別に何も書くことがない
そういう時は書かなきゃいいのだけどなんとなくパソコンを開いてしまうわけだ
昨日野球部のことを書いたんでそのことを振り返ってみようかな
僕たちの小学校で野球部に入れるのは3年生になってから
それまで同級生たちとやってる野球では自分のことをみんなよりはちょっとうまいんじゃないかと思ってた
まぁ小学生の感覚だから大目に見て欲しい
「野球部に入れてくださーい」
と友達数人で行った
もう一人同じ3年生で野球部にいるやつがいた
後に僕らの年代のキャプテンになる西村君
彼は従弟が一つ上にいて野球部とは繋がっていたからか、みんなより一足先にちゃっかりと部員になっていた
無事入れたもののやるのはまず玉拾い
3年だったか4年になってからだったか、校舎の塀の内側までボールを拾いに行って、ボールを拾う際に
塀の柱から出ている金属に頭をぶつけて出血したことがあった
頭から血を出すのが初めてだったので「死ぬんかなぁ」と思った記憶がある
それでも時々ノックを受けたり軽いトスバッティングなどはやらせてもらえるようになってたと思う
小学校の野球部だけれど生意気にも一軍二軍があった。
4年生になったある日、僕は一軍の選手になれた
6年生のレギュラーに5年生が一人だけ抜擢された
それが西村君の従弟だった
その後に控える全部で15人の中に入れたのだ
勿論上級生でもそこに入れなかった人が何人かいた
有頂天になっていた僕を襲ったのが扁桃腺だった
その手術をすることになり、何日間か休んでしまったて二軍落ち。
僕らの2年上の先輩は結構な強さで、中日新聞の大会で決勝戦まで勝ち進んだ
予選は名城公園の何面かある普通のグランド野球場で何試合かして勝ち進むと熱田球場での試合となる
ここはしっかりした本物の観客席のある野球場で僕らにとっては甲子園みたいなところだった
その決勝戦の前に監督さんに呼ばれた
「かっつん、お前今日の試合はベンチで見ろ」 二軍落ちした後だった4年の僕の晴れ舞台はベンチの人
それでもすごくうれしかった
因みに西村君は12番の背番号をもらって堂々とそこに座っていた。
残念ながら決勝では負けて準優勝だった
優勝した瀬戸のチームは確かテレビに出て、黒柳徹子さんに話を聞かれてたと思う
その試合のフィルムが流されベンチで姿勢を正して座ってる自分の一瞬を確認した(笑)
もう遅くなったので寝ます
そういう時は書かなきゃいいのだけどなんとなくパソコンを開いてしまうわけだ
昨日野球部のことを書いたんでそのことを振り返ってみようかな
僕たちの小学校で野球部に入れるのは3年生になってから
それまで同級生たちとやってる野球では自分のことをみんなよりはちょっとうまいんじゃないかと思ってた
まぁ小学生の感覚だから大目に見て欲しい
「野球部に入れてくださーい」
と友達数人で行った
もう一人同じ3年生で野球部にいるやつがいた
後に僕らの年代のキャプテンになる西村君
彼は従弟が一つ上にいて野球部とは繋がっていたからか、みんなより一足先にちゃっかりと部員になっていた
無事入れたもののやるのはまず玉拾い
3年だったか4年になってからだったか、校舎の塀の内側までボールを拾いに行って、ボールを拾う際に
塀の柱から出ている金属に頭をぶつけて出血したことがあった
頭から血を出すのが初めてだったので「死ぬんかなぁ」と思った記憶がある
それでも時々ノックを受けたり軽いトスバッティングなどはやらせてもらえるようになってたと思う
小学校の野球部だけれど生意気にも一軍二軍があった。
4年生になったある日、僕は一軍の選手になれた
6年生のレギュラーに5年生が一人だけ抜擢された
それが西村君の従弟だった
その後に控える全部で15人の中に入れたのだ
勿論上級生でもそこに入れなかった人が何人かいた
有頂天になっていた僕を襲ったのが扁桃腺だった
その手術をすることになり、何日間か休んでしまったて二軍落ち。
僕らの2年上の先輩は結構な強さで、中日新聞の大会で決勝戦まで勝ち進んだ
予選は名城公園の何面かある普通のグランド野球場で何試合かして勝ち進むと熱田球場での試合となる
ここはしっかりした本物の観客席のある野球場で僕らにとっては甲子園みたいなところだった
その決勝戦の前に監督さんに呼ばれた
「かっつん、お前今日の試合はベンチで見ろ」 二軍落ちした後だった4年の僕の晴れ舞台はベンチの人
それでもすごくうれしかった
因みに西村君は12番の背番号をもらって堂々とそこに座っていた。
残念ながら決勝では負けて準優勝だった
優勝した瀬戸のチームは確かテレビに出て、黒柳徹子さんに話を聞かれてたと思う
その試合のフィルムが流されベンチで姿勢を正して座ってる自分の一瞬を確認した(笑)
もう遅くなったので寝ます