お彼岸、土曜日から久しぶりに糸島で過ごしてきました。
お墓参りやお寺行き、猛烈にオーソドックスなお彼岸です。
野北に向かう途中の畔に並ぶ彼岸花の美しいこと。
真っ赤に燃えるような赤は「悲しい思い出」という花言葉をますます強烈にします。
母の車なら、ちょっと止めて!といえますが
さすがにタクシーの運転手さんには云い辛い(^_^;)
あー写真撮りたかった・・・
野北の交差点から向こうは、相変わらず時がとまったように
昔のままの風景。
猫たちが共存する、小さな小さな漁村です。
でも・・・燃えるような彼岸花を見ちゃったもので・・・
頭の中にはもう・・・ぐるぐる・・・
♪まんじゅーしゃかぁ~~っこいするおんなわぁ~~~~♪
百恵ちゃんが歌ってます。
この曲、テレビであんまり歌ってなかった気がする・・・
と思ったらやっぱり・・・映像がほとんどないので・・・
篠山紀信の写真集の編集してあったので・・・、
この映像を選びました。20歳の百恵ちゃんきれい!
山口百恵 曼珠沙華
『曼珠沙華』(マンジューシャカ)は、百恵ちゃん、16枚目のスタジオ・アルバム。
1978年12月21日のリリース。20歳の作品。歌が大人だなぁ・・・。
いい日旅立ちが1曲目に収録のアルバムです。
えー・・・いい日旅立ちはとても可愛い感じがするのに同じときだったっけ・・・
『曼珠沙華』は当時の百恵ちゃんの最高のヒットメーカーだった
阿木・宇﨑夫妻に荻田光雄編曲というトリオ。
萩田氏は「横須賀ストーリー」「夢先案内人」「プレイバック」「秋桜」「さよならの向こう側」
などなど、も百恵ちゃんのヒット曲をたくさんアレンジしています。
布施明のシクラメンもこの人だし、
岩崎宏美、太田裕美、中森明菜・・・・ほかにももうたくさんのヒット曲のアレンジを手がけています。
当時は歌手と作家が別でしたから、どんなメンバーが作ってるかって
やっぱり大きかったですよね。
そして、きっと多くの作家が百恵ちゃんに提供したかったでしょうね・・・
百恵ちゃんは短い時間をイチローのレーザービームのように駆け抜けちゃったから
実は引退はわずか21歳の女の子だったのにとても思えない・・・
その濃厚な7年間・・・たった7年ですからね、しかもその大半は中学だったり高校だったり
学生さんだったわけで・・・「歌手である前に人間でありたい・・・」という言葉は
いまの時代では測れない、当時のすさまじいスケジュールと拘束と・・・
10代の少女がスーパースターとして生きていた・・・尋常ではない日々を送ってきた彼女のことば。
武道館のステージに白いマイクを置いて
霊南坂教会からきれいな、ドラマじゃなくて本当の花嫁さんになって現れた百恵ちゃんを
高校一年生の私たちは、21歳で結婚したい・・・と胸に秘めて
とろけるような目で見つめたのでした(^_^;)
だからね、わかりますよ、最近のニュース、
いまの方々が、安室奈美恵ちゃんの引退にショックなの。
この人、出てきたときに我々世代は百恵ちゃんを重ねたけど
引退まで百恵ちゃんだった。言葉少なく、芯の強い、凛とした美しさ。
そう、だから百恵ちゃんを思い出したのでした。
それにしても個性的でしたねー、昭和のスターたちは。
と、こんなこと言ってしまうのはまさに・・・年を・・・
あ、そう、今日箱崎の先輩方が「もうすぐ誕生日、また年を“取る”けん、一つ若こうなる!」
と、おっしゃっておりました。
そっか・・・80歳になったら減っていくんだ・・・(^_^;)さすが!
まだまだひよっこでございました(^_^;)
お墓参りやお寺行き、猛烈にオーソドックスなお彼岸です。
野北に向かう途中の畔に並ぶ彼岸花の美しいこと。
真っ赤に燃えるような赤は「悲しい思い出」という花言葉をますます強烈にします。
母の車なら、ちょっと止めて!といえますが
さすがにタクシーの運転手さんには云い辛い(^_^;)
あー写真撮りたかった・・・
野北の交差点から向こうは、相変わらず時がとまったように
昔のままの風景。
猫たちが共存する、小さな小さな漁村です。
でも・・・燃えるような彼岸花を見ちゃったもので・・・
頭の中にはもう・・・ぐるぐる・・・
♪まんじゅーしゃかぁ~~っこいするおんなわぁ~~~~♪
百恵ちゃんが歌ってます。
この曲、テレビであんまり歌ってなかった気がする・・・
と思ったらやっぱり・・・映像がほとんどないので・・・
篠山紀信の写真集の編集してあったので・・・、
この映像を選びました。20歳の百恵ちゃんきれい!
山口百恵 曼珠沙華
『曼珠沙華』(マンジューシャカ)は、百恵ちゃん、16枚目のスタジオ・アルバム。
1978年12月21日のリリース。20歳の作品。歌が大人だなぁ・・・。
いい日旅立ちが1曲目に収録のアルバムです。
えー・・・いい日旅立ちはとても可愛い感じがするのに同じときだったっけ・・・
『曼珠沙華』は当時の百恵ちゃんの最高のヒットメーカーだった
阿木・宇﨑夫妻に荻田光雄編曲というトリオ。
萩田氏は「横須賀ストーリー」「夢先案内人」「プレイバック」「秋桜」「さよならの向こう側」
などなど、も百恵ちゃんのヒット曲をたくさんアレンジしています。
布施明のシクラメンもこの人だし、
岩崎宏美、太田裕美、中森明菜・・・・ほかにももうたくさんのヒット曲のアレンジを手がけています。
当時は歌手と作家が別でしたから、どんなメンバーが作ってるかって
やっぱり大きかったですよね。
そして、きっと多くの作家が百恵ちゃんに提供したかったでしょうね・・・
百恵ちゃんは短い時間をイチローのレーザービームのように駆け抜けちゃったから
実は引退はわずか21歳の女の子だったのにとても思えない・・・
その濃厚な7年間・・・たった7年ですからね、しかもその大半は中学だったり高校だったり
学生さんだったわけで・・・「歌手である前に人間でありたい・・・」という言葉は
いまの時代では測れない、当時のすさまじいスケジュールと拘束と・・・
10代の少女がスーパースターとして生きていた・・・尋常ではない日々を送ってきた彼女のことば。
武道館のステージに白いマイクを置いて
霊南坂教会からきれいな、ドラマじゃなくて本当の花嫁さんになって現れた百恵ちゃんを
高校一年生の私たちは、21歳で結婚したい・・・と胸に秘めて
とろけるような目で見つめたのでした(^_^;)
だからね、わかりますよ、最近のニュース、
いまの方々が、安室奈美恵ちゃんの引退にショックなの。
この人、出てきたときに我々世代は百恵ちゃんを重ねたけど
引退まで百恵ちゃんだった。言葉少なく、芯の強い、凛とした美しさ。
そう、だから百恵ちゃんを思い出したのでした。
それにしても個性的でしたねー、昭和のスターたちは。
と、こんなこと言ってしまうのはまさに・・・年を・・・
あ、そう、今日箱崎の先輩方が「もうすぐ誕生日、また年を“取る”けん、一つ若こうなる!」
と、おっしゃっておりました。
そっか・・・80歳になったら減っていくんだ・・・(^_^;)さすが!
まだまだひよっこでございました(^_^;)
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