木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

その時の・・・

2015-06-29 23:59:17 | タイムマシン
自分が離婚したってことはわかっているけど、その時々にどんなことがあったのか忘れてしまってる。
たまに古い日記を読み返してみる
やっぱり悔し涙を流した跡がある

2004年に3年生だった娘を連れて元妻は家を出た
娘と僕の関係は理解して、週末になると娘はいつもここにきてた
そして毎週日曜日の夜、彼女は母親の元に帰っていく


2005年12月04日


おおばかやろう

バカな父親かっつん いつもあーは母さんに迎えに来てもらって車で30分の別居場所へたどり着いてたと思ってた
でも違ってたんだ 勿論そういうときもある でも一週間に2・3回は僕に
「母さん迎えに来たから行くね」
そういい残して一人で地下鉄に乗ってむこうへ行ってた(帰ってたという言葉は使いたくないので)
きょうも7時に
「もう母さん向こうを出たか?」
「6時50分に出た様だから20分くらいには着くはずだよ」
そして7時20分に
「来たみたいだから 行くね」
そしていつものようにエレベーターまで見送り
「気をつけてナ また明日 おやすみ」
窓越しに手を振る
今日は車に乗り込むところ見てやろうと窓からのぞくと 彼女は一人駅に向かって歩いてゆく
 まさか・・ ひとりで??
すぐに携帯に呼びかける
「本当は母さんは迎えに来てないのか?」
「うん 大丈夫 帰れるから」

小学生を夜一人で地下鉄に乗せられないよ
すぐに迎えに行ってそのまま向こうのマンションに届けました
何回聞いてもその詳しい在り処を家内は話さなかったけど今日初めて見てきました
そしてそれを口止めされてるあーが手を振りながら入ってゆくのを確かめた
いつも 迎えにきてくれた って言いながら笑顔で出て行った娘の二回に一回は嘘だったなんて
僕は彼女がいじらしくてかわいそうで申し訳なくて
それに気付かない自分を責めながら帰り道泣きながら帰ってきました
勝手な行動してひどい女だ
人の言葉は絶対に受け入れない
話を聞いてあげる そういって家内に電話してくれた僕の友達二人
二人とも着信拒否されてしまってる

あー とうさんと暮らしたほうが幸せになれる  そう思うがなぁ・・・



今なら多分その時には仕事をしてたのか、どうしても離せない理由があったんだろうと察する余裕もある
娘はそのまま6年卒業するまで地下鉄に乗って1年生になった小学校へ通い続けた
それは僕の、そして兄有祐の通った小学校
その後 別居先の中学に入り、母親と暮らし 卒業した その間に離婚成立
そして高校生になって自分の意志で帰ってきた
幸せになれたかどうかはわからないが、この日記のような結果になった
ただ母親との交流は勿論続いているし、良好だと思う。
それでもやはり被害者にしてしまった感はぬぐえない
・・だから甘いんだよねぇ。。





コメント (6)
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