救急隊員には、トイレに3回運んだ事は言えなかった(苦笑)たま~に、肩甲骨あたりの痛みに苦しんで呼吸を荒げる事、それによって身動きが出来なくなる事があったのも・・・、言えなかった。←なんともバツの悪い感じだった(爆)→それが今回の容態と関係があるのか無いのかも・・・解らない。levie母が容態をチェックされている間は、levieも父も妹も、最早祈るような気持ちで見つめる事しか出来ないのは明らかな事だった。救急車に運び込まれる頃には、隣近所の人たちが、・・・何だ??何があった??・・・というような感じで心配そうに様子を伺いに来てくれていて、見送られるように、救急車は自宅を離れていったのだった。収容先の病院は日赤の武蔵野に決まって、自宅から15分くらいで到着したんだけど、向かっている途中のその車内で、救急隊員と多少のやり取りをしていると、突然、levie母が目をゆっくりと開けて目覚め、酸素マスクを取ろうとする仕草をして驚いた。・・・あれっ??もしかして、何事も無かったかのように回復するんじゃないだろうか??・・・と思った。levie妹も目を丸くしていたから、おそらくは同じ事を考えていただろうと思う。←ちょっと安堵した
その少し後、またもやズボンを下げるような仕草をして、・・・ん??おしっこしたいの??・・・とlevie妹が声をかけると、ハッキリとした目線で首を縦に振った。救急隊員の・・・ごめんね~今病院に向かっている所だからちょっと我慢してね~・・・という言葉がちゃんと届いたかどうかは解らないけど、ちょっと諦めたような~不安げな表情でlevieとlevie妹を見続けていたんだけど、救急車の中では意識を保てているような感じだったかなぁ??時々苦悶の表情をして目を閉じたけど、呼吸は落ち着いていたし、数日入院して点滴でもしてもらえば、すぐに帰宅できるんじゃないかなぁ??っと、その時は思った。家に残してきたlevie父も、取りあえずは救急車を呼んで病院に行ったのだから・・・、みたいな、軽い気持ちでホッとしていたような感じだったんだろうと思う。←18時半頃
病院に着くとlevie母は診察室に直行し、levieと妹は受付をして待合室で待つ事になったけど、救急車で目を覚ました事から、・・・意外と早く回復するんじゃない??・・・という感じで、お気楽な感覚で構えてlevie父に病院に着いた事をまず連絡したけど、levie母の容態は、楽観的に構えていられるモノではない事を、診察してくれたDRから知らされる事になるとは全く思ってもいなかった。最初に声をかけに来てくれたのは看護師で、少し前にCTの撮影に行った事と、採血のデータ待ちである事を教えてくれて、・・・診断にはもう少し時間がかかります・・・との事だった。その時にお薬手帳と、日頃に服用している現物を渡したんだったかな??←19時頃
で、その後何分待ったか忘れたけど、担当医が書類をたくさん持ってやってきて、PCのある部屋に通されて、画面を見ながらの説明を受ける事となり、その言葉に・・・えっ??・・・っと、一瞬2人して言葉をなくしちゃった。
levie母は、小脳から出血していて血腫があり、緊急手術を受ける事を薦められたのだった。
けど、血栓を防止する為に服用しているワーファリンが、効き過ぎるくらいになっていて、このままオペをすると血が止まらないリスクが非常に高いから、新鮮凍結血漿を投与して、ワーファリンの効果を落とす事が最優先課題で、麻酔医が手術を了承してくれる数値に下がったのを確認してから手術をしたいとの事で、予定としては…夜中のAM1時~を考えている…っと言う話だった。さらには、ワーファリンの血液サラサラ効果を薄める/下げるとすると、血栓が出来やすくなるリスクが高くなる・・・とも言われてしまった。levie母は、心臓病:不整脈の薬を常用しているので、DRも慎重にならざるを得ないんだそう。←オペに際する厳しい現実
そして、救急隊員の見立て、DRの見立てでは、右側がちょっと、麻痺までは行かないまでも、反応が弱い感じも見受けられ、それは小脳の出血位置と、血の塊の圧迫具合と合致するそうで、手術をして取り除いても何らかの麻痺が残る可能性を否定は出来ない、と。そう言われて一気にどんよりしてしまったlevieとlevie妹だった。
入院期間はおそらくおよそ3週間で、…回復具合によってはリハビリ専門の入院施設に2週間後くらいには移って頂く事になると思います…という事で、全く想像すらしていなかった後遺症、麻痺の有無と強弱、回復具合、リハビリ…、いろんな事を想定しないといけない厳しい現実を突き付けられた感じだった(遠い目)そんな説明を丁寧にしてもらっている最中に、DRの持っていたPHSは頻繁に鳴り、持ってきた書類の説明を半分くらい聞いた所で中断せざるを得なくなったのだった。ん~悩む~、仕事どうしようかなぁ…、最悪な想定だと辞めるしかないだろうなぁ。levie妹も仕事あるし、levie父を長時間一人にするのはちょっと不味い気もするし、交代で休みをもらうのも難しいだろうしなぁ、ん~、全てはlevie母の回復具合、それ次第かな…(妄想の世界)ん~、わりと楽観してるっポイlevie父には、何をどう説明したらいいものやら…。←この時20時近く
levie父は家事はダメだしなぁ、levieも普段はそんなにはやらない方だし、そうすると…levie妹に大きな負担を強いる事になってしまうし…、何パターンかの現実が、頭の中をかき乱す~(苦笑)
levie妹と書類を読みながら、オペ後の展開について少し話をしていると、さっきの看護師が来て、levie母の病室へ上がる準備が整った事を教えてくれて、指差したドアの先の長椅子で待つように促されて移動すると、数分で、検査衣に着替えさせられ、腕には点滴の針が刺されたlevie母が横たわるストレッチャーが現れた。病室は3FのSCU…、その隣に手術室があって、その入り口の待合所でまたもや長時間待つ事になったんだけど、SCUでは手術前の点滴、承諾書にサインした新鮮凍結血漿の投与も始まる事となった。
その少し後だったかなぁ??看護師に案内されてSCUの中に入る事が出来て、鎮静剤で眠っている手術前のlevie母に少し付き添う事が出来た。モニターの波形を見ながら、…あれはなんだろね…とか、…これが新鮮凍結血漿なんだぁ…みたいな会話をしながら、levieは、母方の祖父と祖母を思い浮かべて…無事にオペが終わるように護ってね…って心の中で呟いていた。
手術の予定開始時間はAM1:00、一応はlevie父にも、手術が終わるまでここで待ってもらわねばなるまい。やや慌ただしく出てきた自宅にスマフォを忘れてきたlevie妹には、一旦家に戻ってもらってlevie父と自動車でまた来てもらう事にしたのが…、SCUを出てきた21時頃だったかなぁ。←手術の為の準備が始まった時間
そして、levie妹が帰った後に、感じのいい麻酔科のDRが全身麻酔に関する説明を丁寧にしてくれて、麻酔の承諾書にサインをしたのだった。日付が変わるまでにはまだ後3時間弱あって、病院に搬送されてからはまだ2時間半程しか経ってなくて、長い夜はまだホンの序章に過ぎなかった。そして、長い夜の夜明けがどうなるのか、想像する事を少しためらいながら、levie父とlevie妹の到着を待つしかないlevieだった。
以下 Part 3に続く
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