先日のブログに書いたが、私の所属するウオーキング倶楽部の例会が
大阪レトロビル探訪とともに大阪七坂巡りをした。
その時私は足を痛めており、七坂巡りは階段が多いので回避して
平地を進んで要所要所で会員の追いついてくるのを待った。
ところが待ちくたびれて、結局先に先に行ったのだけれども。
その時に大切なデジカメを無くしてしまったのだ。
悔やむとともに、思い出すのだがどうしても合点がいかない。
消えたとしか思えないのだ。
レトロビルの探訪の途中で電池が切れてしまい。
あきらめてリュックの中に入れたのだ。
手製のきれいなブルーのプラスティックケースとともに。
当たり前にリュックに入っていると思い、疑うことも無く
家に帰り着いて、しばらくしてブログに載せる為に
リュックの中を見たが無かった。
あれ、勘違いで服のポケットかと
その時は時間がないのでほっておいた。
次の日どこを探しても無いのに気がついた。
冷静に考えて、途中でリュックから出した記憶がない。
出す必要が無い。そして,いつものように
リュックに入れるときは破損よけに
プラステックのケースに入れる。
その入れているシーンを鮮明に覚えているのだ。
リュックの口が開いていて落ちたのか。
あまり考えられない。
昨日蒲団のなかで、昔のある事件を思い出した。
僕が30代前半。
今回会員が歩いた、源聖寺坂と口縄坂の間に
車の通れる学園坂がある。(ここは七坂に入っていない)
その坂の、谷町筋を越えたところに
サンスタジオと言う当時大阪で一番有名な貸しスタジオがあった。
コマーシャルで使うモデル撮影はここを使うことが多かった。
デレクターをしていた僕は、カメラマンとモデルの手配をして
このスタジオで超ベテランコピーラーターとともに
撮影の立ち会いをしていた。
何カットか撮り終えて、モデルのヘアー変えで、
メイクとライティングに時間がかかるので、
サンスタの斜め向いにあった店にタバコを買いにでた。
対向2車線の学園坂の道を渡って、おばちゃんにおつりをもらい、
1FのAスタジオに戻った。
戻った時に確かに手のひらにあった筈のタバコが消えていたのだ。
あれッと思い、すぐに何度もその短いタバコ屋への道を横断した。
おばちゃんにも変な顔をされながらも、確認もした。
手のひらのタバコの感触はしっかり覚えているのだ。
ところがタバコ屋の窓口から振り返って、
サンスタのAスタのドアの前までの記憶が全くないのだ。
学園坂を横断するには、たまに車が通るので注意が必要な道である。
ポケットにおつりの小銭は残っている。
タバコを落としたとしても、すぐに探しに戻っているのであり得ない。
何よりスタジオですぐ吸う為に、手のひらに抱えたままでという意識と
手のひらに握っている記憶は鮮明なのだ。
おばちゃんがつりだけ渡してタバコを渡さないのはあり得ない。
ちょっと、寒気を感じながら、
側にいた50代後半のコピーライターのYさんにことの顛末を話した。
このYさん、日本のコピーライターの先駆者、
梶祐輔の1番弟子という人である。
雑学の宝庫みたいな人で、
その後、こんなすごいコピーライターに出会ったことは無い。
そのYさんが
この前の学園坂は色々心霊現象の起こることで有名な坂だ、という。
ここで騙されてはいけない。この人、歴史や物事にかけて作り話をし、
僕のような若造をからかうのは超一流の人なのである。
しかし話はさらに、
この先に吉祥寺という寺院がある。住職が赤穂浪士で有名な浅野主匠頭と
親しく大坂における浅野家の菩提寺だったんだ。参勤交代には必ず立寄ってたと言う。
討ち入りの後、46士は切腹したが、足軽の某が義士の遺髪など持って
墓をを建ててくれと言ってこの吉祥寺にきたと言う。
江戸や赤穂よりも先に義士の遺品がこの大阪の吉祥寺に奉られたと言う。
しかし後の大阪大空襲で義士の遺品など全て灰になり、
残っているのは墓石だけだと言う。
それ以来、この学園坂では色々起こるようになった。
そういう有名な坂だという。
僕は蒲団の中でその時の話を思い出した。
確かに僕はなかなか追いついてこない倶楽部のメンバーに
待ちくたびれ、ぶらぶらこの学園坂を歩いたのだ。
この先にサンスタがある、懐かしいなぁと思いながら。
そして、ずっと先の安居神社でメンバーと出会えたのだが。
今,僕の大事なデジカメはあのときのタバコと一緒に
違う世界にいるのかも知れない。
赤穂義士の亡霊さん、せめてお気に入りの手作りのケース、
返して!頼むわ。
今度,吉祥寺にお花抱えてお参りいくし。約束するから。
大阪レトロビル探訪とともに大阪七坂巡りをした。
その時私は足を痛めており、七坂巡りは階段が多いので回避して
平地を進んで要所要所で会員の追いついてくるのを待った。
ところが待ちくたびれて、結局先に先に行ったのだけれども。
その時に大切なデジカメを無くしてしまったのだ。
悔やむとともに、思い出すのだがどうしても合点がいかない。
消えたとしか思えないのだ。
レトロビルの探訪の途中で電池が切れてしまい。
あきらめてリュックの中に入れたのだ。
手製のきれいなブルーのプラスティックケースとともに。
当たり前にリュックに入っていると思い、疑うことも無く
家に帰り着いて、しばらくしてブログに載せる為に
リュックの中を見たが無かった。
あれ、勘違いで服のポケットかと
その時は時間がないのでほっておいた。
次の日どこを探しても無いのに気がついた。
冷静に考えて、途中でリュックから出した記憶がない。
出す必要が無い。そして,いつものように
リュックに入れるときは破損よけに
プラステックのケースに入れる。
その入れているシーンを鮮明に覚えているのだ。
リュックの口が開いていて落ちたのか。
あまり考えられない。
昨日蒲団のなかで、昔のある事件を思い出した。
僕が30代前半。
今回会員が歩いた、源聖寺坂と口縄坂の間に
車の通れる学園坂がある。(ここは七坂に入っていない)
その坂の、谷町筋を越えたところに
サンスタジオと言う当時大阪で一番有名な貸しスタジオがあった。
コマーシャルで使うモデル撮影はここを使うことが多かった。
デレクターをしていた僕は、カメラマンとモデルの手配をして
このスタジオで超ベテランコピーラーターとともに
撮影の立ち会いをしていた。
何カットか撮り終えて、モデルのヘアー変えで、
メイクとライティングに時間がかかるので、
サンスタの斜め向いにあった店にタバコを買いにでた。
対向2車線の学園坂の道を渡って、おばちゃんにおつりをもらい、
1FのAスタジオに戻った。
戻った時に確かに手のひらにあった筈のタバコが消えていたのだ。
あれッと思い、すぐに何度もその短いタバコ屋への道を横断した。
おばちゃんにも変な顔をされながらも、確認もした。
手のひらのタバコの感触はしっかり覚えているのだ。
ところがタバコ屋の窓口から振り返って、
サンスタのAスタのドアの前までの記憶が全くないのだ。
学園坂を横断するには、たまに車が通るので注意が必要な道である。
ポケットにおつりの小銭は残っている。
タバコを落としたとしても、すぐに探しに戻っているのであり得ない。
何よりスタジオですぐ吸う為に、手のひらに抱えたままでという意識と
手のひらに握っている記憶は鮮明なのだ。
おばちゃんがつりだけ渡してタバコを渡さないのはあり得ない。
ちょっと、寒気を感じながら、
側にいた50代後半のコピーライターのYさんにことの顛末を話した。
このYさん、日本のコピーライターの先駆者、
梶祐輔の1番弟子という人である。
雑学の宝庫みたいな人で、
その後、こんなすごいコピーライターに出会ったことは無い。
そのYさんが
この前の学園坂は色々心霊現象の起こることで有名な坂だ、という。
ここで騙されてはいけない。この人、歴史や物事にかけて作り話をし、
僕のような若造をからかうのは超一流の人なのである。
しかし話はさらに、
この先に吉祥寺という寺院がある。住職が赤穂浪士で有名な浅野主匠頭と
親しく大坂における浅野家の菩提寺だったんだ。参勤交代には必ず立寄ってたと言う。
討ち入りの後、46士は切腹したが、足軽の某が義士の遺髪など持って
墓をを建ててくれと言ってこの吉祥寺にきたと言う。
江戸や赤穂よりも先に義士の遺品がこの大阪の吉祥寺に奉られたと言う。
しかし後の大阪大空襲で義士の遺品など全て灰になり、
残っているのは墓石だけだと言う。
それ以来、この学園坂では色々起こるようになった。
そういう有名な坂だという。
僕は蒲団の中でその時の話を思い出した。
確かに僕はなかなか追いついてこない倶楽部のメンバーに
待ちくたびれ、ぶらぶらこの学園坂を歩いたのだ。
この先にサンスタがある、懐かしいなぁと思いながら。
そして、ずっと先の安居神社でメンバーと出会えたのだが。
今,僕の大事なデジカメはあのときのタバコと一緒に
違う世界にいるのかも知れない。
赤穂義士の亡霊さん、せめてお気に入りの手作りのケース、
返して!頼むわ。
今度,吉祥寺にお花抱えてお参りいくし。約束するから。