わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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またわけのわからないことを #4

2023-01-24 17:31:05 | ウチの子たち
今日は楽しい話ではありません。って、いつも楽しい話じゃないですね。
😓🙏

去年の3月にフトアゴヒゲトカゲのぼあちゃんを亡くし、5月にヒョウモントカゲモドキのむくちゃんを亡くした。

どっちもそれなりの歳ではあったけど、寿命と言ってしまうにはまだちょっと早かった。
だから、心の底から悲しかった。そのせいで体調を崩し、今でもそれが続いてる。悲しみの質は変わって来たように感じるけど、悲しみの大きさは今でも全く変わっていない。

あの子達が亡くなってから、ブロ友さんだったsanchaさんという方のネコちゃんが亡くなったりしたのもあって、命ってなんだろう、死ぬってどういうことだろう、なぜ悲しいんだろう、、、こんなことを考え続けてこんな記事を書いた。
(sanchaさんという方は、ネコちゃんを亡くしてからブログをすっかり削除してしまい、繋がりが切れてしまったので、今でもちょっと心配してる。)

この「またわけのわからないことを」というタイトル、これらを書いた時には自分でもよくわからなかったんだけど、自分の中でも考えがまとまってなくて、結論もなにもないっていうことなのかなと、今は思う。ちなみに、「また」は、それまでも結論がないことをグチグチと書いたからということだったのかな。
で、今日はこのタイトルで今の自分の状態を率直に書いてみる。

ちょっと前に、儂がお邪魔してる2つのブログで、次の2つがそれぞれ紹介されていた。

一つはこの本。

この写真からリンクしているサイトを読んでほしい。この本を出版してる会社が書いてるサイトで、本の内容がほぼ読める。
実際の本には、素敵な挿絵があったりたくさんの空白のページがあったりする。儂は読み終わった時、とても優しい気持ちになった。でも、ちょっぴり悲しくなった。
死はなんでもないものです。
私はただ
となりの部屋にそっと移っただけ。

私のことをこれまでどおりの
親しい名前で呼んでください。
あなたがいつもそうしたように
気軽な調子で話しかけて。
儂、今でもぼあちゃんの名前を呼ばない日はない。

もう一つは、これ。
これはご存じの方も多いと思うけど、儂は知らなかった。2ちゃんねるで流行ったキャラクターが出て来るのもあって話題になったらしいけど、儂、2ちゃんねるはほとんど読んでなかったからね。
足を止めてしまった人とは
もう一緒に歩くことはできない
だけど
その人は
「いなくなった」わけじゃなくて
そこに立っている
これも泣けた。。。

ぼあちゃんが亡くなったのは去年の3月。正確な記憶はないんだけど、その後、少なくとも百箇日を過ぎる頃まではどうなることかと思うほど悲しかった。でもそれから、少しずつ悲しみが薄らいできたかなと感じる時期があった。ところが、一昨年ぼあちゃんが調子を落とし始めた時期が近づくにつれ、再び少しずつ気持ちが落ち始めた。
今は、この先3月までどうなるのかちょっと不安。ただ、ぼあちゃんやむくちゃんのことだけが原因っていうわけでもないので、どうしようもないかなとも思ってる。日によって時によって、ぼあちゃんのことよりこっちで落ちちゃうことも結構ある。ちなみに今はそうかも。
もちろん、悲しいとか落ちるとか言っても、別に一日中暗い気持ちで落ち込んでるわけじゃない。ただ、ちょっとしたことが堪えたりすることがあるし、身体的な不調もちょっと辛い。と言うか、実に見事に心身が相関してるなあと感じる。そしてそれが日替わりになってるっていうのもちょっとキビシイ。

先に書いた2つも、あるいは仏さまのいろいろなお話も、目にしたり耳にしたりすれば心に沁みる。少なくともその時は気持ちが穏やかになる。でも、それで悲しみが薄まることがない。
そういうこともあって、今は、悲しみを乗り越えなくちゃいけないんじゃなくて、悲しみを乗り越えられるまで辛抱強く待てばいいのかなと思い始めてる。
それでも「時薬」は間違いなく効いてる。ただ、その効き目はとてつもなくゆっくり。それにこの薬の効能・効果は、悲しみを減らしたり消したりすることじゃなくて、悲しみの質を変えることなのかなと感じてる。
それと、今儂が一番にやらなくちゃいけないことは、自分が悲しんでいてもいなくても、それとは関係なくあの子達のご供養をすること。情けないことに、これに気づいたのはそれほど前じゃない。やっぱり自分のことが先に立ってるんだなあ。。。

今回、この記事を書く時にいろいろなサイトを見た。そして巡り合ったのがこれ。
実は中野東禅先生は、儂が時々教えをいただいていたご老師。いろいろな所でお話されているので、ご存じの方も多いかもしれない。儂も教えをいただいていたと言っても、もちろん個人的にというわけではない。
コロナ禍になって以来ずっとお目にかかっていないけど、こんなところでたまたま出会えたのも、何かのご縁なのかなと思ってちょっとびっくりした。
これ、以前に先生の著書「日曜日の正法眼蔵」の扉裏に書いていただいたもの。



うん、今回もやっぱり「またわけのわからないこと」になったな。



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コメント (4)
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