木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

憧れ

2008-08-06 18:41:38 | Weblog
高校野球が始まった
いやもうとっくに始まっているんだけどやっと地元校(東邦高校)が登場した
僕も小3から高3までずっと野球ばかりやってきた
いっぱい思い出がある
極々普通のチームだったから優勝の美酒に酔ったのは小6の区の大会だけだけどね
それでも4連勝必要だった
6年の時だったかな・・当時愛知代表の中京商業が春夏連覇を達成した
比較的強かった愛知代表だったけど春も優勝して夏も優勝となるとそんな記憶はどこにもなかった
当然野球少年だった僕等の憧れの的になる
ピッチャーもキャッチャーも内野も外野もみんな知ってる選手だ
今でも思い出せるのはこの時のメンバーと日紡貝塚の女子バレーボールチームくらい
パレードも見てきた
中商はずっと野球をやる上での憧れのチーム
小学校の先輩も中京中学へ進んで野球を続けた
僕等の同級生の中でもそういう奴がいた
でも 地元じゃ負けしら~ず でも僕には誘いはなかった
上に書いた同級生は野球というより走ることで認められて中京に進学したのだ
ということで僕は地元の中学で野球を続ける


小学校の時にライバルチームだった学校の連中が同じ中学で顔を合わせた
区の大会では春も夏も優勝したけど夏に強くなってるチームがそこだった
こいつらと一緒に野球やったら強いチームが作れるかな と思ったがその学校の出身者の大半はサッカー部へとかわって行ってしまった
だからここではあまり強いチームにはなれなかった
そのチームから一人野球留学(と言っても同じ県内)した奴が後に東邦のキャプテンになる

僕等の中学はそこいらのワルが集まったような学校だった
ここへ入る前は いろんなものを盗まれるとかお金は巻き上げられる なんて散々脅かされたものだ
先輩に 舘ひろし がいる らしいやろ?(笑)
劣等生の集まりだったから僕はその中では優等生だった(恥)
野球は結構自信があったし認められてたから番長クラスからも一目置かれていた
勉強よりもスポーツ出来るやつのほうが威張ってたなぁ
だから一回も絡まれたことはない ただし一回グラブを盗まれて返ってこなかったことがあったっけ
市内で優勝したチームに練習試合では勝ったりもしたけど大会になるとよわっちーチームだったよ
僕は6年生からずっとショート(5年はセンター)
2年間ずつレギュラーやってた

高校ではよくさぼった
土曜日になるとこっそり抜け出してよく映画館へ行ってた
当時一ヶ月3000円の小遣いで、ロードショーが500円だった・・かな?
まずそういう所へは行かない
今池劇場(300円)とかロマン座(200円)とか東洋劇場(180円)とかね(笑)
そんなとこばっかり行ってた 2本立て 3本立て↑では時々大人の顔をして250円払ってそういう映画も見ちゃった
だから2年生の時にはレギュラーにはなれなかった(高校ではサード)
やっぱり甲子園なんて考えたこともなかったな
僕等の年に甲子園へ行ったのは東邦だった
勿論キャプテンが知ってるやつだ
小学校の時は こっちの方が上じゃないかと思っていたけど 日々の努力の差はここまで隔たりを作るのか と思ったものだ
でも野球は楽しかったから全然後悔することはなかったな
そして今でもずっと白いボールは憧れだね
 暑かった夏 ユニフォームを着て スパイク履いて 帽子をかぶって バットを持って・・・
 

 思い出したら こんなのが流れてきちゃうんだよね~




 すまんなぁ 付き合わせちゃって










コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする