levie妹が帰った後にやって来た麻酔科医と少しばかり話をしたのが確か21時半頃で、その後はSCUの入り口脇にある待合所の長椅子に座って、三重県の鈴鹿市に住んでいるlevie弟&levie妹とlineでやり取りをしていると、通りすがったSCUの看護師が、・・・手術室の入室までにはまだ時間がかかりますし、夕飯まだ食べていないですよね、ゆっくりお食事してきて下さい・・・と、声をかけくれた。言われてみると、確かに、昼におにぎりを1つ食べただけでけっこうお腹は空いていた(苦笑)きっと急患の付き添いで来るような人は、皆こんな感じになるんだろうなぁ。←22時半前→で、1Fに降りてコンビニで小腹を満たす食べ物を買って、さて食べよう~と思ったら、救急の入り口からlevie父とlevie妹が入ってきてすぐさま3Fの待合所に移動する事に(爆)まっ、どこで食べようが同じ事だわな。意気消沈してるかもしれないなぁ、と思っていたlevie父の様子はこの時はわりと普通で、急患で入院が決まった事だけで安心しているように思えた。まっ、リスクやら何やらを説明した所で理解は追いつかないと思うけど・・・(苦笑)←オペの現実味や予後の事は想像もしてない感じ
ちょうどその時、再度のCTを撮影しに行っていたlevie母のベッドが戻ってきて、今初めて目にするlevie母の姿を見たlevie父は、入院した現実、手術を数時間後に控えている現実、事態は決して軽くはない現実を、少しは感じとったような表情にはなった。けど、まだこれは序の口だった(苦笑)23時を回ってから、再びSCUに招き入れてくれて3人で入ったんだけど、levie父にはリアルに意気消沈する現実だったろうなぁ。点滴が2種類、新鮮凍結血漿の投与、指先には酸素フォワードを測る機器、心電図モニター、酸素マスク、目の前に繋がれているモノが何なのかも解ってはいなかったと思うけど、かつてlevie父が検査入院で体験したモノとは全く異なる雰囲気だったからか、その場ではほぼ口を閉ざし、やや厳しそうな表情で見つめていたけど、いたたまれなくなったのか、・・・外のさっきのトコで待つから・・・と、SCUを出ていってしまった。後でポツリと呟いていたけど、可哀想で見ていられなかったらしい。きっと、手術で悪いトコを取り除けば、すぐに・・・元通り・・・の生活に戻れるに違いないという簡素な気持ちでいたんだろう・・・。←そこは仕方がない
levieとlevie妹は看護師に退出を促されるまで居たんだったかな??levie父がいる待合所に戻ってみると、少しホッとしているような~、不安で苦虫を潰しているような~、そんな顔をしてた。あまり会話をしないまま30分近くが経った頃かなぁ??救急外来で診察てくれた手術に立ち合うDRが、22:30頃に撮影したCT画像をモニターを見ながら再び丁寧に説明してくれたんだけど、さっきの説明時にはいなかったlevie父には初めて見るlevie母の頭部CT画像が、さらに現実を突き付けられた感じだったかも(爆)普段だったらとっくに寝ている時間帯だから、DRの声すらよく聞き取れてないかもしれないけど(苦笑)その後に再び書類の説明をしてくれて、最後にオペの流れを詳しく教えてもらったんだけど、小脳のオペは首の後ろ、真ん中辺りから後頭部の中程までを切開し、必要に応じて左耳側へ、丸みを帯びる切り込みを入れるんだそう。←思っていた以上に大掛かりに思えた→で、麻酔がかかるまでにおよそ1時間、その後の執刀で3時間…という話だった。
けどまぁ、新鮮凍結血漿の投与で出血は止まったようで、効きすぎていたワーファリンの効果/数値も予定通り下がって麻酔医もオペにgoサインを出してくれたみたいで、予定通りAM1:00にはlevie母はオペ室に入る事になった午前0時・・・20分頃だった。←levie父には半分も聞き取れていなかったよう(苦笑)
AM1時にオペ室の入室を見送ると、少しはホッとして疲れて、待合所の長椅子にへたり込んだ3人で(微笑)これから麻酔がかかるまでにおよそ1時間、執刀してから4~5時間…の長丁場を迎える事になった(爆)
それなりに神経が張っていたのか、喉は渇くしお腹は減るし、1Fのコンビニへ食べ物と飲み物の買い出しに下りたlevie、おっとその前に、敷地内全面禁煙だったから、外へ出て自販機を探し、缶珈琲を買って一服したのだった(微笑)それからの3人は三者三様で、長椅子に横になったり、買い出ししてきたおにぎりやパンをかじったり、入院案内を読み返したり、時々時計を見ては時間を確かめて、長い夜を過ごしていた。
ポツリポツリと話もしたけど、levieとlevie妹は、リハビリをする予定になっている事が一番の気掛かりになっていた。けどlevie父にはその現実味は感じる事はできなくて、家事は分担しなきゃいけないよねぇ・・・と言ってもキョトンとするだけだった。DRに診断名を聞いた後に・・・小脳の出血・・・に関してネットで検索して読んでみたけど、血腫の大きさと圧迫具合で後遺症の出方が大きく違うらしい事を知って、levieはちょっと悩ましくなってしまった。levie母の出血範囲はおよそ25mm、ボーダーラインと言われているらしい30mmには届いていないから、今から心配する必要はないのかもしれないけど、仮にlevie母が10月下旬~11月上旬に家に戻って来れたとしても、levie父と2人で半日過ごさせるのは・・・ちょっと厳しすぎるよなぁっと。
DRの見解では、麻酔が切れて、挿管チューブを抜いてみないと・・・と言ってたと思うけど、リハビリでは車イスに乗る練習や、ご飯を食べる練習を~とも言ってて、不安材料の方が大きいと思わざるを得なかったから。
そんな状況を迎えてしまうかもしれない事は、levie父には言えなかった。精神的に少し安堵しているような感じでもあるだろうし、それでも先行きには少し不安を抱いているだろうから。
小脳の出血は、早期に治療すれば運動機能には影響は少ないと書かれていたけど、救急車で運ばれる前のlevie母は立つ事ができなかったし、決して楽観はしてはいけないと思っていた。それに、一時的に回復しても再出血の危険は孕んでいるだろうし、ワーファリンの服用を止めたから血栓も危惧できる。
やっぱ、・・・仕事を辞める方が今は無難かなぁ・・・っと考えていた真夜中だった。
長椅子に横になって少し寝て、AM4時頃に起きてみると、levie父は椅子に座ってぼんやりと空を見つめてた。どうやら一睡もしていないよう。levie妹も浅い眠りを数回繰り返しているようだった。←それぞれの長い夜
その後もそんな感じで手術が無事に終わる事を祈りながら待ち続けたんだけど、終了予定時刻を過ぎても声がかかる事は無く、窓の外はしらじらと、ゆっくり明るくなっていった。・・・まだ終わらないのかなぁ??・・・、そんな会話ばかりになっていた少し肌寒い午前6時過ぎ、・・・救急車を呼んでよかったよなぁ・・・とlevie父が呟いた。そりゃまぁそうだけど、実際には容体がおかしくなってから4時間以上経過してるし(苦笑)
そして、・・・それにしても誕生日に手術とはなぁ・・・と言った。←実は奇しくも9/25はlevie母の誕生日
そんな、少しほんのりするような話を始めてから、昨日の事を振り返っていた3人だった。levie父とlevie妹の本当の心の内側は解らないけど、とにかく無事にオペが終わってくれれば・・・と思って待っていた。
そして午前7時過ぎ、ようやく手術を終えてlevie母が出てきた。この後CTを撮りに向かい、7時半前にSCUの病室に戻り、8時前に様子を見に入る事が出来た。オペ直後で顔はパンパンに膨れ上がってて、levie父にはそばで見ているのは辛かったよう。麻酔から目が覚めるのは明日になるように調整してるそうで、目が覚めた後の経過が良ければ、口に挿入されたチューブは早ければ明後日には取れるとDRは言っていた。
そしてその後、果たしてどのような状態で回復へ向かうのか、新たな心配の種が芽生えたのだった。
多少なりとも麻痺が出なければ・・・、そう願わずにはいられない。けどそれは難しいのが現実だろうなぁ。
入院は3週間の予定で、早ければリハビリは来週から、そしてリハビリの専門施設への転院が早ければ2週間後あたり、という話になってるけど、リハビリに通わねばならない日もきっと来るだろうし・・・。
不安感よりも安堵の気持ちが強そうなlevie父には、キツイ日々が訪れるだろう事も気掛かりの一つになるなぁ。その時levieはどうしたらいいんだろうなぁ??←考えすぎてもしょうがないかっ(苦笑)
そうして自宅に帰宅できたのが9/25の午前10時くらいだったかな。不安感はあっても、少しは一安心はできた感じだったけど、それよりも、ちゃんと布団で早く寝たい方が先だった(爆)
その夜、何も知らされていない鈴鹿に住む7歳のlevie甥&もうじき2歳になるlevie姪が、無邪気に♪ハッピーバースディばぁばぁ♪っと歌う動画をlevie弟がlineで送ってくれて、それを見て初めて、心と頭の中にあった重たい石を取りのぞけたような感じだった(苦笑)
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