わがままZyZyの徒然日記

ペットロスから抜けられない爺が日々の出来事や想いを書いてます
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南無

2019-10-02 10:54:10 | 仏さまのこと
久々に仏教の話。
よく、「ナムアミダブツ」とか「ナムミョウホウレンゲキョウ」とかいうの聞くよね。
これって漢字で書くと「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」。
で、ホントは「南無・阿弥陀仏」、「南無・妙法蓮華経」と読むのが正しいんじゃないのかと儂は思ってるのだ。
「南無阿弥陀仏」の"阿弥陀仏"は阿弥陀様という仏さまで、「南無妙法蓮華経」の"妙法蓮華経"は、お経の一つである"法華経"のこと。
そして"南無"は元々サンスクリット語の「ナモ」だったりヒンドゥー語の「ナマステ」から来てると言われていて、「敬意」とか「尊敬」って意味。
つまり「阿弥陀様に敬意を払います」、「法華経に敬意を払います」みたいな意味になるけど、今は「阿弥陀様に帰依します」、「法華経に帰依します」っていうことだと言われることが多いのかな。
じゃあ"帰依"ってなんだ? 一般的には「拠り所にする」みたいな意味だと思うので、「阿弥陀様を拠り所にする」、「法華経を拠り所にする」ってことになる。
でも、「拠り所にする」ってなんかわかりにくくね? 「阿弥陀様や法華経の何を拠り所にするの?」って思ってしまうのよね。阿弥陀様や法華経のことをちゃんと勉強して良く知ってればいいけど、そうじゃなければ「拠り所にする」って言われたってねえ。。。
「うーん、よくわかんないよ~」と思っていたんだけど、ある時、儂が時折お話しをうかがっている老師からこんなことを言われた。

「難しいことを考えなくてよろしい。南無の後になんでもいいから自分が信じるものを付ければ良い。そしてそれを唱えることによって自分の心が落ち着き安心できれば、それでよろしい。」

「なるほどー」、なんか目から鱗だった。それからしばらくの間は何も考えずに「ナム ○○○~」と唱えていたんだけど、それを続けているうちになんか安心感みたいなものが生まれてきた。(儂、暗示にかかり易いのよね~w)

そして、またこのようなお話しをいただいた。

「南無というのは『お任せする』ということなんです。もうお任せしたんだから、安心してこれから起きることをありのままに受け入れればよろしい。」

「なるほどー(その2)」、これも目から2枚目の鱗だった。
「どんなことでも自分の信じるものにお任せして、期待も心配もせずに起きることをありのままに受け入れること、そうすれば心が安らいで、穏やかな気持ちで過ごせる」と、儂なりに解釈した。
でもまあね、これって、そうそう簡単なことじゃないけど、このことを忘れずに「南無○○○」と唱えてるんだよね。

ちなみに、儂が毎日唱えてる「南無」は、
「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」、
「南無観世音菩薩」、
「南無三世諸仏」、
「南無阿弥陀仏」、
「南無薬師瑠璃光仏」、
「南無摩訶毘盧遮那仏」、
「南無釈迦牟尼仏」、
「南無妙法蓮華経」、
「南無大師遍照金剛 」
と、それから、
「南無○○○○○」(○○○○○は、ひ・み・つw)
あと、たまに「南無日蓮大菩薩」と「南無維摩経」もあるかな。
(順不同です)
え、多過ぎ?仏さま同士がケンカする?
そんなことありませ~んw
だって、仏さまですよ!

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