木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

 去

2009-04-14 18:23:42 | Weblog
北野誠さんがラジオで不適切発言をしてすべての番組を降板するということらしい
きのう名古屋の放送局でも涙の降板宣言をしたようだ
僕は聞いたことなかったんでどうってことはないんだが
いつも聞いてて親しみを持ってる人にとってはショックなことかもしれない

今いるところを去る
ということはどんな心理が働くものだろうか
8年くらい前だったかなぁ
インフォシークのプロフィールというところに出入りしていて
何人かの友達がいた
500字までの日記を書き、コメント欄はチャットのようになってた

でも古い言葉だが家内をパソコンウィドーにしてしまったところがあった
別に恋愛をしたとかそういうことではなかったが
いっぱい時間を取ってそれに没頭してたから
僕が悪かったのには違いない

で、それなりに反省をした
反省をした結果がその場を去るという結論だった
サイトの中ではその直前まで楽しく話してたけど
突然 みんなにさよならを告げた
自分で言うのもなんだがそこそこの騒ぎになった
怒られたり 悲しんでもらったり・・

無視も喜びの言葉もなかった
自分の心をグンニャっとひっくり返すとひどい言葉を使ってしまうがみんなの騒ぎに快感を見た
惜しいと思ってくれてることがうれしかった
僕のことを話してるのをそっと覗くと寂しかったけど嬉しかった

でも勿論その逆の立場もいくつか経験してる
最初は慣れないことだったんで悲しささえ覚えた

でも、いくつかそれを知るとその心の振幅はだんだんと小さくなってゆく
最初はあんなにも悲しかったのに ああよくあることだ とあきらめの境地にたどり着くようにもなった


この前カルルンとケロヨンのブログ終了一時停止の時にも書いたけど
中島みゆき「わかれうた」のように

立ち去るものだけが美しい のだ

それでもその傷跡の痛みはだんだんと薄れてゆく
こういう言葉で予防線を張りながら
インターネットの悲しさに身構えてるのかもしれない

去ってしまうのも寂しいよ
でもその寂しさは自分も忘れるし、相手も忘れてくれる そういうもんだよね
コメント (18)
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