歌うことになった。
仏御前は美しく、声も節も上手であったため、清盛はたちまち仏御前に心変わりしてしまう。
昨日までの寵愛が嘘のように、祇王は館を追い出されることになってしまうのだ。

その後、清盛は祇王に追い打ちをかけるようなことをする。
仏御前の元気がないので、彼女を励ますためにお前が館に来て歌え、と祇王に命令したのだ。
言われるままに祇王は歌ったものの、ショックで心はボロボロになる。

祇王、祇女、そして母刀自の三人は髪を剃って尼となり、
嵯峨の山里、今の祇王寺の地に世を捨てて仏門に入る。

母子三人で念仏を唱えていると、竹の網戸をたたくものがある。
出てみると、思いがけずそこにはあの仏御前の姿があった。

「祇王の不幸を思うにつれ、無常を感じ、今朝、館を出て参りました。」

仏御前が被っていた衣をとると、剃髪した尼の姿になっていた。
若干17歳の仏御前のそんな姿をみて、祇王は全ての恨みつらみを忘れ、
四人が一緒に暮らし、念仏を唱え、極楽往生の本懐を遂げた。





というストーリー。
この時、祇王もまだ21歳だったという。女性が美しいときだよ。
平清盛、お前がただのスケベじじいなだけじゃん!という話(じゃない)。


まあ一般化するのは悪いけど、
男の人って、こういう無神経なところが往々にしてあるよね。
っていうか、生物学的にこういうものなのかもって。

でも、恋敵だったはずの2人の白拍子が一緒に相手を思い遣って暮らしたという話は、
人間愛を感じる話で、結構、心に響いた。
それに比べて、どこぞのドラマの女同士のドロドロとか、人間の真心をバカにしてる、浅はかなもんだよね。

   

祇王と仏御前のお墓があった。
二人の人生と思いやり深い、優しい魂に対して、思わず心から手を合わせた。



近くの檀林寺へ。ここは別の意味でツボだった。






























静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その6  

2015-05-05 00:28:04 | 日記
『化野念仏寺へ近道4分』の標示を辿り、雨の中を歩いた。
化野念仏寺の入口まで来たとき、ようやく一組の海外からの観光客の方々を目にした。
日本人のガイドさんが流暢な英語でこのお寺の来歴を説明しているらしかった。

化野念仏寺(境内に入ると写真撮影禁止)

中に入ると、地元の方らしいお参りの人が数名いらっしゃった。
そうだ、ここは水子の霊も祀るお墓なんだ。

壊れて首のない地蔵や、苔むした地蔵。無縁仏は8000体ほどあるという。
だけど不気味とか怖いという気は不思議としなかった。
いろんなしがらみや苦しみからようやく自由になり、
今、たくさんの魂と共に静かに平穏に眠っていらっしゃる…
よかった、ここならきっと寂しくない。
逆に生きてる人が励まされる場所のように思えた。来てよかった。

化野念仏寺に貼ってあった。日々、自分を振り返れということか。




化野念仏寺の山道のお土産屋さんはほとんど開いておらず、2軒だけ営業中だった。
中に入らなくてすみません、と心の中で謝りながらお店を通り過ぎた。
通り過ぎた後で、バス停がこっちじゃなかったことに気がついた。
また戻るとなるとお店の前を通らなければいけないから苦痛だ…。


仕方ないから嵐山方面まで歩くことにした。
元々、嵯峨野は散策に適したところなのだから。
誰も店の人の姿がみえない店先に「どうぞご自由にお取りください。」と手描きの嵯峨野散策イラストマップがおいてあった。
一枚いただく。

降り続く雨に少し疲れて、どこかで休みたくなった。
みると、営業してるのかしてないのかわからないくらい微妙な灯りが灯ってる店があった。
店頭にメニューは出てる。やっているようだった。緑がうっそうとしてる。

勇気を出して、入ってみた。
あれ?誰もいない…。
 
厨房を覗くと、年配の女性とアルバイトらしき学生風の女の子がご飯を食べていたようだった。
のんびりしてる・・・。


「あ、いらっしゃいませ、お一人さまですか?どうぞ。」と案内された先には誰も他のお客さんはいなかった。
まあ、もともと参道にも人はいなかったもんなあ…。

昔の田舎の家のような和室。時間が止まってるようだ。
お庭がとてもきれいだったので、そちらが見えるように座った。
    
1枚目の写真の紙に書いていることは「150年前のガラス戸なので触らないでください」。



京都名物のにしんそばを注文して、
ぼんやりと先ほどいただいてきたイラストマップをみていた。
お茶を持ってきてくれた大学生風の女の子に、
「この地図上だと、今いるお店はどのあたりになるんですか?」と尋ねると、
「あ、ちょっと聞いてきます。」と地図を持って奥に入って行った。

代わりに年配の女性が地図を持って、ここですよ、と店の名前を書き加えてくださった。

この写真じゃあ見えないか・・・。
寿楽庵。そんな名前の感じだよなあ、と思った。


「こちら側にお座りになった方がいいですよ。」とその女性がおっしゃった。
ガラスの引き戸の向こうに、もう一軒、家があるのが見えた。
こちらは庭がよく見えるのに、何故そっちをすすめるのだろう?


その理由は、今日一番の驚きだった。

静寂の旅 琵琶湖と京都 2日目 その5  

2015-05-04 23:54:03 | 日記
どうしようか迷ったけれど、まだお昼前。
とりあえず混んでるのは覚悟で嵐山方面に行ってみることにした。
京都駅に戻り、山陰本線(嵯峨野線)に乗り込む。
嵯峨野線はアナウンスがあまり入らないので、
気合を入れて周囲をみていないと、目的地でおりられない。
もう少しで乗り過ごすところだった。

嵯峨嵐山駅到着。
雨が降ったりやんだりの天候だけど、さすがは人気スポット。
人出はかなり多かった。天龍寺方面に向かって進む。

天龍寺の庭園をみてきた。日本画の世界がそこに広がっていた。植物の宝庫。
   

そして嵐山と言えば、お約束の渡月橋へ。


そして竹林。
海外からの旅行者も、しきりに「バンブー」という単語を発していた。
雨のせいで、緑が生き生きしている。どこまで行っても竹、竹。
同じような写真になってしまう。
  


さて、本当に行きたいのは嵐山のその先、嵯峨野の化野念仏寺だった。
しかし化野念仏寺は京都の西のはじ、風葬、葬送の地。
約1200年前、弘法大師がここで野ざらしになっていた遺骸を集め、
埋葬したという。それが始まり。


「化野」の「化(あだし)」とは、「はかない」「むなしい」という意味で、
また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化ることや、
極楽浄土に往生する願いなどを意図している。【化野念仏寺のパンフレットより】


大学生のときからずっと気になっていたけれど軽い気持ちで行ってはいけないところに思えて、
結局行けないまま京都を離れてしまったのだった。

嵐山のバス停に行ってみた。

市バスではなく京都バスの鳴滝行きに乗って鳥居本で降りて歩くらしい。
バスが少ないなら縁がなかったと思ってやめようと思っていた。
時刻表をみると、一時間に2本、そのうちの1本が3分前に発車したことを示していた。

あ、さっき出たばかりなのか…。
どうしよう、待とうかな、それとも縁がなかったと思って他のところに行こうかな…。

煮え切らずグタグタ迷っていると、目の前にまさにその鳴滝行きのバスがすっと入ってきた。
どうやら遅れていたらしい。縁がある、覚悟を決めて乗り込んだ。
雨脚が少し強くなってきていた。

大覚寺前で元々少なかった乗客がほとんど降りた。
乗客がほとんどいないバスは寂しい山路をひたすら登って行く。
空はどんより灰色。鳥居本に到着した。
あたりには人影がなかった。
ああ、ものすごく寂しいところにきちゃったなあ…と、そのとき、激しく後悔した。