木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

忘年会?

2015-11-12 23:46:23 | 友達
火曜日、友達と飲み会に行った
飲みに行くとは珍しいことだが、敬ちゃんと石やんとだけはいつものことだ
いつもと言っても年に2,3回だが

お好み焼きの店で待ち合わせ
今回は珍しく岩崎君も参加した
かっつん、敬ちゃん、岩崎君が中学の同窓生 小学校は違う
僕以外の二人は昔の家が隣同志だったわけで、僕と岩崎君は一度も同じクラスになったことがなかったから
敬ちゃんがいなけりゃ話をすることもなかっただろう

そしておさらいだが石やんは僕の友達
バンド仲間だった
その関係もあって、うちのマンションを設計して、その流れで親友の敬ちゃんとこも設計した
敬ちゃんは僕のつながりを大事にしてくれる
仏壇だってポタの実家で買ってくれた

石やんに戻るが 昨年の12月の日記に彼のことをこう紹介した

一方、独身時代のバンド仲間であり、うちのマンションの設計士、石やん
三歳年上の彼の人生は波乱に富んでる
33で一回り下の彼女と結婚し、4人の子供をもうけた
バブルの真っ最中に自分で設計した3500万のマンションを手に入れた
ひと月で500万くらい値上がりした と喜んでいたのに、バブル崩壊
彼には早いうちに試練の時が来た
設計事務所で部長という肩書をもらってたのに、突然のリストラ
非情な会社だったと思う
忙しい時には散々こき使っておきながら、その終わり方は何だよ って僕が思った
彼は、とてもいい人だった
だからもっと大きい会社が再雇用してくれた が僕には都合のいい使われ方をされたとしか思えなかった
そんなころ、奥さんが家出。
しょうもない男にとっぷりと浸かってしまって彼女だけホントの意味で落ちていった
4人の子供と彼の5人6脚の生活が始まる
思うように伸びない収入
毎月7万ボーナス月36万の出費はかなりきつかったに違いない
それでも手に入れた住まいを手放さずにがんばってきた
大きな会社も辞めることになり独立
人柄が彼の生活を支えることになる
一級建築士の肩書も勿論だが、長年築いてきた人脈がその家族を見捨てることはなかった
厳しい時代も建築だけじゃなくて、老人ホームの館長という地位も元々の仕事からの自然な流れだったのかもしれない
ただその職は建築士との併用の職、今はまた本来の仕事に精を出してる
建築会社の経営する老健だったからだ
4人のうち2人が独立して、今は3人4脚
経済的にも少し余裕が出来て、今年の春、中古のハーレー・ダビットソンを手に入れた
夏には北海道の爽やかな風にその身を晒したと
彼は今64歳を満喫している
(今65ね)


知らなかったことがあった
この中でもっと大きい会社が再雇用してくれた と書いたがその会社を辞めるきっかけが僕だったというのだ
彼の設計した僕の家だったが 雨漏りをし出した
すぐ対応すればなんてことなかったのだが、しばらく時間を置くうちに(これはこっちの都合)
肝心な建設会社が倒産して補償してもらうことが出来なくなってしまった
それでその大きな会社に移った石やんに頼んだ
35万円という見積もりで工事をしてもらったのだがそれでも雨漏りは止まらなかった
僕は35万は出せない と言った
でも実際に人工は来て工事してくれたことは間違いない
確か、3人で二日来て塗料を使ったから 2万×3人×2日+5万(塗料代)=17万 の計算をしてそれしか払わなかった
プロがここだと思ってした作業が間違ってたのだから満額を出す気持ちにはなれなかった
でも僕も職人だから職人さんたちの工賃まで無かったことにはできないからそれだけ払ったわけだ

結局それがその会社にいられなくなった理由だった と今言われた
結構それがショックだった
完全にオレ悪者?
あの時はそれほど請求された記憶がない
石やんから払ってくれなきゃ困る って言葉は聞いたが会社からのコンタクトは一切なかった
僕は自分が間違ってるとは思わなかったし彼と共通の友達も僕の行動を支持してくれてた
むしろ半分も払う必要はないとまで言ってくれたのだが

石やんは、雨漏りはどこか特定するのが難しいからまずここをやってみる 違ってたらまた次の箇所 という約束だった 払ってもらわなきゃ困る
そう言った と言うがそんな記憶はない
そうだったら多分35万も出す約束はしないはず
その辺はお互い水掛け論になってしまう

石やんとは建築中からよく口論をした
それまでは意見の食い違いということは一度もなかったが、僕には一生に一度のことだし彼にとっては譲れない仕事のこと
久しぶりにその状況に戻った(笑)


だがその仕事場を離れることによって彼にとっては良い風が吹き始めた
仕方なく独立して建築事務所を立ち上げた
マンションが専門だったからその退去者の立ち合い業務をしながら新しいマンションの設計も再開 これが副業となる
一方、主な仕事として老人ホームの館長という役をもらう
拘束時間以外の時間を副業にあてた
今は副の方が主になって館長からは離れた
いつの間にか株主にもなるくらい自由なお金の使い方をしているのだ

株主優待券をちらつかせていくつかの銘柄に誘っておいた メモメモしてた(笑)
ケンカはするけどまだまだ友達
そして結果良し。。だと思うよ

一人分しか書けんかった・・・
コメント (2)
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