木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

松木平優太

2024-07-09 02:01:20 | 家族
毎試合必死に応援していたドラゴンズだがこの頃は敬ちゃんから一緒に野球観に行こうとと言われても億劫になってしまった自分がいます。
それでも試合経過は別にして結果は気になっているので必ずチェックし、勝った日はYouTubeでハイライトを見るのが楽しみです。
今年も期待してたシーズン当初からいつもの指定席を窺う展開となりつつある。それでも昨年までと違うのは二軍の好成績です。
ここにはまだ選手としての登録をしてもらってなかったある投手がいて、彼の活躍(これまで9勝3敗)が一際輝いていた。
今年4年目で入団は育成選手扱い。育成選手とはまだ選手にはなれないってことです。しかも9人の指名の最下位。
でも実力は確実につけてきて今年は二軍監督から2軍の稼ぎ頭のスターになれと言われてきました。と言うことは一軍はまだ早いという意味。
その裏には打線低調なドラゴンズ、比較的優秀な投手陣の中に割って入る余地はない。ということでした。
でも大野が離脱、柳が離脱。左右の両エースが崩れてしまいました。
それでもまだまだと思っていたのですがやはりここは若い力が必要と首脳陣は判断したのでしょう。
彼は選手として登録されそのまま一軍に帯同することになったのです。
彼の名は 松木平優太。まつきひらゆうた
その名前を知ってもらいたくてたまらぬ彼の事情を下に転載しました。
10日水曜日に先発予定だとか。
応援してあげてくださいませんか?



https://dnomotoke.com/archives/20201214000045/

若狭アナ:
昨日、中日ドラゴンズの新人選手の入団会見が名古屋市内のホテルで行われました。

支配下選手6人、育成選手3人、合わせて9人の新人選手が金屏風の前にズラズラっと横一列に座りまして、

真新しいドラゴンズのユニフォームを着て、

マイクを持って自らの決意表明をしました。

ただ残念なのが、私も出席していたんですが、

コロナの影響で個別取材、対面取材、囲み取材が全てNGで、

ほとんどが代表質問だけの淡々とした入団会見になったんですね。

ただ、そんな中でも私がとても印象に残ったのが、

背番号206番、大阪・精華高校から育成ドラフト3位で入団した松木平優太投手のこの言葉です。

最後の最後の発言の機会に話していたんですが、

松木平:
世界中に「松木平」という珍しい名前を知らせたい。

という言葉だったんですね。

世界中!?

世界という言葉を使うものですから、

メジャー思考でもあるのかな?強気ハートの持ち主なのかな?と思って、

松木平投手、本人には話を聞けませんので、

彼を指名した関西担当の山本スカウトにどんな性格かを聞きました。

山本スカウト:
松木平はとっても素直で真っ直ぐな男です。

そう教えてくれたんです。

次の瞬間驚きました。

山本スカウト:
いや~…ちょっと入団会見、残念でしたね。

若狭アナ:
あらっ、何故ですか?

山本スカウト:
実は松木平は今日の入団会見の場で大きな発表をしようと思っていたんです。

昨日、私ども打ち合わせをしたんですが、

結局、発言の時間が少なくて言えずじまいでした。

残念です。

若狭アナ:
差し支えなければ、どんな発表をしようと思っていたんですか?

山本スカウト:
いずれ皆さん知ることなので、

もう今日、この場で言おう決めていたのは、

彼は両親を含めて今、身寄りがほとんどいないんです。

その事をこの場で告白しようと思っていたんです。

ひょっとしたら同じような境遇の子供たちもいるかも知れない。

その希望の星になるように、ここでその事を発表しようと言っていたんですが、

残念ながら出来ませんでした。

若狭アナ:
私は、その後も山本スカウトに話を聞いたと同時に、

入団会見に出席していた親戚の女性、

唯一の今、身寄りと言っても過言ではない彼女にも話を聞くことが出来ました。

その女性は厳密に言うと松木平投手のお爺さんの兄弟の娘さんです。

その2人に色々話を聞いたのをまとめます。

松木平投手はインドネシアのバリ島に生まれました。

お父さんがインドネシア人、お母さんが日本人。

大のお父さん子でもう四六時中、パパと一緒、

お父さんが大好きな優太少年だったのですが、

残念がら2歳の時にご両親は離婚しました。

大好きなお父さんとの時間は2年で終わって、

離婚後は音信不通になってしまいました。

そして松木平投手と1つ年上のお姉さんとお母さんの3人でお母さんの実家のある大阪に移り住みました。

その時に松木平というお母さんの旧姓を名乗るようになりました。

お母さんの実家にはお母さんの両親、つまり松木平投手のお爺さんとお婆さんがいて、

一家5人で暮らしていたんです。

ところが小学1年の時に今度はお母さんがお亡くなりになりました。

母の死を小学1年生で体験しています。

大きな悲しみを小さな体で必死に受け止めました。

そんな松木平少年を救ってくれたのが野球でした。

仲間と一緒に白球を追いかけるその時間が全てを忘れさせてくれました。

だんだん野球で力をつけてきました。

転機が訪れたのが高校2年。

彼は元々サードを中心に内野手だったんですがピッチャーに転向しました。

しなやかな腕の振りから繰り出されるストレートはプロのスカウトの注目の的になりました。

山本スカウトは高校の2年の夏からマークしています。

その他、オリックス、さらにはソフトバンクも注目するようになりました。

そうなると今度はプロ野球選手になる姿を育ててもらったお爺さんとお婆さんに見せたいと頑張っていたんですが、

去年、お爺さんが他界しました。

お婆さんは体調が急激に悪くなって今は千葉県内の親戚の家に住んでいます。

いよいよお姉さんと松木平投手だけになっています。

そしてたまたま近所に住んでいる親戚の女性、

入団会見に足を運んでいた親戚の女性が今、身の回りの世話をしているという状況です。

この全てを彼は入団会見で発表しようとは思っていなかったと思うんですが、

今の流れを少しコンパクトにまとめて、

「両親はいないけれども同じような境遇の子どもたちがいるかも知れないので、希望の星となるように頑張りたいと思う」、

そんな気持ちを彼は入団会見で言いたかったんだと思います。

ただただ最後の最後、僅かな発言の機会の時に何とか想いをねじ込みました。

その想いというのはこの松木平という名前が、

天国のお母さんに届けばいいな、お爺さんに届けばいいな、

千葉に住んでいるお婆さんに届けばいいな。

そして地球上の世界のどこかにいる、あの大好きなお父さんにいつか届くといいなと思って、

彼は最後の最後の発言の機会に思いっきり力んで、

めちゃくちゃ緊張して、

ただ気持ちを込めてこう言いました。

松木平:
(背番号)3ケタでもしっかり結果を残して、

1年でも早く若い番号を貰って、

そこでもしっかり活躍して、

この世界中に「松木平」という珍しい名前を知らせたいです。

若狭アナ:
お母さん、優太くん立派でした。

今後の松木平優太投手が楽しみです。
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