木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

人のためは自分のため

2008-07-14 23:14:38 | Weblog
この前の弟の記事の中で言い足らないことがあって・・・
あのなかで一年間、弟のために毎日お経を唱えた と書いた・・はず
あの時自分の意識は確かに弟のため と信じていた
でも後から考えると 弟のためなんかじゃなかった
絶対・自分のためだったと思う
そうしなければ立っていられなかったんだ
だから弟のためと称して自分のためにそれをしたんだと思う


ボランティアで人のために力を貸してあげてる人
勿論批判するんじゃなくて
人のためにやってあげてることはその時は感じなくても必ず自分のためにもやってるんだよね
返ってくる・・・帰ってくると言い換えてもいいかもしれない
そうだと思う
僕自身はまだそこまでの余裕はないけれど
たとえばこの前 整形外科の待合室で 椅子から車椅子に座り直そうとしてるお爺さんがいた
僕はまだ怪我したばっかりで血の染みた包帯を巻いてたのだが
親父の車椅子をしょっちゅう触っていたので ごく自然に手伝いをしてあげられた
「ありがとうございます」って言われた
なんか目がジワ~~ときた
ボランティアの気持ちってこれなんだな って感じた
誰かのためにやるってことは自分のためになる


実は僕は空振りしたことがある
18歳、仕事し始めた頃 親父から小遣いとして30000円もらってた
その中の3000円をずっと毎月、何年間かにわたって新聞社の社会事業団を通して
「白血病の研究費の一部にしてください」
と、そんなアホなことをやっていた
S47年から何年やってたのかな?
ある時愛知県の医科大学で汚職事件?が 起こった
詳しい話は覚えていないけど 大学には、医学界には 
うなるほどのお金があって自分のやってることなんて本当にただ邪魔をしてるだけの自己満足の世界だったことに気づいた
 虚しかった
そして申し訳ないような感情まで生まれた
それ以来二度と寄付なんかしなくなってしまった(募金はするよ)
いいことをしてるつもりだった自分が恥ずかしかった
自分のためだけにやっていたということだ

 ただし今この世界 白血病がかなりの確率で助かる病気の一つになったことも確か
 研究を重ねている人たちには心から敬意を表したい


誰かのためにしてあげることは必ず自分に返ってくる
やり方を間違えなければ 必ずね





コメント (14)
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