木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

失礼だから助けない

2019-07-26 00:49:53 | 日本
韓国での日本製品ボイコットは佳境を呈してきましたね
ある高校では日本製の文房具を持ち寄って廃棄したり
一方ではユニクロ製品の配達を拒否する業者が現れたり
日本車ボイコットで飽き足らずその給油を断るGSもあるとか・・・

その辺りの運動は日本にいる僕たちはほとんど何も困らないことです
やりたければ
大いにやってくださって構いません

この記事でパブリックコメントを募集していたことを紹介しましたがその結果は98%がホワイト国除外に賛成だったようです
今韓国が日本に対してやってきたことを知ってる日本人なら普通の結果だと思います
しかしながらマスコミの多くの論調は決してそれではなく本当に不思議でなりません
何処の国のマスコミなのでしょうか
別に腹いせで言っているわけではなく、実に冷静な感覚であります
不買運動してくだされば結構
日本韓国間の飛行機の運用を止めてくださって結構
気の済むまでやらかしたってください
これを機に普通のお付き合いで済む国同士になりましょう
今まで異常過ぎました
韓国は日本に頼り(先程リンクした記事にありますように)、日本もある意味変な頼り方ですが韓国に頼っていたのかもしれません
日韓議連の議員さんたちはもう仕事されなくていいと思います
してほしくないです
援助はやめてください

きょうはねずさんの記事を読ませてもらってたら、目賀田種太郎という人のことが書いてありました
韓国の復興ではなく独り立ちのために尽力された明治の方です
当時の朝鮮半島がいかに未開だったか
今更恩着せがましく言う事ではありませんが、こういうことは韓国の教科書には欠片も書いてないでしょう
僕も知りませんでしたから 転載させていただきます。




明治37(1904)年に貴族院議員となった目賀田種太郎は、その後も国際連盟大使、枢密顧問官を歴任しました。
そして大正15(1926)年、73歳で逝去されるまで、まさに明治から大正にかけての日本の政治と経済の最重要箇所を常に担い続けています。
当時の我が国における最大にして最高の実力者だったのです。

ちなみに目賀田種太郎の奥さんの目賀田逸子さんは、勝海舟の三女です。
これが何を意味するかというと、目賀田種太郎は、旧幕臣でありながら、明治新政府にその優秀な頭脳を非常に買われ、専修大学、東京芸大を創立しただけでなく、裁判官、弁護士会会長職を歴任し、さらに大蔵省幹部として日本専売公社を設立し、貴族院議員となり、国連大使となり、また晩年は枢密院の顧問官を勤めたということです。

もっといえば目賀田種太郎は、明治日本において、まさに八面六臂の大活躍をした大物中の超大物であり、日本の法曹界にとっても、日本の芸術界にとっても、社交ダンス界にとっても、まさに大恩ある偉人中の偉人といえる人だということです。
そして目賀田種太郎は男爵に列せられています。

要するに目賀田種太郎は、明治日本のまさに立役者となった偉大な人物なのですが、なぜか現代日本の近代史では、まったく語られることがありません。
むしろ目賀田種太郎の名前を知っている人を探すことに苦労するくらいです。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。
ひとついえることがあります。
目賀田種太郎は、明治37(1904)年に貴族院議員に当選した年に、韓国の財政顧問に就任していることです。

明治37年というと、日露戦争の真っただ中です。
そして日韓併合(明治43)のすこし前の時期にあたります。

この年、日本と李氏朝鮮との間で、第一次日韓協約が締結されたのですが、このとき韓国の財政再建のために日本から優秀な人材を派遣することが決められました。
そしてその道のプロである我が国きっての俊才として、目賀田種太郎が日本から派遣されたのです。

この人事は、それまでの目賀田種太郎の実績を考えたら、明治政府は、我が国きっての財政再建のプロ、これ以上は望めない最高の人事ということができます。

任命を受けて朝鮮半島の実情を視察した目賀田は、このとき、心底驚いたといいます。
なぜか。
民衆が、あきれるほどに貧しかったからです。

民家のほとんどが平屋・わらぶき屋根までは許せるとして、建物の梁(はり)の水平がとれている家自体がないのです。みんな曲がっている。
家というのは、柱と梁が垂直になっているから安心して住めるのです。
梁(はり)がまがっていては、いつ倒壊するかもしれないのです。
あまりにも危なすぎるのです。

ですから目賀田は、日本から大工さんを招いて、ちゃんと柱と梁が垂直になる家の見本をこしらえたりもしています。

シャルル・ダレの「朝鮮事情」には次のように書いてあります。
*******
両班(やんぱん)は、
世界中でもっとも強力にして傲慢な階級である。
彼らが強奪に近い形で農民や田畑や家を買うときは、
ほとんどの場合、支払いなしで済ませてしまう。
*******

要するに、支配層である両班(ヤンパン)が、被支配層である常民(サンミン)を収奪し、土地を奪い、代金も払わず、常民が抵抗すれば、苛斂誅求(かれんちょうきゅう)を加えるのが日常だったわけです。
暴力による支配、収奪だけの支配、上下関係がなにより優先していました。
まともな法など、適用されたことさえありません。

そして半島の民衆は、それがあたりまえになっていて、そうではない社会が、人々の力によってつくれるということ自体、知らなかったのです。
知りようもなかったのです。
学校もない。
教育もない。
子供の頃から、ただ一方的に殴られるだけ。

ニワトリや卵を手に入れれば、その場で両班たちに奪われてしまう。
誰もが腹を空かせているのがあたりまえ。
家の梁が曲がっていることなど、どうでもよいのです。
生きるために、いま食えるものを探し、奪い合う。
それは獣の世界より、もっとひどい貧困が支配した地だったのです。



年頃の女性は、強姦の対象です。
強姦できない生理中の女性は、強姦の対象にならないからと、隔離して生理小屋に押し込められていました。
大好きな女性を強姦されたからと、青年が抵抗すれば、捕まえられて見せしめに手足が縛りつけられて、五体の骨を一本一本、折られるという拷問が待っています。
それで暴動を起こせば、一族郎党、皆殺しです。
何もかも、命さえも、両班のものというのが、李氏朝鮮時代の半島だったのです。

参考記事≪李氏朝鮮の時代≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-659.html

これではいつまでたっても一般民衆は貧しいままです。
そして民衆が貧困化に置かれていれば、いつまで経っても朝鮮半島の経済は好転しません。

ちなみに朝鮮半島において、被支配階層である常民(サンミン)となっていたのは、もと倭人たちです。
7世紀の白村江の戦いの後、朝鮮半島に取り残された倭人たちは、濊族と血のつながった両班たちによって、1300年もの長い間、ずっと収奪され続けていたのです。

明治38(1905)年に日露戦争が終わったとき、日本はロシアとの講和条約であるポーツマス条約によって李氏朝鮮に対する保護権を持つことになりました。
この年日本は、李氏朝鮮との間で、第二次日韓交渉条約を締結しています。
そしてこの条約によって、朝鮮半島は事実上日本の保護国となりました。
こうして日本はソウルに韓国統監府(かんこくとうかんふ)を置くことになりました。

この韓国総督府の初代統監が日本の初代内閣総理大臣である伊藤博文です。
いかに日本が韓国の民衆の生活改善に本腰を入れようとしたか、この一事をとってもわかろうというものです。

ところがその伊藤博文は、安重根によって殺害されます。
なぜ暗殺されたのか。
昨今の韓国では、安重根を英雄ともちあげているようですが、当時伊藤博文は、韓国の経済や文化の近代化のために力を尽くそうとはしましたが、そのあまりにも極端な貧困と民心の荒廃を前に、日本が朝鮮を併合することに、猛烈に反対していたのです。

安重根は、これを不服として、伊藤博文暗殺というテロ行為を働いています。
つまり安重根は、一日も早く朝鮮が日本に併合されるようにと、そうなれば常民(サンミン)たちの生活も、日本人のように劇的に改善されるということを願って、「日韓併合に反対する伊藤博文」を暗殺しているのです。
もっと簡単にいえば、安重根は、誰よりも日韓併合を願った人物であったわけです。

その安重根が、韓国では、日本の総理大臣を殺した反日の英雄としてまつりあげられているというのですから、どうかしています。
安重根は、日韓併合に反対する伊藤博文を殺害してまで、日本に併合してほしかったのです。

さて、明治43(1910)年、日韓併合が行われました。
日本は法務、財政のプロである目賀田種太郎を筆頭に、朝鮮半島内で公正な税制の基礎を固めるため、土地調査事業を開始しました。
土地調査事業というのは、国家が近代化になくてはならないものです。
土地の所有関係を明確にし、課税の公平性を確保するために、それは最低限必要なことだからです。

ところがこのとき、実におもしろいことが起こっています。
朝鮮総督府は、土地の所有を「自己申告による」としたのです。
そうすると、そもそも土地をたくさん持っていたのは、領主である両班(やんぱん)ですから、あたりまえのことですが、多くの土地が両班(やんぱん)のものとして登記されました。

ところが、地方の農村部では、耕作者がいて耕作はされているのだけれど、所有者不明という土地がたくさんありました。
こういうところでは、ときおり両班(やんぱん)がやって来て、農作物を勝手に持って行ってしまっていました。

そこで目賀田種太郎は、こうした持ち主不明の多くの土地を朝鮮総督府によっていったん没収とし、これを、その土地で実際に耕作している人に、ほとんどタダ同然で払い渡しました。
これによって、多くの常民(さんみん)が地主となりました。
こうして晴れて常民(さんみん)たちは、自分の土地で自分の家族のための作物を育て収穫することができるようになったのです。

実はこのことが、耕作している人たちの耕地の安定となり、安心して耕作ができ、安心して作物の収穫ができ、安心して収穫物を食べれるようにしたのですが、これによって何が起こったかというと、日韓併合当時には半島全体でわずか1500万人だった朝鮮人の人口が、わずか40年後には2300万人と、倍増したのです。

ちなみにこの件についても韓国は、「日本が農民たちから土地を奪い、日本人に払い下げた」などといい加減なことを国内で子供たちに教えていますが、事実誤認もはなはだしいことです。
そもそも日本人が土地の開拓のために半島に渡ったのは、この土地の払い下げ事業の後のことです。
しかも日本人が開墾した土地は、もともと朝鮮人の農地だったところではなく、誰も住まないまったくの荒れ地を、苦労して耕して農地にしたのです。

こうして目賀田種太郎は、朝鮮半島の民衆が安心して生活できるようにするための公正な税制の構築に精を出し、大正9(1920)年には、日本の代表として国際連盟の大使に選任されて半島を出ています。

要するに何がいいたいのかというと、日本は、日本最高の人材を、朝鮮半島の経済と文化の再興のために、送り込んだのだということです。
目賀田種太郎は、行政のプロであり、当時の我が国における最高の人材です。
その目賀田種太郎を、日本は朝鮮半島の近代化のために送り込んだのです。

それまでの朝鮮半島は、人口の1%に満たない朝鮮貴族の両班にとっては「人を支配できる」という意味において、半島は最高に幸福な国家であったかもしれません。
なぜなら人間にとっての最高の幸福は、人の生殺与奪の権を握り、人を支配することだからです。

自分では何もしない。
わずかな重さしかないタバコ1本咥えるだけでも奴隷にやらせる。
自分ではタバコの火さえも点けない。

ちなみにサラリーマン時代に本社勤務になったとき、私が自分で書類のコピーをとっていたら文句を言ってきた上司がいました。
どうしていけないのか、理由がわからずに尋ねると、
「お前が自分でコピーをとったら、女子社員の仕事がなくなる」と言ったので、思わず耳を疑いました。
「いえ、私にもコピーくらいできますから」と、その場は曖昧に誤魔化したのですが、あとでわかったのは、その上司、親が半島から帰化した日本人でした。

かつての朝鮮半島で、両班たちは、常民が持つ私財は、モノも貞操も命さえも、すきなだけ収奪することができました。
繰り返しになりますが、さからえば全身の骨を一本ずつ折るなどの厳罰を与えたりもしていたのです。
そしてそれらの残虐な行為は、猿山のボス猿でさえ、そこまでの非道はするまいと思えるほどの蛮行です。
そのような蛮行をしても、相手が常民なら、身分の違いでどこからも苦情がこなかったというのですから、すごい社会です。

そしてそういう社会の中で、特権階級であった両班は、ある意味、幸せ者であったのでしょう。
客観的に見てどんなに貧しかろうが、悲惨な境遇であろうが、人間にとっての最高の至福は「人が人を完全に支配することだ」と言った人がいました。
こうした考え方は、普通の日本人にとっては、根本的に受け入れられない思考だと思いますが、世界の歴史ではそれが普通に行われてきたし、半島に至っては、どんなに町が糞尿まみれで臭かろうが不衛生だろうが汚かろうが、支配層の両班にとっては、なんでもかんでも思い通りにすることができる幸せの国であったのかもしれません。

けれど、人口の99%を占める常民にとっては、客観的に見て、半島はまさにこの世の地獄です。
けれど、そんな地獄で生まれ、地獄で育った人たちにとっては、それが生まれた時からの、あたりまえの日常の姿です。

欧米列強は、世界中を植民地化しました。
相当貧しい国でも、その地を植民地化したことは、みなさまご存知の通りです。
ものすごく小さな島でも、彼らは植民地化しています。

けれどそんな欧米列強でさえも、朝鮮半島だけは、植民地化しませんでした。
なぜなら、糞尿にまみれた朝鮮半島は、植民地化するだけの魅力がなにひとつなかったからです。

そんな朝鮮半島を日本が面倒見なければならなくなったとき、日本が選んだ選択が、目賀田種太郎の派遣だったわけです。
猿山の猿以下の生活をしている。
しかもそれ以外の生活を知らない。
そういう人たちに、善政を施し、普通の人間として扱い、普通の人間に成長してもらう。
そのための日本の選択が目賀田種太郎だったのです。

目賀田種太郎は、やはり人材です。
目賀田種太郎の朝鮮派遣は、おおいに成功し、朝鮮はわずかの間に近代化し、民衆に教育も施され、朝鮮半島は、人の住める場所になりました。
それを行ったのは、朝鮮族ではありません。
日本人であり、まさに目賀田種太郎の功績です。

ですから反日をあおるKoreaや、日本にいるKoreanたちにとって、目賀田種太郎の名前は消してしまわなければならない名前です。
目賀田種太郎の功績が知れれば、日本が行ったことを善政として認めざるを得なくなるからです。


http://nezu3344.com/blog-entry-4199.html




僕たちは先人の業績に誇りを持ちながら坦々とした心持ちで韓国という国を見ていけばいいと思います
もう決して助けない
これだけ独り立ちを果たした国に対して失礼ですから




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