Penny Lane Music

福岡市中央区赤坂
ピアノ・ボーカル・ギターなど大人のためのポピュラー音楽教室

母に捧げるバラード

2010-06-11 17:06:26 | 音楽
 広島弁もなかなかイカシテいましたが^_^;
今日は博多弁。

 こどものころ、強烈に印象に残った博多弁はやっぱりこの歌です。
「母に捧げるバラード」をテレビの前で固まってみたのをかなり鮮明に記憶しています。

 番組は「ベスト30歌謡曲」
これ、覚えてますか?あのザ・ベストテンはまさにこの延長線上ですよね。
小学生のころ、この番組は欠かさず見ていました。

 なんと、この映像があるんです。母に捧げるバラードの前に、まずこの映像で
頭の中の時代を当時に巻き戻してください。

   「ベスト30歌謡曲」

 ほんとに懐かしいです。このころの歌の映像は実はこの番組の記憶がほとんどです。

 母に捧げるバラードは1973年。私は小学校三年生でした。
学校では男の子たちが真似したり、こどもにとっても面白い歌だったと思いますが
実際、その当時どんなふうに感じたかは定かではありませんが・・・
ただ、自分たちがとてもなじみのある言葉で・・・
「へんなおにーちゃんが、うたいよんしゃー」けど・・・それはこどもにもわかる、
いいお話のような気がする・・・というところでしょうか。

 その当時のあの海援隊の映像を探しましたが、残念ながら古い映像はありません
でした。2年くらい前のライブの映像です。
お、武田鉄矢節、と思うトークから始まります。ちょっと意地悪に「狙ってる」と
思って聴いていてもつい、なんだかジーンとしてしまう。さすがです。

   母に捧げるバラード 

 私たちの世代にとっては「武田鉄矢」=「金八先生」です。
最初の放送、私はまさにその中学三年生。杉田かおる、三原じゅん子、近藤真彦、
みんな同級生で、まるっきり、そのクラスの一員になって見ていました。
クラスの担任の先生も一緒になって「昨日、みたー?」なんて話題でした。

 それからよく覚えている歌、♪思えば遠くにきたもんだ、故郷離れて6年目♪
この歌、最初に聴いたときは「6年目」でした。ここだけずっとかえて
歌ってるみたいですね。
武田鉄矢ってあんなふうに坂本龍馬ひとすじっていうけど中原中也も読むんだ・・・
なーんてちょっと意外に思ったり。

 おてもやんさんほどはなくても(^_^;)たくさん思い出します。
何十年も変わらずその存在感を保つってすごいですね。
全国的に博多弁が定着したのは、まさにこのひとのおかげですね(^_^;)

 さて、おてもやんさん、おもしろいエピソード、教えてくださいね(^O^)/
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2 コメント

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会報作り!? (のび太)
2010-06-12 00:13:19
びっくりですっ!会報作ってたなんて!
ファンクラブに入ってた、じゃなくてファンをリードしてたのですねっっっ!
それは本当に青春、いい思い出ですね(^_-)-☆
チャーが触れたくない気持ちもわかる気がする・・・(^_^;)
それにしても・・・
「あんたが大将」で入場って斬新なアイディアだったのになーっおしいなーっ(^_^;)
この発想、おてもやんさんの新たな一面だ・・・
確かに、これは忘れられない青春ですね(^_-)-☆
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ついに来た!! (おてもやん)
2010-06-11 23:01:06
ふふ・・・何から話そうかな
私が海援隊の存在を初めて知ったのは高校二年生の夏休み。確か福岡スポーツセンターにその頃のフォークの人気者 チューリプや井上揚水、杉田二郎、泉谷しげるとともに来たコンサートで「母バラ」を泣きながら歌ったのが最初でした。何だかわからずに胸の中にバキューンと入ってきたのでした。その後福岡ではその時のライヴ放送が6回位あったとおもいます。その後ブレークした時に海援隊のバックバンドにギターのチャーがいた事がありましたが、チャーさんはその件には触れたくないそうです
母バラの四年後にあんたが大将、その四年後に贈る言葉がヒットし、ファンの間ではオリンピック歌手と言ってました。そういえばゴキブリのコックローチやみどりのきつねでかぶり物のコマーシャルもしていました。
まぼろしのLPレコードで坂本竜馬のうたや語りばかり集めたのも限定でありました。実家にはまだあるとおもいます。私は福岡のファンクラブで海援隊ムズという会報なんかも作ってて、東京のファンクラブの会長さんのお姉さんと文通とかしていました。胸が熱くなる位なつかしい良い思い出です。そういえば私の結婚式の時入場する時に「あんたが大将」でしたいと提案したら、結婚式場の担当の方に反対され断念しました。
どうも、とりとめのない話で失礼しました 
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